淑女との馴れ初め③ 最終章 | 淑女との戯れ ダットサン フェアレディ

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フェアレディSP311の再生記事を中心に、あれこれと気ままにつづっています。

予測もできない再会だった・・・

 
車検を取得して乗り出しあれこれと修理、整備、等々しながら色々と出かけたのですが、
排気ガスが室内に入ってきたり、雨の日の高速道路では幌とウインドシールドとの隙間から雨水がナイアガラの滝のごとく垂れてきてビショビショになったり、室内が池になったり、スタビライザーがブラケットごともげたりと様々なイベントが起こり、しょうがないなーと半分困りながらもどうやって直そうかと考えるのも楽しみのひとつでありました。そんな7月の或る日やってしまいました。交通事故です。
 
ボランティアに参加して帰る途中でした。ウキウキしていたのでしょう。ちょっと慣れない道を飛ばしていました。田舎道で他には車も走っていない。そんな場所でした。カーブでセンターラインをオーバーしてしまい、ちょうどやってきたエスティマの後部バンパー付近に接触しそのままスピンで一回転し止まりました。
相手はバンパーが取れてしまい、こちらは右ヘッドライトを直撃しバンパーとフェンダーもひしゃげてしまいました。完全に自分が悪いのです。
 
後は淡々と事故処理を済ませ自走で帰路についたのです。
 
このアクシデントがきっかけでスイッチが入りました。
最初は単なる板金修理で終わらせるつもりだったのですが、全体を見渡すと幾度となく塗り重ねられて厚くなった塗装はひび割れており見た目にも車にもよろしくないので、塗装を或る程度剥いでの全塗装を決行しました。この話はまた別の機会にします。
 
全塗装を終え、幌も新調し、タイヤも憎きミシュランはアルミホイールごとポイして、ハヤシストリートとピレリーP6の組み合わせで出庫しました。
その直後に早朝のセブンイレブンに寄ったときの一枚がこれです。
 
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そしてすぐに「新潟クエスト’93」という2泊3日のヒストリックカーイベントに再生を時折手伝ってくれたK君と参加しました。
93年10月1日~3日
越後湯沢に集合し、参加車両210台、欧州車が多かった様に思います。まだこのころは国産車は少数派だったです。爆音シャコタン車はいません!ジェントルでフレンドリイな雰囲気でした。
 
前夜祭では、地元新潟の美味しい地酒がふるまわれ、翌朝からパズルラリーで各ポイントをめぐり全行程176kmを走破しゴールを目指すというものでした。
ゴール地点は、「新潟ふるさと村」という施設です。会場ではそのまま展示イベントとなり一晩泊まって午後3時ころに解散。
オールドタイマー誌 14号ではこの模様が紹介され、小生と淑女もしっかりと2枚の写真に写りこんでいます。
 
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の時に参加者同士で情報交換をし、
自動車の登録に関する履歴を知ることができるということを教えてもらいました。
 
そこで、この淑女の経歴を調べてみることとしました。当時は個人情報保護法などない時代ですから、たやすく調べることができたものです。
これは、陸運局にて行える登録事項等証明書」の中の保存記録を開示してもらう手続きです。
申請から一週間で出してもらいました。
 
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これによると、
初年度登録、昭和40年
保存上の最初のオーナーH氏 
       昭和42年9月~昭和53年6月抹消登録 練馬5ナンバー
4年のブランクで
新規登録 昭和57年10月~ 相模58ナンバー
使用者変更登録 昭和58年11月
移転登録 昭和60年3月 所有者新宿 使用者神奈川
移転登録 平成1年2月  千葉52ナンバー
移転登録 平成2年3月  土浦57ナンバー当日抹消登録 その後、京都の方に引き取られる。
新規登録 平成5年2月  相模77ナンバー
 
それからは小生の所有となっております。
そこで疑問点が、初年度が昭和40年なのに、最初のオーナーH氏が昭和42年とはどういうことでしょうか?
ここは、想像なのですが、陸運局の登録管理の形態が電算化した時点の名義人を保存上の最初のオーナーとして登録されているのではないかということです。
だとすると、謎に満ちた最初のオーナーがいるはずなのですが、今となってはそれを知ることはできません。
またまた想像ですが、初代オーナーはディーラーだったのではないかという憶測です。
というのは、ナンバーが練馬ナンバーなのに保存上の最初のオーナーの住所は神奈川県。
本来なら相模ナンバーでなければなりません。売買のローン関係か、またはそこの従業員に名義のみ変更しただけなのか、このあたりではないかと推測しています。試乗車だった可能性もあります。
昭和42年11月にはSP311,SR311は米国基準のハイウインドウ車にマイナーチェンジします。その入れ替えの関係では?などと想像が膨らみます。40年車と42年車の大きな違いはメーターの数くらいで後はそう変わらないので・・・勝手な話ですね。
 
ただ、このような謎を知りたくても、
既に、H氏はこの住所にはいらっしゃいません。小生のところに淑女がやってきたときにはお住まいだったようでした。そのうちお会いして見ようなんて呑気なことを考えているうちにいつのまにかその家は取り壊され新しい家になってしまいました。表札にはH氏の名前は見当たらずTというお名前でした。
売却処分されてしまったようです。
ただ偶然なのか、母屋とカーポートの配置は変わっておらず、往年を忍ばせる雰囲気ではありました。
そう、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、このH氏の家こそ小生が小学校のときに覗いていたガレージだったのです。
 
あの時の少年の目に映っていた淑女はめぐりめぐって偶然にもその少年のものとなったのです。