「天理教」は宗教か、真実の教えか -20ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

 ある天理教の教会長が書かれた手記を紹介いたします。教祖100年祭(1986(昭和61)年)の頃に書かれたものだと思われます。天理教における、ある末端の教会がどのようにして一布教師から生まれたのか、その様子がよくわかるものです。 個人情報もあるので、教会の名称、地域名は控えさせてもらいます。

 

 「私たちの小学生のころ、父は毎朝食卓につくたびに、「ああ、きょうももうけた、ありがたい」と、口ぐせのように、言っていた。一日また一日と寿命を伸ばしていただていることへの父なりの感謝の表現だった。

 父は二十代で肺結核をわずらい、あちらの病院こちらの医者とめぐり歩いたが、いっこうにはかばかしくなく、ついには医者の手放(てばな)れとなった。絶望のドン底に突き落とされて死を待つばかりの時、現在の上級00分教会の布教者にひろわれた。00分教会は捨て者同然の父の身をもらい受けてくれたのである。

 昭和12年、父は天理教校別科へ入学したが、以後、再発することもなく助けていただいた。

 同じころ、教会に父親のセキツイカリエスを助けてもらいたさに、父親の身代わりとなって別科へ入学し、別科修了後も教会で熱心に信仰に励んでいる娘がいた。それが私たちの母である。

 父母は00県の町の00町へ単独布教の旅に出た。まだ、天理教の教えの伝わっていない町だった。私たち兄妹はその地で生まれたが、あすをも知れぬ身上(*肉体のこと)だった父から、三男三女が生まれたのである。

 「もうけた・・・・・」という父のことばの中には、一日また一日と生かせてもらっているという心の底からの感謝があり、生命感の躍動が感じられる。

 父の思い出といっても子供のころのことしかない私だが、それでも毎朝食卓に向かってお礼を述べていた姿だけは、いまも瞼(まぶた)に焼きついて離れない。

 

  <つづく>

 

 

 研究者には知られているが、天理教は教祖時代だけでなく、その後、明治期においても新興の宗旨、「淫祠邪教」として既存の伝統宗教(浄土宗、真宗)の論客から論難・批判されたことは確かである。先行研究として、高野友治、金子圭介氏らが分析しているが、最近でも幡鎌一弘(2016)がかなり詳細な分析をされている。『おさしづ』でも明治26年9月1日に羽根田文明による批判書(『天理王弁妄』、明治26年出版)に対する対処を、神様に伺っている。 そこで本席様からいかなる言葉があったのか、これは興味の惹かれる議題である。 

  幡鎌氏の論考は実証的に当時の時代状況の中で、批判書が「貸しもの・借り物」(A Things lent, things borrowed)という天理教の根幹的な実践教理がいかに、当時の批判されたのかを分析し、逆に天理教の独自性・普遍性を浮かびあがらせたという意欲的な教理史の研究である。 むしろ「かしもの・かりもの」の思想は普遍性があるゆえに、批判の対象とはあまりならなかったという事実が発見されているのだ。

 「かしもの・かりもの」の思想とは天理教の専売特許のようなキーワードだが、すでに既存の宗教でもそれに匹敵するような思想は十分にあるということであり、普遍性が高い思想だとされる。 一言で、生かされていることへの感謝の念を意味する。禅宗でも神道でもキリスト教でも、イスラームでもこの思想が根底にあるだろう。今のコロナ禍でもキーワードである。  

 では、明治期において、いかなる教えが説かれていたのか、今と違う面があるのか、興味が尽きない。批判の中には天理教の教会組織の貧弱さ、教義の未整備、または品行の悪い信徒たちも大勢いたことが逆に分かってくる。過激な信仰態度で、既存の仏教者たちが驚き、信徒が奪われていることに危機感を抱いたことは無理ではない。またそれほど、天理教の信徒が爆発的に拡大して、社会に大きな脅威を与えたことが伺える。

 『天理教退治』(越南子、明治27年)は京都の浄土真宗の論者が書いたもので、200万人の信徒が騙されていると啓蒙している。この本では最後に、「深い道理も知らずして 嘘言といつわりでかためたる 世にも馬鹿げた天理教」などの囃子歌まで作っている。

 幡鎌(2016)では、明治29年に信徒313万人とも書かれている。信徒が膨れ上がり、その精神修養、丹精させることが肥大化する天理教の大問題どなったことだろう。 

 『天理教退治』 では、十柱の神々が教祖の口を通して顕現したことも書かれている。現在の経典では「われは元の神、実の神」というように表記されているが、正しくは、十柱の神々が天保9年の神がかりに際して、話されたことは、『復元』でも紹介されている。

 さらに『真理之裁判』(兼子道仙、明治23年)では、天理教の幹部に対するインタビューも掲載されており、これは一級の教理史を照らすエビデンスとなる。 

 同書で幹部として最初に出てくるのが、何と天理教会権少講義・茨木基敬である。明治15年の入信で、教祖から親しく教えをうけたことが分かる。また彼は教祖から大きな期待もかけられていたことが想定される。のちに啓示者・異端者として本部を追われる身となったが、当時、いかなることを話したのか、研究したい。 無我居士こと太田唯吉が信徒希望を理由に、茨木氏から天理教の教理を詳しく聞き、その内容を詳しき書き取り、これは荒唐無稽だと断罪する体裁をとっている。むしろ当時、説教師としてナンバーワンの茨木氏がいかに詳しく教理を説いたかが分かる内容である。本部において説教の予定だったこと、その説教を聞くために、他に7,8名も中山重吉の旅舎に来て話した。

 

引用文献

幡鎌一弘(2016)

https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/4022/OYS002204.pdf

『天理教退治』 

 

 

『真理の裁判』

 

 

 

 

 

 

 

 天理教では、教祖の雛型を辿ることが信仰の眼目にあり、信仰者は等しく、『稿本天理教教祖伝』を拝読する。その中で、中山家が貧のどん底に陥る道程が最初に描かれている。これは確かな史実である。貧者にひたすら恵み、庄屋だった中山家の没落として描かれる。母屋取りこぼしというハイライトの場面では、さすがの善兵衛さんも面目丸つぶれだ。いくら神の言うことでも、妻に入り込んだ厄病神には相当参ったのであった。

 東大の元教授の島薗進氏などは、教祖の宗教活動で人生の後半から救済活動として始まることを重視して、次第に宗教者としての人間的な自覚ができたのであったという人間中心的な理解をされている。天保9年の神がかり以降、目立った宗教活動はなく、教祖は内倉で誰かと話していたことが伝わっているだけである。長い月日がたち、表立った救済活動が外部に広がる中で、迫害弾圧も幕末維新期、明治政府からなされる。国家権力との対立があり、それは教祖も狙っていたことであった。

  神ならすぐに救済活動ができるし、すべきというのが島薗教授の神観念である。これは信仰者ではない、外部からの視角である。

信仰者、教祖の心の内がいかなるものであったのか、考察しないといけない。

 「貧に落ちきる道」は「コロナ感染下の不自由暮らし」と関係している。「貧に落ちきる道」は、財産とか土地だとか人間が頼って来たものを超える精神の世界を体験させる道である。財産や社会的名誉だとか、世間的なまなざしだとか、それら一切を超えた世界に教祖(おやさま)の心はむしろ自由であった。形を超えた楽々の道を楽しまれたに違いない。喜んで、お米を布施し、屋敷や田畑も売り払っていったのであろう。その後、救済の不思議な助けが顕現するまで、20年ほどの間が「貧のどん底」への長い「いばら苦労」と言われる。その時の教祖のお気持ちは想像するしかない。しかし、信心する信仰者の目から見ると、教祖は日々に喜ばれていた、神様の広大な守護を余すことなく感じた日々を送られていたに違いないと思われる。

 土地も財産も借り物である。自己の先祖伝来の私有物だと思っていたら、全く喜べない事態である。私有物の観念こそは、資本主義の原点でもあるし、資本主義の起源であるが、教祖の考えは、原始共産制の構想に近い。人も物も自然も宇宙もすべて借り物であり、神の貸しモノという思想である。これは人類がこれまで考えもしなかった究極の真理である。

 カーボン・ニュートラルが求められ、地球温暖化は喫緊の課題であり、SDGsの課題事項でもある。地球の環境、ガイアが病んでいる。神の貸しモノの天然自然の世界が再生可能性を脅かされいる。

 コロナ感染は巨大な神様からの仕込みであり、今は「貧に落ちきる道」を人類一同に仕込まれている。ステイホームでも、人ひとりの肉体の守護に変わりはない。心通りに守護される神様が地場を通じて現れた。心はどこまでの主体性をもって自由である。その自由こそは神様の理があることを信じることから生まれる。喜んで通っていきたいと存じます。キレイに今年の心の掃除をして、新年を迎えたい。

お地場2020年10月ころ

 

 

 

 

 

 

 

秋篠宮家の長女、眞子内親王の結婚願望に関して、国民感情的にSNSではかなりの反論がなされている。

これは皇室制度そのもの土台を揺るがしかねないと感じた宮内庁長官の異例の発言にもなった。

以下参照。

「宮内庁長官 小室圭さんに「異例の苦言」も破談の可能性はゼロ」

 

 

 

「秋篠宮さま消えぬ佳代さんへの不信 挙式費用話し合いも難航か」

 

 

 娘との疎遠の要因が結婚問題であり、家庭内で治めきれなくなった秋篠宮様は「立皇嗣の礼」を終えると、足元の問題とした娘の結婚を容認する発言をされた。しかし婚約式にあたる納采の儀は別問題だという。おそらく国費が投入される納采の儀の支出に、金銭トラブルの説明をしてこない小室家が説明責任がないことがネックとなっている。小室圭さんの母親の元婚約者Aさんは、400万円の借金で圭君の結婚問題がこじれるのは申し訳ないと、借金問題は問わないと言明した。これで金銭問題を要求してきたトラブルは事実上なくなったのだ。

 しかし、金銭トラブルを抱えていたことを隠していたこと、借りれるものに頼って無自覚な小室家側に対する国民感情の火はますます燃えさかっている。そのような背景の家の人との結婚に、国費がこれから投じられる。借金問題で長年苦しんでいた小室家は濡れ手に粟ということに、週刊誌からの追求の目は鋭い。

 『人のモノ借りたるならば利がいるで 早く返済礼を言うなり』

 これは教祖(おやさま)のお詞であり、普遍的な真理である。借金は返すものであり、売掛金が回収できれなければ商人は生計が立たない。奨学金は返済すべきものである。住宅ローンは返さないといけない。400万円の借金はふみたおしのかたちになった。これから国費が投じられて、それで返済されるかもしれないが、それはもともと税金から来たものである。国会議員の収支報告書でも虚偽の記載が多く見つかり、岩井奉信先生(日本大学)も由々しき事態だとNHKで発言されていた。

 金銭は形の中でのもっとも明確な形式をとっているモノである。形の世界、有形の世界は一人でに成り立ったものではなく、その背後に目に見えぬ親神の無限の御守護、働きがあっての世界と人間である。人から善意の資金を当たり前のようにもらう、その賤しい根性に、国民感情の怒りがある。さらには神仏への感謝報恩の念が求められるが、小室家側にはそういった皇室ゆかりの精神性にそぐわないものがあり、これが感情の火に油を注げ根源なのではないかと考えられる。

 日本の皇室は世界最古のロイヤルファミリーであり、政治的権力でも財界的権威でもない。むしろ日本文化の精神的な統合原理をになうものとして、その精神的な永続性がその核にある。

  眞子内親王のこの愚かな問題の元は、秋篠宮家の問題であった。天皇家の次男坊としての本人の資質の問題にも起因している。紀子様との自由恋愛で結婚され、好き勝手ななまずの研究でタイ王室をひいきにするなどあった。無責任な次男は大嘗祭の国費を批判するなど、つまらぬ金銭問題で国威に関する観念に欠けている。悠仁様の帝王学にも財政支出を遠慮されるなど、将来・未来への視座に欠けている。家庭の治め方、家の問題は、両親の問題である。日本における家庭内の治め方が鏡として映し出されている。

 皇統の男子相続の歴史からは、悠仁様が未来の天皇候補だろうが、その育ち方が大問題となっている。天皇家の聡明な愛子様の女帝待望論も国民感情として高い。これはさらに根の深い皇室の継続に関する大問題である。  

 

 さて、地場の中山家の中でも、親がしっかり子供を育てていかないといけないことは明白である。

 

 三笠宮様二代真柱は大変に深い関係性にあった。皇室と地場の理との親縁な関係性は神様が守護する理の組織として、考察したいい。 

天理教の啓示書である『おふでき』は和歌体で筆記されたもので、啓示書が和歌体で書かれた意味についてどのように考えればよいのだろうか。『和歌文学大辞典』の編集委員の一人である、東京大学文学部の渡部泰明教授は、和歌が800年続いた理由として、「演技」「連想」「祈り」「境界」の4つの言葉をキーワードとされている(参照:

 

 

)。

 この中で、特に「祈り」の面に注目したい。そこでの祈りとはおそらく、人が神仏への祈願をするという意味での「祈り」が含意されていると思われる。和歌という文学の表現形式に宗教性があることが少なくとも分かり、中世の貴族たちの宗教性を理解する際に、和歌の研究が必要かと思われる。渡部先生の恩師で、この度、2020年11月に文化勲章を受勲された久保淳元東大教授のご研究も参照されねばならないだろう。

 さて、文学研究は中世の歌人の心を探求するものだが、啓示書である『おふでさき』はその大半が和歌体であり、執筆者である教祖(おやさま)が何を意図されたかが探究されねばならない。啓示言語の意味は、目に見えぬ神・月日(つきひ)が教祖の肉体を借りて、その意図・神意を自ら開示したということである。和歌体で筆記されているが、そこには通常の人間にはできない表現形式であること、それも800年前から続く和歌形式が利用されたことに大きな神意が感じられる。

 『おふでさき』1711首を人間の作と考えるか、神意の発露ととらえるかで、見えてくる景色・世界観は全く異なったものになる。我々はあくまで、信仰者として和歌体に込められた神意が何であるかを探求したい。

 本席様においては、和歌体の啓示があったのかは不明である。少なくとも口頭で発話されたご啓示が『おさしづ』本として編纂されている。その後、裏の道として、歴代の啓示者たち(機械)が残されている啓示言語でも、和歌体での啓示形式も含まれている。そこには人間技ではないことが含意されているのだろうと推定される。

 機械の概念については、繰り返しになるが、改めて定義する。

 「機械」とは、存命の教祖の理を体現し、無形のおやの思惑を伝達する啓示者として定義する。天理教から分かれた分派・異端の啓示は多々あるが、どれも地場の理を伝えるものではなく、本ブログの射程外であることを再度強調する。 飯田岩次郎の子孫が継承する大道教とか、大西愛次郎の「ほんみち」など、地場の理を否定する啓示は異端・破綻である。   

 教祖(おやさま、中山みき)がもちろん初代の機械であり、夫善兵衛によって神の機械として認定され、「月日の社(やしろ)」の称号を受けた。

 飯降伊蔵は、初代真柱の真之亮(中山新治郎)によって、神の機械として認定され、「本席」の称号を受けた。

 さて、機械の同時代的複数性の可能性について付言したい。教祖の娘の中山こかんさんが、「若き神」と呼称され、筆写されたものは残っていないようだが、機械でもあったことが想定される。 

 「別間へだて」とは教祖とは別人格の人間が教祖と同列の仕事をしたことを意味している。

 

 さて、和歌体『おふでさき』の冒頭の3首をここで注釈したい。明治2年(1869)年正月、72歳の時の御執筆である。

 

よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから (1-1)

そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや (1-2)

このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする (1-3)

 

1.空間的・時間的にすべてを俯瞰している実在からの発言がここにある。有形をこえた無形の実在者が全宇宙を見ているのである。全知全能の実在者がいる、その実在者の心を分かっている者は一人もこの地球上にはいないということである。人間世界を創造し、根源者であり、守護をしている実在がいて、実際に働いている。人間は無自覚で生きてきたが、いかなる宗教・信条があっても、それらを超越して実在する親なる神がいる、その神の心を知っている人類は一人もいないという第一の宣言である。これは1869年の教祖ご在世の時だけではない、今でも妥当する真理である。デジタル化が進んで、多くの情報があふれていても、真実の神の心を知っている人類は誰もいないという神の言明である。 人間は根本的に神を知ることはできない。神が自らを開示しなければ、知りようもないのである。おそらく、教祖の在世中、教祖の神意を本当に分かったのは、飯降伊蔵だけであったと思われる。 道元から孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師との関係と似ている。

 

2.神が説いて聞かせるとは、神意を伝える人物が想定され、その人物を信じなけれは、神意は決して分からないということである。天保9年の神がかり以来、教祖は神の機械となり、月日の社となった。だがそれは貧に落ちきる道であり、夫善兵衛さんには全く理解できない道中であった。世間の因習や常識を超えたが教祖の仰せ、行動には親族も離れざるを得なかった。貧に落ちきる道、有形世界に頼らぬ道、現代的にはコロナ感染禍の中での不自由の中で、目に見えぬ理を頼りに生きてきたのが教祖の姿である。神意に関して人間は絶対的に無知であり、無信仰である。これは神の現状認識であるが、その現状に甘んじている神ではない。世界人類にその思惑、理の所在、理の道、人間が生きるべき道を伝えたいのである。

 

3.神が表に現れるとは何を意味するのか。貧に落ちきる道を教祖が進まれるのを見て、だれが神がこの世の現れていると思っただろうか。中山家が貧のどん底に至る道こそは、神の現れの一行程であった。神が現れるなら、人が救わて、疫病がなくなって、人類がもっと幸せになればよいのにと神義論的に人間は考察する。しかし、それは人間が考える神であって、神の思惑は誰にも分っていない。中山家は悪因縁によって、このままだと一家断絶、根絶やしなる宿命があった。未来が分かっている神には、人間一条から神一条への精神の建て替えが人間の側に求められ、教祖は素直に従ったのである。

 

 さて、神の現れは教祖の肉体を通じて50年にも及ぶ雛型が残された。神の現れは、貧に落ちきる道、大和神社事件での信者の離散、官憲による迫害弾圧という「いばら苦労の道」であり、決して生易しいものではなかった。神の現れは、教祖の肉体を通じて神意の発現・行動として見える化した。 さらに『おふでさき』の和歌に、「みかぐら歌」の宗教儀礼にも神の現れが見える化した。 

 

 神の現れは、教祖亡きあとには、本席の御生涯と啓示にも表出された。神の現れは、さらにその後の歴代の機械たちによっても100年以上続ている。神の現れとは永遠に持続する神の思惑を表出するシステムの持続性をも暗示している。そのように本ブログは主張する。

 目下のコロナ感染の拡大する世界も巨大な神様の思惑がかかっての目に見えぬ病原体の拡散である。 目に見えないコロナはPCR検査である程度判明するかもしれないが、目に見えぬ神の大きな思惑こそに私たちは敏感でなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 コロナ感染が文化圏ごとに異なる広がりを見ているらしいという見解が、ホフステードの息子によって記述されている。以下参照。

 

 

 

日本国内でも岩手県が感染者数0であり続けたし、都内でも奥多摩町、檜原村、島嶼地区では極めて少ない。

 

 

奈良県の感染者数は1000人程度、天理市でもちょくちょく発生している。

 

 
NHKの日本の感染者数の集計

 

 

  論文がどれだけ引用されるかで、学者としての評価を決めるソフトがある。その”Publish or Perish” を超える新たな取り組みが、実はなされいることが分かった。以下、京都大学の「新たな成果公開の方法に挑戦したり、オープンサイエンスを実践したい!」

 のサイトを引用し、今後の研究発表の在り方として参考にしたい。

  

 

 参考までに『Publish or Perish』 は英語圏で広がっていて、英語帝国主義的な学問の覇権を益々増長させている。

この著者は、オランダ出身で、メルボルン大学にも長くいて、今はロンドンのMiddlesex大(MDX)の国際経営学の著名な女性教授

である、Anne-Wil Harzingさんである。グローバル企業における言語の問題、グローバル企業の海外現地トップの国籍の在り方に関する優れた論文(Who is in charge ?)を書かれている。既存の研究のレビューがうまく、研究方法の仕方の専門家にもなったらしい。

 AIB(Academy of Internatinal Business)のFellow(理事)でもあり、彼女の論文はGoogle Scholar で17,000回も引用されている、Business-Economics分野のトップ1%の研究者だという。しかし、引用されない論文はクズ(perish)という呪縛から、上記の取り組みがなされた。  

 ノーベル経済学賞をとったRonald Coarseの論文("Nature of the firm"など)は5万回引用されている。こちらは、なるほど、企業の境界をめぐる新しい経済学の理論を作った記念碑的な論文である。 "Nature of the firm"は、undergraduateの時に書いたというから驚きである。

 世界の人に読まれるために、

  1.英語で発表する。

  2.引用される論文を書く。 

これがまず研究者に課せられた世界標準の作法とされる。しかし、引用されずとも貴重な研究はあり、非英語圏の研究もたくさんある。そうした研究や書籍、機関に所属せずとも研究を公開する方法として、上記の京都大学で紹介された取り組みがあるようだ。  

 大変参考になりました。

 

 上記の京都大が紹介したレベッカの取り組みは以下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ご本部の月次祭は信徒を避けて、関係者だけで11月26日も実施されたことだろう。

パンデミックの平癒と世界平和が祈られたことは間違いない中、感染拡大は国内でも海外でも懸念されている。ヨーロッパでは第二波の急拡大の山が下り坂へ、アメリカはまた拡大へ、日本・韓国では夜間の飲食時間が制限へ。

 女性の引きこもりに注目が集まり、家庭内暴力の増大、自殺者の増大、失業者の増大、ホームレス化した人、社会的弱者のさらなる困窮など、救済を望む人たちが一層増えていることは確かである。不安で外出ができなくなって、精神的に不安定、異常な心理に陥るなど、人間の心の弱さが各所で見られる。

 形や現象の世界を見るだけでは、喜べない状況が続いていることは確かである。だがそれは通常の人間の心理であり、理を知り、神の所在を知り、神の守護を知るもの、信じる者にとって、事実を如何に受け取っているのかが問題である。信仰者としての信心の在り方が第一に問われる。

 心配や不安や先案じがあるのか。それは人間の習いだが、形の背後にある大きな親心、神様の思惑があることが信じられるならば、そうした人間心の常識を払しょくして、理の視点、魂の視点に立たねばならない。信仰心の錬磨がどれだけできるか。試しの事情である。

 神様はあるし、過去も守護されてきたし、未来も今も十分に守護されている。人間の肉体、自然現象はじめて森羅万象をつかさどる元の神、実の神がおられる。地場を通じて現れた神が、教祖や本席の肉体を通じて語られた言葉が今でもだれでもアクセスできるのである。

 現象世界に一喜一憂するのではなく、現象の奥に存在する永遠の神の心の所在を信じなければ、心の平安は確立できない。

 パンデミックは人類が経験したことのない世界同時発生的な巨大な教育である。お仕込みをであることは間違いない。あの時、あれがあって世界はその後このように激変したという。未来から見たら、今はそのよう激変期なのである。

 平成から令和へと代替わりを告げる令和の新時代にまさにこのパンデミックが世界で広がった。パンデミックは永遠につづくものではない。真に実在して、永遠なる実在が、このパンデミックの背後におられる。パンデミックの中でも新たな生命は誕生して、次世代の人類たちが続々と生まれていて、私たちの文明を次世代へ継承していかねばならない。

  真実に持続的に陽気暮らし文明が東洋のこの地から世界へと広がっていく時代の胎動がうごめき始めている。そのための大掃除の時旬である。この大掃除の時旬を勇んで、大きな心になって乗り越えていこう。

 デジタルトランスフォーメーションが進む中で、理のヒエラルキーが先鋭化し、理の光のもとに世界一列を治めていく時代が次第に切り開かれるよう、神様は大掃除をされているのだ。  

日本学術会議の委員に推薦された学者の中で、6名が首相によって、拒否された問題は連日報道されている通りである。

日本宗教学会が推薦した芦田先生も任命拒否された一人である。 日本宗教学会が緊急理事会を開催して、以下の声明を出した。

 

1】日本学術会議新会員の任命拒否問題について
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 広く報道されていますように、このほど日本学術会議が新会員に推薦した方々のうち、人文社会系の研究者6名が任命されないという異例の事態が発生しました。任命されなかった方のお一人は本学会の役員を長く務められて来られた方です。このことは、本学会として看過できないと考え、緊急に理事会を開催して対応を審議し、「日本学術会議新規会員の任命拒否問題に関する声明」を学会ホームページ上に公開しました。

 >> http://jpars.org/archives/4510 <<

今後も、関係諸方面と連携しつつ、学会として適切に対応していく所存です。会員各位の関心を喚起させていただきます。

                              鶴岡賀雄

 

 

 

 日本学術会議は内閣府の予算のもとにあり、学術振興予算を決める権限を有している。その人事権は国にあることが元々なので、国から完全に独立した機関ではない。そのため、国家の意向に沿わない思想・信条の学者は排除される可能性はもともとあったわけである。

 

 ひるがえって回顧して、明治政府から、天理教が明治初期にいかに弾圧されたか。教祖が何度、監獄にご苦労されたか。親神は何度もご啓示から、「律が怖いか、神が怖いか」と問うた。「心定めが第一」というのが、法律を超えた神の思惑であり、人間に残された最後の砦である。形は、囚人扱いとしても、心の錦は誰にも負けない。それが教祖の実像である。  

 学問の自由の問題が、今話題となっている。戦前も国家機関説で美濃部博士が軍国主義者から非国民扱いされたり、その他、多くの筆禍事件もあった。その時代に比べたら、自由化・民主化した現在である。とはいえ、冷酷な6名の任命拒否の背後にある、国家の頑強な意志に、人間心を曇らせていけない。人の心はどこまでも自由であり、その自由を守護する神がいることを、この道は教えている。

  実りの秋、秋を合図に始め掛け。いよいよ大祭月となりました。  うかうかすることなく、この大きな世界の大掃除の事情の中を勇んで通りたい。    

明治20年3月11日(陰暦2月17日)から25日までの連続したご啓示での神意とは何か、日をおって理の思案を進めよう。

 

明治20年3月11日 午後7時

 「・・廣い世界の元なれば、廣いだけの事をなさねばならん。さあ/乀種苗、苗代は、元のぢば。修理肥は誰がする/乀/乀/乀。遠い所より種を蒔きに来る。種を蒔いたら肥をせねばなろうまい。・・」

 

 この道は神直接のご啓示から始まった救済の道である。世界の難儀や不自由の元は何か、助かりたい人のマーケットは無尽蔵である。世界からぢばへ、救いを求めて帰参してくるのである。その人たちを救うのは、だれか。それはほかならぬ、この伊蔵に入り込む神である。そのようなことが、この比喩的な言辞から伺える。精神次元における人間の成人、心の成長をするには肥が必要である。世界から肥を求めて地場に人々が遠いところから運ぶことが言われている。

 

 

明治20年3月11日 午後12時

 「山を刳り抜かねば、ろくぢでない。さあさあ刳り抜くで、刳り抜くで。・・・」

 

 これは世界の不平等な状態を平らにしていくことの預言である。 コロナ禍の鬱積した人心の中で、アジア系への暴力が広がっている。こうした差別は許されるものではない。 不平等という巨大な山、大きな困難が広がっている。北朝鮮のような人権無視の国がいまだにあるが、神様も見ていらないほどであろう。教祖が亡くなって本部の人たちの精神状態はどん底のままである。このような中で、世界の行方になど関心もない中である。それでも神様は今後の世界をどう変えていくか、その匂いを預言として語っている。