ブラームスがアガーテと出会って恋に落ちた頃の作品を調べると

興味深いです。

 

今回はその時期の5作品

 

・セレナード第1番ニ長調 Op.11(Serenade No.1)

・アヴェ・マリアOp.12(Ave Maria)

・埋葬の歌 Op.13(Begräbnisgesang)

そして

・Brautgesang(ブライダルソング)左矢印紛失

・ピアノ協奏曲第1番イ短調 Op.15

 

ブラームスの思い

そして

アドバイスを求められたクララ・シューマンの思いを

大胆に推察しようと思います。

 

もし自分がブラームスなら、

クララなら、

どう感じただろうかと想像したものですので

物語風に読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 セレナード第1番ニ長調

 

1857、8年に作られ

 

1858年の夏にゲッティンゲンのプライベートの演奏会で試演。

参加者はクララ・シューマン、

ユリウス・オットー・グリム(ブラームスの友人でアガーテの音楽の先生)、

ヴォルデマール・バルギール(クララの異父弟で作曲家・音楽教育家)

 

ブラームスがクララ一家と共に

友人グリム夫妻の家に滞在して

アガーテと恋に落ち、

ブラームスがアガーテの腰に腕を回すところを目撃したクララが

翌日休暇を切り上げたと言われるまでのことでしょう。

 

セレナード第1番ニ長調第1楽章のオープニングは

ハイドンの交響曲第104番ニ長調・終楽章の

オープニングをモデルにしていると見る専門家もいます⬇️

セレナード第1番(Wikipedia英語版)

 

ブラームス セレナード第1番⬆️

 

ハイドン 交響曲第104番第4楽章⬆️

ノルウェー室内管弦楽団 スティーヴン・イッサーリス(リーダー)

 

この曲は、休暇からデトモルトに帰ったあと、

『恋する女が書いていること』

Die Liebende screibt Op.47 No.5

と共にグリムへ楽譜を送り意見を尋ねた作品です。

 

ハイドン風に明るく、ホルンが印象的な作品です。

 

 ブライダルソングと埋葬の歌

 

クララはゲッティンゲンでの夏の休暇以降

うつ状態となっていました。

 

以前の婚約関係の記事に書きましたように

その状態は

親しい友人(11月18日付)や

ヨアヒムへの手紙(12月9日付)に記されています。

 

アガーテとの恋愛で上機嫌のブラームスは

そのことを知らなかったのか

1858年10月下旬のグリム宛の手紙に、

 

シューマン夫人はいつも通りとても元気らしいよ

 

などと呑気に書いています。

 

そのブラームス、

クララには12月4日付で

 

満足できていない作品だから

他の人には見せないで

あなたの率直な意見を聞かせてほしい(要約)

 

という手紙と共に作品を送ります。

 

12月20日付のクララの返事から

その作品は

 

・Brautgesang(ブライダルソング)

・埋葬の歌 Op.13(Begräbnisgesang)

 

だとわかります。

 

チューリップ黄他の作品もあったようなのですが

ブラームスとクララの手紙が収録された

Clara Schumann: 
An Artist's Life Based on Material Found in Diaries and Letters
(Berthold Litzmann編集・著)

には

上記2作品のみが記されています。

 

クララは冷静に良い点悪い点を書いています。

 

でもこの2作品、

クララには衝撃だったはず。

 

ブラームスとアガーテが仲良くなるのを目の当たりにしながら

一緒に過ごした休暇。

 

ブラームスに恋愛感情を持っていなかったとしても

一番近しい友の心が離れるのを感じて傷ついたでしょう。

 

そこへ追い打ちをかけるような作品。

 

だってブライダルソングですよ。

 

このタイミングですから、

 

アガーテとの結婚を想定しての作曲

 

って思っちゃいません?

 

ところがこの作品、

昨日ブログに書いた「ブラームス・ポータル」に紛失と書かれており

クララの日記・書簡集にも「完成されず」の注記が。

 

クララの手紙にフレーズの書き込みはあるものの

未完成で終わっているようです。

 

アガーテとの婚約解消を考えると

 

未完成、紛失

 

が、ますますアガーテを意識して作った作品かと想像してしまいます。

(実際はわかりません)

 

チューリップ黄ブラームスの書簡集を調べると

これを元に1864年発表の

『4つの歌 永遠の愛 Op.43-1』を作ったと注記にありました。

タイトルが違い、

ブライダルソングは4声の一方、

永遠の愛はソロなので

どれくらいオリジナルが残っているか

本当に元は同じなのか疑問ではあります。

 

それだけでもショックなのに、

 

『埋葬の歌』

 

「ブラームス・ポータル」には

なぜこの時期に作曲されたのかは、

今日まで疑問を抱くとありました。

 

ロベルト・シューマンへの追悼との解説もオンラインで見かけました。

 

作品番号が13で不吉な数なのも不気味です。

クローバー『埋葬の歌』を深掘りした記事にも書きましたが

「13」はクララの誕生日の日付なのでクララを意味しているとも考えられます。

 

プロテスタントの場合

一周忌として1年後に追悼の集まりをするらしいのですが、

ロベルトが亡くなったのは1856年で2年経つので

それに合わせたわけではなさそうです。

 

クララはこの作品を1箇所アドバイスした以外は

とても気に入り感動したようです。

そして

 

いつか私のお墓で歌うよう取り計らってほしい

ーあなたは私のことを思いながら

これを作曲したに違いないと思っているから

 

などと書いているのです。

 

この言葉に含みはあるのか?

素直な感謝なのか???

この曲は誰に向けてなのか?

 

まさか

クララの埋葬を意識して作ったのは

さすがにないでしょう。

 

(恋愛感情としては

クララを葬ってアガーテに方向転換か)

 

ブラームスとしては

ロベルトを思い、

ロベルトを思うクララを頭に浮かべて

作曲したのでしょう。

 

とはいえ

ブライダルソング(アガーテ向け?)

埋葬の歌(クララ向け?)を一緒に送ってこられたクララ。

潜在的に何かを感じ取ったとも思えます。

 

⬆️埋葬の歌 

素晴らしい作品ですが、最初だけ聴くと怖くて

クララを思いながらだなんて

(ロベルトの喪失を慰める歌詞なのでしょうが)

曲調はドン引きです。

 

『埋葬の歌』について深掘りしました⬇️

 

 ピアノ協奏曲第1番

 

同時期に

ピアノ協奏曲第1番の発表準備を進めていました。

 

ショックな夏の休暇の出来事

クララもリハーサルを聴きに行ったり

ヨアヒムと共にブラームスをサポートしています。

 

この作品はブラームスにとって大事な作品。

ロベルトがブラームスを世に紹介してから

その言葉に応える大作です。

 

ブラームスはのちに3Bとして

バッハ、ベートーヴェンと一緒に名を連ね、

特にベートーヴェンと関連づけて語られることが多いと思います。

 

そのベートーヴェン、

ピアノ協奏曲第1番初稿を完成したのは24歳。

 

ブラームスも23、4歳に作曲しました。

意識したかどうかわかりませんがほぼ同じです。

 

ブラームスはこのピアノ協奏曲で

一旗挙げる気持ちでいたと思うのです。

 

この作品で音楽家として認められたい

 

この作品は

ロベルト・シューマンの病と死

クララへの想いが強くあった時期に作られ

これを完成させたことで過去とし

人生の一区切りにも見えます。

 

埋葬の歌でも区切りをつけ

シューマン夫妻の加護から飛び立つ

 

そのタイミングでアガーテとの恋愛、婚約。

 

しかしながら

ピアノ協奏曲第1番は不評に終わり、

名声の確立は『ドイツ・レクイエム』まで先延ばしとなりました。

 

ブラームスは

当初クララへの気持ちを整理して

(埋葬の歌がメタファー?)

アガーテと前に進む気持ち

(ブライダルソング)があったのかもしれませんが

 

ピアノ協奏曲第1番の失敗

さらに

休暇前のリハーサルまでは来て

ずっと支えてくれたクララが

休暇後は

来るはずの公演にどれも姿を見せない。

 

来ないクララに意気消沈する様子が

クララ宛のブラームスの手紙に何度も書かれています。

(ブラームスの無意識の仕打ちに傷ついて当然の結果かと思えますが、、、)

 

ヨアヒムがブラームスと一緒にいた時は

ブラームスの手紙に、

僕たちはクララのことを思ってる、来てほしい

と書きたしてまでお願いしています。

 

2人して必死、

まるで天の岩戸を引き開けるかのようです。

 

思い返せば、

ブラームスも1858年のクリスマス休暇あたりまでは

グリム夫妻とアガーテの“三つ葉のクローバーたち“と

“四つ葉のクローバー“になって

楽しく過ごしたようですが、

翌年1月下旬の協奏曲公演付近からプランが狂ったのではないでしょうか。

 

グリムの結婚プッシュや、

協奏曲の公演で再会したヨアヒムから

クララのひどいうつ状態の話を聞いたでしょうし、

それを示すようにクララの連続コンサート欠席。

 

書簡集等に収録されている手紙では

この後、

裏で婚約解消もあり、

手紙は、

仲を修復したブラームスとクララの親しげなやり取りに飛んでいるので

(1859年11月にアヴェマリアの楽譜を送られたクララが大層喜んでいる)

何があったのかはわかりません。

 

ただ、クララの娘オイゲーニエの回想記に

この時期について書いていると思われる箇所があります。

 

報われない献身にけりをつけて去ったのは

仕方のないこととはいえ母(クララ)を傷つけた、と

ブラームスは自分を責め続け

決して乗り越えることはなかった

 

その自覚で、その後の彼はキツく見えたと

私たち子供は考えたけれど

母(クララ)は彼の変化が理解できず

友情は試されたが最後まで生き延びた

 

とあります。

 

その前の文章で

25歳のブラームスと35歳のブラームスは違って当然

という話があるので

献身から進むべき方向を変えたのは

アガーテと出会った頃を指すように感じました。

 

ブラームスが自分を責め続けたと

オイゲーニエが書くのは

それなりの確信があったからと考えました。

 

子供たちが一緒に過ごす中で感じる以外に

出版されなかったクララとブラームスの手紙の中に

それとわかる表現があったのかもしれません。

 

 まとめ

 

というわけで当時の作品と

ブラームスやクララの気持ちを手紙から想像してみました。

 

読み物として楽しんでいただければ幸いです。

 

 

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お読みくださりありがとうございました。

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