「天理教」は宗教か、真実の教えか -20ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

天理教の啓示書である『おふでき』は和歌体で筆記されたもので、啓示書が和歌体で書かれた意味についてどのように考えればよいのだろうか。『和歌文学大辞典』の編集委員の一人である、東京大学文学部の渡部泰明教授は、和歌が800年続いた理由として、「演技」「連想」「祈り」「境界」の4つの言葉をキーワードとされている(参照:

 

 

)。

 この中で、特に「祈り」の面に注目したい。そこでの祈りとはおそらく、人が神仏への祈願をするという意味での「祈り」が含意されていると思われる。和歌という文学の表現形式に宗教性があることが少なくとも分かり、中世の貴族たちの宗教性を理解する際に、和歌の研究が必要かと思われる。渡部先生の恩師で、この度、2020年11月に文化勲章を受勲された久保淳元東大教授のご研究も参照されねばならないだろう。

 さて、文学研究は中世の歌人の心を探求するものだが、啓示書である『おふでさき』はその大半が和歌体であり、執筆者である教祖(おやさま)が何を意図されたかが探究されねばならない。啓示言語の意味は、目に見えぬ神・月日(つきひ)が教祖の肉体を借りて、その意図・神意を自ら開示したということである。和歌体で筆記されているが、そこには通常の人間にはできない表現形式であること、それも800年前から続く和歌形式が利用されたことに大きな神意が感じられる。

 『おふでさき』1711首を人間の作と考えるか、神意の発露ととらえるかで、見えてくる景色・世界観は全く異なったものになる。我々はあくまで、信仰者として和歌体に込められた神意が何であるかを探求したい。

 本席様においては、和歌体の啓示があったのかは不明である。少なくとも口頭で発話されたご啓示が『おさしづ』本として編纂されている。その後、裏の道として、歴代の啓示者たち(機械)が残されている啓示言語でも、和歌体での啓示形式も含まれている。そこには人間技ではないことが含意されているのだろうと推定される。

 機械の概念については、繰り返しになるが、改めて定義する。

 「機械」とは、存命の教祖の理を体現し、無形のおやの思惑を伝達する啓示者として定義する。天理教から分かれた分派・異端の啓示は多々あるが、どれも地場の理を伝えるものではなく、本ブログの射程外であることを再度強調する。 飯田岩次郎の子孫が継承する大道教とか、大西愛次郎の「ほんみち」など、地場の理を否定する啓示は異端・破綻である。   

 教祖(おやさま、中山みき)がもちろん初代の機械であり、夫善兵衛によって神の機械として認定され、「月日の社(やしろ)」の称号を受けた。

 飯降伊蔵は、初代真柱の真之亮(中山新治郎)によって、神の機械として認定され、「本席」の称号を受けた。

 さて、機械の同時代的複数性の可能性について付言したい。教祖の娘の中山こかんさんが、「若き神」と呼称され、筆写されたものは残っていないようだが、機械でもあったことが想定される。 

 「別間へだて」とは教祖とは別人格の人間が教祖と同列の仕事をしたことを意味している。

 

 さて、和歌体『おふでさき』の冒頭の3首をここで注釈したい。明治2年(1869)年正月、72歳の時の御執筆である。

 

よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから (1-1)

そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや (1-2)

このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする (1-3)

 

1.空間的・時間的にすべてを俯瞰している実在からの発言がここにある。有形をこえた無形の実在者が全宇宙を見ているのである。全知全能の実在者がいる、その実在者の心を分かっている者は一人もこの地球上にはいないということである。人間世界を創造し、根源者であり、守護をしている実在がいて、実際に働いている。人間は無自覚で生きてきたが、いかなる宗教・信条があっても、それらを超越して実在する親なる神がいる、その神の心を知っている人類は一人もいないという第一の宣言である。これは1869年の教祖ご在世の時だけではない、今でも妥当する真理である。デジタル化が進んで、多くの情報があふれていても、真実の神の心を知っている人類は誰もいないという神の言明である。 人間は根本的に神を知ることはできない。神が自らを開示しなければ、知りようもないのである。おそらく、教祖の在世中、教祖の神意を本当に分かったのは、飯降伊蔵だけであったと思われる。 道元から孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師との関係と似ている。

 

2.神が説いて聞かせるとは、神意を伝える人物が想定され、その人物を信じなけれは、神意は決して分からないということである。天保9年の神がかり以来、教祖は神の機械となり、月日の社となった。だがそれは貧に落ちきる道であり、夫善兵衛さんには全く理解できない道中であった。世間の因習や常識を超えたが教祖の仰せ、行動には親族も離れざるを得なかった。貧に落ちきる道、有形世界に頼らぬ道、現代的にはコロナ感染禍の中での不自由の中で、目に見えぬ理を頼りに生きてきたのが教祖の姿である。神意に関して人間は絶対的に無知であり、無信仰である。これは神の現状認識であるが、その現状に甘んじている神ではない。世界人類にその思惑、理の所在、理の道、人間が生きるべき道を伝えたいのである。

 

3.神が表に現れるとは何を意味するのか。貧に落ちきる道を教祖が進まれるのを見て、だれが神がこの世の現れていると思っただろうか。中山家が貧のどん底に至る道こそは、神の現れの一行程であった。神が現れるなら、人が救わて、疫病がなくなって、人類がもっと幸せになればよいのにと神義論的に人間は考察する。しかし、それは人間が考える神であって、神の思惑は誰にも分っていない。中山家は悪因縁によって、このままだと一家断絶、根絶やしなる宿命があった。未来が分かっている神には、人間一条から神一条への精神の建て替えが人間の側に求められ、教祖は素直に従ったのである。

 

 さて、神の現れは教祖の肉体を通じて50年にも及ぶ雛型が残された。神の現れは、貧に落ちきる道、大和神社事件での信者の離散、官憲による迫害弾圧という「いばら苦労の道」であり、決して生易しいものではなかった。神の現れは、教祖の肉体を通じて神意の発現・行動として見える化した。 さらに『おふでさき』の和歌に、「みかぐら歌」の宗教儀礼にも神の現れが見える化した。 

 

 神の現れは、教祖亡きあとには、本席の御生涯と啓示にも表出された。神の現れは、さらにその後の歴代の機械たちによっても100年以上続ている。神の現れとは永遠に持続する神の思惑を表出するシステムの持続性をも暗示している。そのように本ブログは主張する。

 目下のコロナ感染の拡大する世界も巨大な神様の思惑がかかっての目に見えぬ病原体の拡散である。 目に見えないコロナはPCR検査である程度判明するかもしれないが、目に見えぬ神の大きな思惑こそに私たちは敏感でなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 コロナ感染が文化圏ごとに異なる広がりを見ているらしいという見解が、ホフステードの息子によって記述されている。以下参照。

 

 

 

日本国内でも岩手県が感染者数0であり続けたし、都内でも奥多摩町、檜原村、島嶼地区では極めて少ない。

 

 

奈良県の感染者数は1000人程度、天理市でもちょくちょく発生している。

 

 
NHKの日本の感染者数の集計

 

 

  論文がどれだけ引用されるかで、学者としての評価を決めるソフトがある。その”Publish or Perish” を超える新たな取り組みが、実はなされいることが分かった。以下、京都大学の「新たな成果公開の方法に挑戦したり、オープンサイエンスを実践したい!」

 のサイトを引用し、今後の研究発表の在り方として参考にしたい。

  

 

 参考までに『Publish or Perish』 は英語圏で広がっていて、英語帝国主義的な学問の覇権を益々増長させている。

この著者は、オランダ出身で、メルボルン大学にも長くいて、今はロンドンのMiddlesex大(MDX)の国際経営学の著名な女性教授

である、Anne-Wil Harzingさんである。グローバル企業における言語の問題、グローバル企業の海外現地トップの国籍の在り方に関する優れた論文(Who is in charge ?)を書かれている。既存の研究のレビューがうまく、研究方法の仕方の専門家にもなったらしい。

 AIB(Academy of Internatinal Business)のFellow(理事)でもあり、彼女の論文はGoogle Scholar で17,000回も引用されている、Business-Economics分野のトップ1%の研究者だという。しかし、引用されない論文はクズ(perish)という呪縛から、上記の取り組みがなされた。  

 ノーベル経済学賞をとったRonald Coarseの論文("Nature of the firm"など)は5万回引用されている。こちらは、なるほど、企業の境界をめぐる新しい経済学の理論を作った記念碑的な論文である。 "Nature of the firm"は、undergraduateの時に書いたというから驚きである。

 世界の人に読まれるために、

  1.英語で発表する。

  2.引用される論文を書く。 

これがまず研究者に課せられた世界標準の作法とされる。しかし、引用されずとも貴重な研究はあり、非英語圏の研究もたくさんある。そうした研究や書籍、機関に所属せずとも研究を公開する方法として、上記の京都大学で紹介された取り組みがあるようだ。  

 大変参考になりました。

 

 上記の京都大が紹介したレベッカの取り組みは以下。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ご本部の月次祭は信徒を避けて、関係者だけで11月26日も実施されたことだろう。

パンデミックの平癒と世界平和が祈られたことは間違いない中、感染拡大は国内でも海外でも懸念されている。ヨーロッパでは第二波の急拡大の山が下り坂へ、アメリカはまた拡大へ、日本・韓国では夜間の飲食時間が制限へ。

 女性の引きこもりに注目が集まり、家庭内暴力の増大、自殺者の増大、失業者の増大、ホームレス化した人、社会的弱者のさらなる困窮など、救済を望む人たちが一層増えていることは確かである。不安で外出ができなくなって、精神的に不安定、異常な心理に陥るなど、人間の心の弱さが各所で見られる。

 形や現象の世界を見るだけでは、喜べない状況が続いていることは確かである。だがそれは通常の人間の心理であり、理を知り、神の所在を知り、神の守護を知るもの、信じる者にとって、事実を如何に受け取っているのかが問題である。信仰者としての信心の在り方が第一に問われる。

 心配や不安や先案じがあるのか。それは人間の習いだが、形の背後にある大きな親心、神様の思惑があることが信じられるならば、そうした人間心の常識を払しょくして、理の視点、魂の視点に立たねばならない。信仰心の錬磨がどれだけできるか。試しの事情である。

 神様はあるし、過去も守護されてきたし、未来も今も十分に守護されている。人間の肉体、自然現象はじめて森羅万象をつかさどる元の神、実の神がおられる。地場を通じて現れた神が、教祖や本席の肉体を通じて語られた言葉が今でもだれでもアクセスできるのである。

 現象世界に一喜一憂するのではなく、現象の奥に存在する永遠の神の心の所在を信じなければ、心の平安は確立できない。

 パンデミックは人類が経験したことのない世界同時発生的な巨大な教育である。お仕込みをであることは間違いない。あの時、あれがあって世界はその後このように激変したという。未来から見たら、今はそのよう激変期なのである。

 平成から令和へと代替わりを告げる令和の新時代にまさにこのパンデミックが世界で広がった。パンデミックは永遠につづくものではない。真に実在して、永遠なる実在が、このパンデミックの背後におられる。パンデミックの中でも新たな生命は誕生して、次世代の人類たちが続々と生まれていて、私たちの文明を次世代へ継承していかねばならない。

  真実に持続的に陽気暮らし文明が東洋のこの地から世界へと広がっていく時代の胎動がうごめき始めている。そのための大掃除の時旬である。この大掃除の時旬を勇んで、大きな心になって乗り越えていこう。

 デジタルトランスフォーメーションが進む中で、理のヒエラルキーが先鋭化し、理の光のもとに世界一列を治めていく時代が次第に切り開かれるよう、神様は大掃除をされているのだ。  

日本学術会議の委員に推薦された学者の中で、6名が首相によって、拒否された問題は連日報道されている通りである。

日本宗教学会が推薦した芦田先生も任命拒否された一人である。 日本宗教学会が緊急理事会を開催して、以下の声明を出した。

 

1】日本学術会議新会員の任命拒否問題について
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 広く報道されていますように、このほど日本学術会議が新会員に推薦した方々のうち、人文社会系の研究者6名が任命されないという異例の事態が発生しました。任命されなかった方のお一人は本学会の役員を長く務められて来られた方です。このことは、本学会として看過できないと考え、緊急に理事会を開催して対応を審議し、「日本学術会議新規会員の任命拒否問題に関する声明」を学会ホームページ上に公開しました。

 >> http://jpars.org/archives/4510 <<

今後も、関係諸方面と連携しつつ、学会として適切に対応していく所存です。会員各位の関心を喚起させていただきます。

                              鶴岡賀雄

 

 

 

 日本学術会議は内閣府の予算のもとにあり、学術振興予算を決める権限を有している。その人事権は国にあることが元々なので、国から完全に独立した機関ではない。そのため、国家の意向に沿わない思想・信条の学者は排除される可能性はもともとあったわけである。

 

 ひるがえって回顧して、明治政府から、天理教が明治初期にいかに弾圧されたか。教祖が何度、監獄にご苦労されたか。親神は何度もご啓示から、「律が怖いか、神が怖いか」と問うた。「心定めが第一」というのが、法律を超えた神の思惑であり、人間に残された最後の砦である。形は、囚人扱いとしても、心の錦は誰にも負けない。それが教祖の実像である。  

 学問の自由の問題が、今話題となっている。戦前も国家機関説で美濃部博士が軍国主義者から非国民扱いされたり、その他、多くの筆禍事件もあった。その時代に比べたら、自由化・民主化した現在である。とはいえ、冷酷な6名の任命拒否の背後にある、国家の頑強な意志に、人間心を曇らせていけない。人の心はどこまでも自由であり、その自由を守護する神がいることを、この道は教えている。

  実りの秋、秋を合図に始め掛け。いよいよ大祭月となりました。  うかうかすることなく、この大きな世界の大掃除の事情の中を勇んで通りたい。    

明治20年3月11日(陰暦2月17日)から25日までの連続したご啓示での神意とは何か、日をおって理の思案を進めよう。

 

明治20年3月11日 午後7時

 「・・廣い世界の元なれば、廣いだけの事をなさねばならん。さあ/乀種苗、苗代は、元のぢば。修理肥は誰がする/乀/乀/乀。遠い所より種を蒔きに来る。種を蒔いたら肥をせねばなろうまい。・・」

 

 この道は神直接のご啓示から始まった救済の道である。世界の難儀や不自由の元は何か、助かりたい人のマーケットは無尽蔵である。世界からぢばへ、救いを求めて帰参してくるのである。その人たちを救うのは、だれか。それはほかならぬ、この伊蔵に入り込む神である。そのようなことが、この比喩的な言辞から伺える。精神次元における人間の成人、心の成長をするには肥が必要である。世界から肥を求めて地場に人々が遠いところから運ぶことが言われている。

 

 

明治20年3月11日 午後12時

 「山を刳り抜かねば、ろくぢでない。さあさあ刳り抜くで、刳り抜くで。・・・」

 

 これは世界の不平等な状態を平らにしていくことの預言である。 コロナ禍の鬱積した人心の中で、アジア系への暴力が広がっている。こうした差別は許されるものではない。 不平等という巨大な山、大きな困難が広がっている。北朝鮮のような人権無視の国がいまだにあるが、神様も見ていらないほどであろう。教祖が亡くなって本部の人たちの精神状態はどん底のままである。このような中で、世界の行方になど関心もない中である。それでも神様は今後の世界をどう変えていくか、その匂いを預言として語っている。

 

 

明治20年3月4日(陰暦2月10日) 刻限御話

 「何も分からん、分からん中より一寸始め掛ける。さあ何を聞くやら何を見るやら分からん。

 何を聞いても見ても、一寸も心に掛けるやない。皆神の働き。よう聞き分けるがよい。」

 

 教祖が亡くなり、その葬儀も終わり、まだ皆意気消沈とした地場の事情中である。世界を平らにするために、教祖が亡くなったこと、これ自体も何も分からなかった。ただただ形の教祖が亡くなったことへの喪失感ばかりが先行して、人間心いっぱいの地場である。

 目下のコロナ禍でも、世間の動向に合わせる教会本部と同じ状況である。天理大学の学長(本部員)と天理の市長が並んで会見したことが全国放送された。法律が怖いどころか、わが教団は法律に従いますよという世間の常識的な判断が発信されてしまった。

 世界的なコロナ感染の拡大は半年以上世界を席巻し、温暖化や環境問題、格差の拡大とともに巨大な自然啓示となっている。有形の世界は、すべて神様のされることである。人間を苦しめるためではない、救済を早く進めるための仕込みなのである。

 神様は人間が心配しないように、前もって危険情報を知らせるのである。

 続く、刻限話を聞いてみよう。

 

(暫く刻限過ぎて大聲にて、ワツと二聲あげ)

「さあ/乀身の内にどんな障りが付いても、これはという事がありても、案じるではない。

 神が入り込み、皆為す事や。」

 

伊蔵さんが、「ワア」を二度大きな音声で発した。これは威圧的な大音声だが、危険が迫っていることを象徴的に前もって預言したものである。伊蔵の身体にどんなことが起きても、心配はいらないと神様が保証する。肉体は神の借り物であり、伊蔵の体に神が入り込むのである。すべて神様のされることであると。

  すでに述べたが、3月11日以降、急激に伊蔵の身体に異変(=障り)が起きる。飴のような汗が出たり、肋骨がボキボキおれ、またボキボキと戻るという信じられない怪奇現象(どんな障り)が実際に起きたのである。

 もう3日ももたない、お父さんは死んでしまうだろうと、妻も子供たちも本気で信じたのである。この間、「真柱を呼べ」が神様から連呼される。そして、真柱の中山新治郎はいつまでたっても現れなかった。頼りにならない真柱を恨んでも、心は濁るばかりである。

 

「さあ/乀身の内にどんな障りが付いても、これはという事がありても、案じるではない。

 神が入り込み、皆為す事や。」

 

 これは普遍的な言辞である。今のコロナ禍も、今の真柱が身上を抱えるのも、すべて神のすることである。神が人間の肉体の自由用をされること、これが幾度も幾度も仕込まれるのである。人間の肉体は借り物であることが信じられねば、いつまでも心は晴れないし、濁ったままである。

 伊蔵のもっとも身近な妻も子供たちも、肉体がかりものであることが実はまだわかっていなかった。それゆえ、もう大和にいたくない、大阪で乞食でもしようと先案じする。絶望してしまうのである。たとえ、真柱が来ずとも、来ないのも神様の守護だと思いなおすほどの信仰心がまだ座っていなかった。人の行動に不足するのが人間の常だが、それでは心は澄まない。その人の行動自体も神様の守護するかしもの・借り物の世界である。

 この時点で、貸しもの借り物の理が徹底して治まっていた人は、伊蔵ただ一人だけであろう。身上・事情に右往左往する人が大半である。3月4日、10日に増野正兵衛が胸の下障りとか帰国の伺いでおさしづをいただいている。

 増野の帰国のあと、3月11日から刻限話ばかりが、本席定めが決断される3月25日まで連続するのである。これほどまでに刻限話が連続するのは珍しい。まさに神の急き込み続くが、何を知らせたいのか。すこしずつ検討していこう。

  

教祖のお出直し(昇天)が明治20年2月18日(旧暦正月26日)。

本席定めは、明治20年3月25日(陰暦3月1日)。 この1か月余りは教祖の死から、次世代の天啓者となる本席様が啓示者として定まるまでの大変に重要な過渡期であった。本席となる飯降伊蔵の奇怪な病変があり、飯降家の家族の危機、そして度重なる刻限話が続いた。それが、「本席定めへの前夜」シリーズのテーマである。これら刻限話は、神一条のお道の後継の在り方に重要な示唆を与えていることは間違いなく、何が説かれているのかを考察したい。

 本節では、まず「刻限」とか「刻限話」という用語を考えたい。

 刻限話という独特な用語であるが、これは天理教独自のタームである。「刻限」とは神からの能動的な発言、突発的な神意の発現を意味する。救済を進める神の側からの能動的な啓示が、刻限話である。ある時点で、あるものに、特別に教示しなければならない神の思惑が開示されるのである。

 教祖の神懸かりという天保9年10月24日ころにおける「天の将軍」からの第一声そのものは、今から振り返ると、刻限話の初発といわねばならない。教祖のご生涯は刻限話によって彩られる。貧のどん底へ、母屋のとりぼち、帯や助け、つとめの急き込みなど、タイムリーに刻限話がでる。最晩年には監獄の中においてさえ、教祖に入り込んだ神が厳しい音声で発現するのである。獄吏はからは気違い婆さんにしか見えないのである。啓示は教祖を孤独にさせるが、教祖自身も神と直接向かいあう中で、をやの思惑に目覚め、強い信仰者に成長したのである。 親戚から離縁される中でも、一人の人間として教祖は決して心を倒さなかったであろう。そこに実の理としてのひな形の尊さが永遠に語られる史実として蓄積された。

 仏教とか神道とか隠れキリシタンから学習して、教祖の教えが開示されたのではない。教祖の肉体を借りて、無形の神があらゆる教えて開示して、その指導原理のもと、神一条の道が進行してきたのである。 救済の原理、地場も、つとめの意義も、すべて神の直接的啓示、刻限話から教えられた。 

  刻限話と対照されるのが、「身上・事情の伺いへのさしづ」である。これは、神が主体的に発言するというよりも、人間側から救済を求めたことに対する応答である。伊蔵は、「埃の仕事場」という役職として神意を下す仕事をすでにされていた。明治13年頃からこの仕事をされていた。教祖は「身上・事情の伺いへのさしづ」には答えなくなったのである。そのため、宮森与三郎などは、伺いをするために櫟本に行かねばならなかった[『天の定規』p.22-23]。

  今の『稿本教祖伝』は、神意の発動からこの道がどのような経緯を辿ったかの視点が弱く、人間側の事情からいかに苦労したかという視点が濃厚である。神一条の本筋からは、神学的な理の筋道から一貫した叙述に修正されねばならない。

 

 それはそうと、「埃の仕事場」から刻限話をする啓示者へと伊蔵が変容するのは、まさに教祖が亡くなる前後からであった。

 明治20年2月18日(陰暦正月26日)早朝

   「律が怖いか、神が怖いか」 「今という刻限、今の諭じゃない」

 同 2月24日(陰暦2月2日)午後7時

  「何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。・・・」 「追々刻限話をする。」

 

  2月25日は、「をびや許しを出す」という神の言葉もあり、伊蔵が単なる伺い役の仕事をする次元から、刻限話をする人間へと変容していることが、神の言辞からも直截に分かる。「をびや許し」という救済の技法も付与され、これは明らかに「埃の仕事場」とは異なるレベルの高い仕事であった。

 

  ではこの神はどこの神か。伊蔵を通じた「おさしづ」=神意は、存命の教祖の言葉だとされる。しかし、これが最も難しい信仰上のアポリヤである。

  肉体的な教祖が不在となり、代わりに伊蔵が存命である教祖の言葉を発現しているという含意である。目に見えぬ神がいて、理の支配があるという絶対的な真理を教祖は身をもって示した。そして最後はみずからの命を引き換えに、つとめの実行を求めて亡くなったのであった。その圧倒的な存在が亡くなり、無形の教祖が伊蔵の体を借りて、発話しているということになる。

 無形の教祖が、伊蔵を通じて、新たな雛型の歩みを始めているのである。これが教祖存命の理の永遠性が伊蔵のもとで独自に開始されたのである。

 ただこの刻限話の最初の受け手は、真柱でなければならない。それこそが神意の受け手としての人間側の代表である真柱の真柱たるゆえんの仕事である。

  教祖の死後も刻限話が連発する。その神意の発動は、真柱に向けられていた。「真柱を呼び出せ」が繰り返されるのであり、芳枝はこの言葉が下された40年後にも記憶が残っているのである。

 

 まずは、伊蔵が「刻限話」をする教祖存命の理を体現しはじめいていることを、ここで確認できた。伊蔵を通じた神の言葉は、無形の教祖の言葉なのである。伊蔵が月日の社になったのである。これが分からなければ、道の本筋を理解したことにはならない。

明治20年3月17日(旧2月23日)午後7時の刻限は、『おさしづ』本に刻限御話として記載がある。すなわち「綾錦の仕事」、「錦に仕立てる」という用語が初めて出る。明らかに本席となるために符丁的な言葉が出ているのである。

 教祖出直し以降、本席定めに至る、刻限話が頻出する中で、伊蔵はこの日、肋骨がポキポキ折れ、そしてまた元に戻るという奇怪な身体的激痛に苦しむ。この辺りは前回述べた。この日、夜になって、

 

 「真柱を呼べ/乀」

 「どうしてもいかん、こうしてもいかといへば、赤衣二つ並べてしまふで」

 

 このようなご啓示もあった。これは公刊本『おさしづ』には掲載されていない文言である。教長(前管長さん、初代真柱の真之亮)は結局来なかった。

 また赤衣とは教祖がご着用されていたものであり、神の社(やしろ)の証でもあった。伊蔵が赤衣を着るとは、教祖の代理であることをまさに意味する。

 

 伊蔵はこのように死ぬほどの苦しみがあり、普通だったとうにお亡くなりなっていただろう。頼みの教長は、神の呼びかけに応じない。姿を現さない。このあたりの事情は、初代真柱の稿本の伝記にも何の記載がない。

 この中、最も苦しんだのは伊蔵よりもむしろ家族たちであった。お父さんが死んでしまう。頼りの教長が現れない。そこで、伊蔵の妻のおさとさんと、芳枝さんは夜逃げしようと覚悟したのであった。引用してみよう。

 

 「この二十三日の夜は、とても/乀心配でたまらず、母様と私は石西さんの風呂に入れて貰ふてくると言ふて、そつと家に出て石西さんの風呂場の隅で泣き乍ら相談し合ふて決心したのやつた。

 父様があの通り身上が迫つては、とても三日の日も持つまい。

 あれほど神様がお呼びになっても、如何したわけか真柱様は来られず。

 もしもそのうちに父様が出直さはつたら、後に残つた家族の者等は如何しやうか

 教祖様は『一つの世帯、一つの家内と定めて伏せ込んだ』と仰言つたけど、今の状態では案じられる。

 今更櫟本へ帰る事なんぞ出来ず、いつそのこと親子四人(母様と私と妹の政枝と弟の政甚の四人や)

 河内の国へでも行つて、乞食をしやうとも大和の土地は踏まんとこうと言ふで母子泣き/乀語り合ふたのやつた」

 [「永尾芳枝祖母口述記」『復元』132頁]

 

 教祖の急逝直後の信徒の人間心いっぱいであり、だれにもあてにできない。そして最も頼るべき真柱が神の呼びかけにも全く応じない。人を恨むようになるから、言わないというが、「それは/乀苦しいものやつたのやで」という。

  真之亮が何をしていたのだろうか?真之亮は当時何歳か。丁度20歳の若者である。明治13年、14歳からお屋敷に定住するようになり、明治15年には伊蔵もお屋敷に住むようになった。明治14年には教祖の長男の秀司さんが出直し、明治15年に真之亮が中山家の家督を相続していた。

 ここでは若者の真之亮の信仰心が試されているのである。東京に出て学問をしたい真之亮であった、それも教祖や伊蔵に入り込んだ神から止められていた。呼びにいっても、来なかった真之亮の精神がどこにあったのかは想像の域を出ない。ただ、神の言に素直に行動しない中で、伊蔵の家族がどん底に苦しんでいた史実は見逃せない。

  教祖が出直す直前の神人問答でも、神の言よりも官憲の迫害に都合を合わせようとする真之亮の応答がある。

 真之亮「神の仰せと、国の掟と、両方の道が立つようにおさしづをお願いします。」

  20歳の若者は明らかに世間体の体裁や国の法律に従順なタイプの人である。

 真之亮「人間は法律にさからうことはかないません。」

 これが神を前にした偽らざる、彼の精神である。監獄にいっても、精神の自由がどこまでもあった教祖に対して、無形の神を信じることまではできなかった真之亮である。

 頼りにならない、中山家の若き当主である。

 

 真柱とは、神の言葉を第一に受け取って、即断即決すべきリーダーを意味する。

 「真柱を呼んで来い」と何度も神の催促があったにも関わらず、彼は何をしていたのか。 

 そして今では、天理教の教団には、存命の教祖の肉声は届いていない。  

  これこそのが本ブログの最大の構想であるが、多くの読者に共有していただきたい視点である。  

 さて、真柱が神の言葉に素直でない史実は、本席定めの至る事の時だけだろうか。

むしろ「おさしず」全体に及ぼ20年間の中でもどうだったのか、これは「おさしず」研究の一つの大きなテーマとなるだろう。

 

 本席定めに至る信仰的危機の中で、神様は何を話されたのか、さらに探究したい。

明治20年3月11日(陰暦2月17日)の夕刻から始まる、伊蔵の厳しい身上で、昨日は、熱で飴の様なものが噴出した話を書いた。それも奇妙な病気であったが、だれも医者を呼ばなかったようである。さらに次のような病変もあった。

 本席となって、のちに述懐された言葉を芳枝は次にように語る。

 「あばらの骨が一本づつ、ぶちぶち折れて、その折れる間に骨と骨との間に煮え湯が沸いて、しばらくぢつくりすると、また次の骨が折れてゆく。こうして右がみな折れると、こんどは左もみな折れてしまふた。それからこちこちと音がして元の通りにはまつていったが、何ともかとも言はれんほど痛かった」(「永尾芳枝祖母口述記」131頁)

 近くにいた妻のおさとや芳枝にも、その音が聞こえたという。神が入り込むと伊蔵の声は、普段より威厳のある大きな声だという。原文だと「常よりも強い語気やった」という。

 こういったいわゆる怪奇的な事態が起きるのである。現代の医学からは否定されるような空想的な史実談だが、本席様が嘘をつくわけがなく、本人と周囲にしか体験され理解できないことが起きているのである。

 道友社の編集部(『天の定規』)によれば、3月11日から25日まで15日間に31回に及ぶ、刻限話が出されていると書かれている(57頁)。

 この間、伊蔵は熱があり、そして肋骨が折れるという大変な身上の仕込みを受ける。普通の人間であれば、ここで心を倒して出直してもよいほどである。

 ここで、なぜ伊蔵がこれほどまでに苦しんだのだろうか。神様の思惑はどこにあるのか。教祖の昇天直後の信徒における精神的危機の中で、伊蔵の肉体的死が続くのか。伊蔵も倒れたら、それこそ、この道は崩壊してもよいほどの信仰レベルの低下した集団に陥っていた。

  この道の進展において、肉体の病変は最も分かりやすい契機となる。教祖の身体に異変がおき、周囲も渋々教祖のいう事を何度も聞いてきた。伊蔵の肉体を神が借りて、かしもの・かりもの理を実際的に見せているのである。

 

 「真柱を呼べ、早う真柱を此処に連れて来い」と神様のお話である。

 これは人間の伊蔵ではなく、神が伊蔵を借りて、このような発言をしている。伊蔵自身は常に真柱に対して生涯、へりくだった態度を示し続けておられ、とても本人からはこのような厳命はできなかっただろう。

  真之亮がお屋敷の住人になりながら、学問をしに東京にでも出たいと言ったとき、伊蔵に入り込んだ神は、それを厳しくとがめたこともあった(『扉開いて』の映像の場面)。

 

 しかし、真柱はいつまでたっても現れない。

  「おさしづ」本に掲載のない、次のような啓示もあったという。

 「今や家形の真の柱を入れ替へたで」 

 「これから先は黒衣をさせて五人ゐても六人ゐても働くで/乀」

 そして3月17日(陰暦2月23日)は特に厳しく、

  「真柱を呼べ/乀」 つづて

  「どうしてもいかん、こうしてもいかんといへば、赤衣を二つ並べてしまふで」

 というお話であった。しかし真柱は現れなかった。

 3月17日午後7時の刻限話では、「錦の仕事場」という言葉が初めて下される。この日は午後3時、午後4時の刻限も掲載されている。その際、「真柱を呼べ」という神の厳命があったのである。

  今の真柱も前の真柱も、二代真柱もみな、神意の受け取りでは無くなっている。真柱に命令する神の言葉がここにあったことは、史実として大変重たい。

  本席定めに至る、多くの刻限話にはどんな神意があったか、さらに考えたい。