企業内の教育と公教育との関係を探る 『教育と選抜の社会史』(1/4) | mitemoのブログ
ミテモは現在、社会人向けのコンテンツの他、高校生や大学生などを対象とした学習コンテンツも提供をしています。
(先日も都内の某高校生達に、「会議への参加の仕方」や「キャリア」などの研修を実施して参りました!)

当社の事業内容は多岐にわたりますが、その中心にある考え方は教育とデザイン・映像を上手く交差させながら、これまでにない様々なコンテンツを提供していくことです。

今回から当社の理系男子、ハズミより様々な観点で教育・デザインを切り取り、ミテモが考えていることをご紹介していきます。


■企業内の教育と公教育の関係を振り返る

今回取り上げる書籍は天野郁夫著『教育と選抜の社会史』です。

先日よりニュースでは、教育再生実行会議において大学入試を転換させるべくなどで検討が進められていることが報じられています。

センター試験による知識偏重のテストから、「人物本位」の選抜への転換を図ろうとすることについて、世間では賛否両論となっています。いずれにしても、これだけ意見が分かれるということはそれだけ皆さんの関心を集めているのだと感じています。公教育と社会人教育は切って切り離せるものではなく、今後の動向に関心をもたれている方も多いのではないでしょうか。

『教育と選抜の社会史』は、このような公教育と社会人教育の関係について、歴史的にどのように構成されてきたのかについて触れている数少ない書籍の一つです。今後転換期を迎える日本の公教育の流れを読み解きながら、社会人教育の未来像を描くために、その歴史を紐解いていきたいと思います。

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はじめまして。あるいは、お久しぶりです。ミテモのハズミと申します。

ミテモで働きながら、教育に対していっそう興味を抱き、日々教育について何かヒントはないかと探しています。

今回から取り上げる本は、
天野郁夫著『教育と選抜の社会史』
です。

この本では、日本の学歴主義が歴史的にどのように形成されたかを扱っています。そして本書の主な主張は「学歴主義が形成されたのは日本の教育制度が産業化と同時に発生したからだ」というものです。その最も大きな例として、企業が、学歴を学生のふるい落とし手段として利用した、ということがあります。

この本を読み、今回で取り上げる理由は大きく2つあります。

まず「企業内の教育と公教育との関係が書かれている」という点です。学歴主義はその形成に企業の姿勢が大きく関わっています。筆者によれば、学歴主義は、企業内教育の代替を公教育に求めたということから始まっているものだからです。

しかし、学歴はもはやビジネスの現場で使われる技能や知識とは無関係のものとなっています。それでもなお学歴主義が採用され続けていることに、少なからぬ驚きを覚えました。

もうひとつは、「教育が形骸化してしまうことを防ぐにはどうしたらよいのか」という視点があります。

先に書いたように、学歴主義は学校教育が会社で使われる「技能」「知識」の代替を果たさなくなったという中でも続いています。しかし、これは本来学歴主義がとっていた「業績本位」という姿勢からは外れています。企業にとっては公教育が形骸化(筆者は「教養化」と書いている)してしまったということを意味しています。

この本に関しては、連載を4回行おうと考えています。

今回を第1回として、各回のトピックは、

1. 「イントロダクション:天野郁夫著『教育と選抜の社会史』」
2. 「日本の学歴主義はどのようにして生まれたか」
3. 「学歴主義が業績主義という本分を失ってなお機能する理由」
4. 「教育設計のあるべき姿」

とするつもりです。

これからどうぞ、お付き合いください。