崇神天皇と墨坂、四道将軍ー3
崇神天皇の事績として、あと2つ気になることがあります。
司馬遼太郎の言う崇神天皇任那人侵略者説に有利な事績として。。。
「古事記・日本書記には、崇神天皇9年春の事として国中に疫病が蔓延し、人民失せて尽きんとするに至り天皇はいたく悩まれていた時、或る夜神人が天皇の夢の中に立ち、「赤盾八枚・赤鉾八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚・黒鉾八竿をもって大坂の神を祀れ」とのお告げがあり、天皇はその教えに従って祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下安泰となったと伝えられています。」以上墨坂神社HPより
墨坂と逢坂はヤマトの端の守りの地域です。疫病除けのため鉾と盾を祭るという違和感。やはり兵力として、境界の土地固めをしたと見る方が合点がいきます。
そして、四道将軍を派遣して、ヤマト以外の土地も平らげようとします。
記紀神話の中で、この時代地方へ遠征に行くわけです。
次の12代景行天皇の時代は、ヤマトタケルが諸国に戦いにいきます。
この時代は軍事をとても大切にしています。
そして、14代仲哀天皇のきさきの神功皇后と武内宿禰によって、葛城氏が活躍する政権を作ってからは、ちょっと毛色が代わります。
息子15代応神天皇の時代は、諸国へ兵を差し向けることをしていませんよね。
ま、崇神天皇の時代に平定したとも見れますが。
そして、その子仁徳天皇に至っては、聖帝と言われます。カマドの煙が上がっていないのを見て、民が苦しんでいるから、税を免除したと。とてもいくさをしている風ではないです。
崇神天皇とその後の数代の違和感。
もちろん、個人の性格とか、後付け的なものもあるとは思いますが、葛城地域が皇后として支えていた時代とは少し空気が違う気がします。