前回より企業内の教育と公教育との関係を探る、をテーマに天野郁夫著『教育
と選抜の社会史』を取り上げ、連載をお届けします。
1. 「イントロダクション:天野郁夫著『教育と選抜の社会史』」
2. 「日本の学歴主義はどのようにして生まれたか」
3. 「学歴主義が業績主義という本分を失ってなお機能する理由」
4. 「教育設計のあるべき姿」
<天野郁夫『教育と選抜の社会史』の第三回>
「学歴主義が業績主義という本分を失ってなお機能するのはなぜか?」
今回は、天野郁夫『教育と選抜の社会史』の3回目として、
「学歴主義が業績主義という本分を失ってなお機能する理由」
を書いていきます。
■ドーアの「後発効果」
前回までは学歴主義の発生が産業化の歴史と関わっているという内容をお伝えしてきました。
イギリスの社会学者R.P.ドーアは、この現象を「後発効果」と名づけました。
ドーアは、
「産業の発展が遅い国ほど学歴社会が激化し、受験中心主義への傾倒が起こる」
と指摘しています。これは現在韓国や中国において、受験ブームが起きていることなどからも言いえているように感じます。
後発効果が発生する理由として、
「学校制度が産業の人材育成機関として合理的に機能し、技能・知識の習得機
関となっている」
ために、
「学校が産業への就業者の教育を一手に引き受ける」
ことになるということがあげられます。
つまり、「学校のみが社会に至る道となっていく」ということが、
「学歴社会」を招くのです。
■未だ続く学歴主義は「合理的な判断」なのか?
さて、企業が学生の「一次的審査」として学歴を重視している、という声が根強いことは、どのように評価されるべきなのでしょうか。一般に学歴重視というと悪しき慣習のように捉えられる傾向にありますが、本当に悪しきものと評価すべきものなのでしょうか。
実は企業が、学歴によって「OJTによるのびしろがどの程度あるか?」を判断しているという説があります。
のびしろとは、学校教育で「試験の通過」という成果をあげられるのであれば、企業内教育においてたとえば「売り上げの向上」という成果をあげられるのではないか?と結び付けて捉えているということです。
もし学校がなければ、企業はその採用方法として、例えば「就職あっせん会社」のようなものに多くのお金を払い、第一次のスクリーニングを行ったでしょう。
今でも、第一次スクリーニングにインターネットのサービスを利用しています。もし「学校」という(企業から見て)無料で利用できる選抜機構がなければ、第一次スクリーニングの利用料が大幅に増えたはずです。
企業は「後発効果」によって学校というOJTによる伸びしろを評価する指標を手に入れたのです。選抜のコストを抑える、という観点で見れば、企業がこれを利用するメリットは高いといえます。
次回は、「教育設計のあるべき姿」と題して、ちょっと持論を展開させていただきます。