前回より企業内の教育と公教育との関係を探る、をテーマに天野郁夫著『教育
と選抜の社会史』を取り上げ、連載をお届けします。
1. 「イントロダクション:天野郁夫著『教育と選抜の社会史』」≪前回≫
2. 「日本の学歴主義はどのようにして生まれたか」≪今回≫
3. 「学歴主義が業績主義という本分を失ってなお機能する理由」
4. 「教育設計のあるべき姿」
今回は、日本企業と公教育に根差している学歴主義がどのようにして成り立ったかについて取り上げます。
■教育の歴史を紐解くと見えてくる学歴主義の根源
その答えを求めて、そもそも公教育の成り立ちについて日本とヨーロッパを対比するとユニークな点が見えてきます。それは下記のような違いです。
ヨーロッパ:学校教育は貴族文化の伝承をするもの
(産業の担い手を創出する学校制度は傍流だった)
日本:学校教育は産業の担い手を創出するもの
この歴史の違いに日本の学歴主義の由来が垣間見れます。産業と学校は結びつき、学校は企業に代わって技術や知識の教育をするようになっていきました。
こうして、学校を卒業したという資格が、暗黙の職業資格として扱われるようになっていったのです。
なぜ日本では産業と学校が結びついていったのかというと、日本の産業化が欧米と比べて遅かった(欧米に追い付くことが重視された)ということと、既存の階級制度が崩壊していたということが理由としてあげられるでしょう。
■教育は徐々に職務遂行能力とのかかわりが薄れていった
さて、日本の公教育初期の学歴主義は極めて業績主義的で、職務の遂行能力と直接のかかわりをもった合理的なものであったと天野氏は指摘しています。
しかし、「官僚制化の進んだいまでは,企業内の選抜(昇進)の過程は著しく長期化し、学校で学んだ知識・技術がそのまま仕事に役立つことは少なくなって」います。
また、「教育の大衆化とともに,学校での教育内容も非専門化が進み,職務に必要な知識・技術の大部分は企業組織の内部で獲得されるように」なりました。
このようにして職務の遂行能力に直結していたはずの教育が、いつの間にか業績本位という側面からみると、全く役に立たないものとなっていきました。
それでもなお、現在においても学歴主義は採用され続けています。それは一体なぜなのでしょうか?
次回は学歴主義が存在し続ける理由について読み進めていきたいと思います。