★★★★★☆☆☆☆☆
1986年 97min.
ネタバレ なんとかオチは伏せたつもりですけど、みなさん知ってますよね
敬称略
監督 ピーター・フェイマン
製作 ジョン・コーネル
脚本 ポール・ホーガン、ジョン・コーネル ほか
音楽 ピーター・ベスト
ミック:ポール・ホーガン
スー:リンダ・コズラウスキー
ウォルター:ジョン・メイロン
ネビル:デイヴィッド・ガルピリル
リチャード:マーク・ブラム
サム:マイケル・ロンバード
ガス:レジナルド・ヴェルジョンソン
わたし、本作を初めて観たのは留学先のアメリカで、でした。向こうで知り合ったネイティヴアメリカンの彼女と一緒に観に行ったですよ。いい思い出ですな。ほいでもって、劇中に突然ワニが出てきてビックリするところがあるんですけどね、そこで彼女(ロベルタ)がめっちゃ驚いて、持っていたバケツポップコーンをぎゅーっておもっきし握りしめてまわりにポップコーンをぶちまけたんですよ。幸い怒る人はだれもいなくって、みんな爆笑して許してくれました。で、話はここからなんですけど、観終わって夜の街道を二人で歩いて寮に帰りましてね。彼女の部屋に行って(寮の彼女の部屋はわたしと同じ男女混合のフロアで、3部屋向こうの向かいの部屋やったんです。もちろんルームメイト付きですよ)彼女がコート脱いだら、バラバラバラっとたくさんのポップコーンが床に散らばるという。そこで改めて二人で爆笑、彼女のルームメイトのエドナは目を丸くして驚いている、なんてことになったのでした。本作を思い出すといまだにそのシーンが青春の一ページとしてよみがえるというもんです。
わたしがアメリカに留学して最初に観た映画は、神様ジーン・ハックマンの「勝利への旅立ち」でした。そのあと、ほかにも観たいんだけどなんかいい映画ないか、ってクラスメイトのハサンに聞いたら、本作を紹介してもらいましてね。英語がわかんなくってもわかる映画で、すごく気持ちのいい映画だからゼッタイ観たほうがいい、って。ハサンは国の金で留学しているアラブ人の一人で、たいがいアラブ人なんてのは勉強なんかまったくしなくって、金にものを言わせて毎晩のようにパーティーやってるような不良ばっかりだったんですけど、ハサンも学校には行き帰りリムジンで乗り付けて金グサリをジャラジャラ言わせてるようなヤツでしたけど、まだ若くってしっかりと勉強はしてる男でした。なんか留学初日っからわたしのことを気に入ったようでしてね、こうしていろいろ相談したり話したりしていたんですよ。もちろん勉強は、さすがの日本人であるわたしのほうがはるかにできましたから、わたしが勉強を教えて彼はその他のことを教えてくれる、なんていういい友だちでした。もっとちゃんと付き合ってたらわたしも今ごろ大金持ちになっていたかもですけど、わたしはけっきょくロベルタとの恋に走ってしまってその後は若干疎遠になって、今から考えるともったいなかったかな、なんて思ったりもします。今はどこで何してんでしょうかね。
なんて、「クロコダイル・ダンディー」でわたしの頭の中はここまで膨らんだりするという、けっこうないい青春の映画、てな位置づけになってます。その割には★5個しかないやんけ、と言われそうですけど、それはこののちのレビューを読んでいただければわかります。
いやま、でもやっぱりハサンの言うとおり、当時はわたし、なんてイキな映画なんや、て思ってました。挨拶である「グッデイ」のオーストラリアなまりの「グッダイ」なんてのは当時は大学内でめちゃくちゃはやってましたからね。
オーストラリア弁てのは英語の「エイ」って発音はぜんぶ「アイ」って発音するんですよ。だからオーストラリアの子に年齢を聞いて「アイティーン」ってこたえたらそれは「エイティーン」なわけです。方言はなかなかにおもしろいです。
ところで本作の主役である、脚本も書いたポール・ホーガンとヒロイン・スー役のリンダ・コズラウスキーは、本作が縁で1990年に結婚したんですけれども、一児をもうけた後2014年に「和解しがたい不和」を理由に離婚してしまいました。「和解しがたい」ってそうとうななんかだと思いますけど、どっちかの不倫なんですかね。ちゃんと言わないとそういう憶測がまかり通ったりもしますが、どうなんでしょうか。いずれにしても、なんやそら、ではあります。せっかくのわたしにとってのいい映画に、なに作った側がケチつけてくれてんねん、ということではあります。ガッカリですね。
もうひとつザンネンなのは、スーちゃんの元カレになってしまうリチャード役のマーク・ブラム。2020年にコロナによる肺炎で、69歳という若さでお亡くなりになりました。コロナが流行り出したばかりのころですからね、今のようにいろいろな対処のしようがなかった時代、悲しい限りです。じつはわたしの妻、本作を観た日にまさにコロナ罹患しまして、他人ごとではない気がして若干泣きそうになりました。ご冥福をお祈りします。
さて、オープニングトークはこれくらいにして、映画のほうに話を向けてまいりましょう。
えと、オーストラリアの映画です。オーストラリアの映画ってなかなかになじみが薄くって、「マッドマックス」って出たらあとはもうないわ、て感じですかね。わたしは「レイザーバック」って映画も好きでしたけれど、こちらはVHSしか出てないので知られざる名作、みたいになってます。たぶん。
でも、だからけっこう新鮮ではありますよ。オープニングから全編流れる曲も、オーストラリアの自然な感じが出てて、ハリウッド映画にはちょっとない感じがします。
内容は、ニューヨークの新聞記者であるスーちゃん(リンダ・コズラウスキー)が取材でオーストラリアに行って、その取材対象のクロコダイル・ダンディー(ポール・ホーガン)の素朴さにひかれて恋に落ちる、っていうラブ・ストーリーなんですけれども、それがポール・ホーガンの絶妙なコメディセンスで彩られながら話が進んでいく、ってのがめちゃくちゃいいわけですよ。まあでもよく考えたらこれ、スーちゃん取材に行く前はニューヨークに結婚寸前までいっている彼氏がいたわけで、浮気奨励の話と言えなくもないです。何年か前に一緒に観たウチの娘ふたりは、ポール・ホーガンが原案、脚本て聞いて、単に自分(ポール・ホーガン)が目立ってやりたい放題しただけやん、って引いてましたよ。
でも当時はけっこうな人気だったんですよ。映画館もそうとうな満員でしたし、さっきも言いましたようにまわりの大学生なんか突然オーストラリアなまりでしゃべりだしたりしてましたからね。映画だからとそれを正義といいたくはないですけれど、時代と片付けたくもない、なんてさだまさしの曲をちょっと思い出してしまいました。
↑スーちゃんです。美人ですよねー。
これで二人、結婚して離婚して、って。2作目もありますから、なんか複雑になります。
↑こちらがやりたい放題のダテ男、ポール・ホーガン。まあ男前、ですかね。
リンダ・コズラウスキー28歳、ポール・ホーガン47歳。どちらも若干、もうちょっと年上には見えます。
↑ここから取材で自然の奥深くへ入っていきます。
んーと、ポール・ホーガンがワニにかまれたってところへ行くわけですが、ここは若干アボリジニと言われる先住民の紹介も兼ねているかもしれないです。アメリカ人にとっても、もちろん日本人にとっても異質なあまり知られていない文化ですからね、意外に貴重なことなのかもです。そこにところどころコメディのスパイスを効かせながら話を進めていくあたりはポール・ホーガン、天性のセンスの持ち主なのでしょうかね。爆笑とまではいかないんですけれど、だからこそそれが本作にぴったりマッチしているということなのでしょう。
それだけでないです。
↑こんなして、運転していたら道の真ん中にスイギュウがいました。
のでミック・ダンディー、
↑おとなしくさせようとしてなにやら魔法をかけますよ。
↑顔をアップにして神秘的な感じを醸し出させてます。
観客をひきつけるすべも知っている感じで、やっぱりエンターテイナーなんやな、ということです。
ただ、なんですけどね。スイギュウ。
↑おとなしくなるにはなったんですけど、
そんなとこで寝られたら、車通られへんやん、です。このあとどうやって車を移動させたのでしょうか。そこまでちゃんと考えてほしかったな、というのはわたしだけではないはずです。だからスーちゃんの
↑このびっくりした表情は、
なにしてんねん、通られへんやんけ、の顔だと思うわけです。
↑ここはわたしよく突っ込むとこですけど、
いやあんた、靴……。びちょびちょじゃないですか。靴下も履いてますよね。それで水にどっぷりつかった靴ってもうサイアクじゃないですか。気持ち悪いことこのうえないですよ。いくら大自然の中の出来事だからっていったって、気持ち悪いもんは気持ち悪いんだと思うんですけどね。わたしにはまったく理解不能であります。
↑ミックが自分の自慢話してます。
自慢話して男前っぷりを強調して、スーちゃんの気をひこうとしているのがよくわかりますね。あざとい言うか、わざとらしい言うか、ですけど、まあでもそこらへんは同じ男としたら気持ちはよくわかりますし、だからイヤミ的なところはないですね。やっぱりポール・ホーガンも同じ人間やん、て思えば好感度はあがります。
↑こんなしてヘビを素手でつかんだりして。
ちょっとカッコつけすぎのような気もしないでもないですが、でもそれもコメディ要素のスパイスでイヤな気にはならんわけです。
ここまで約30分。観ているとわかりますけど、もうすっかりスーちゃんがミック・ダンディーのとりこになっています。若干展開が速いかなあという感じもありますけれども、とはいえそれはやっぱり上映時間が97分だと考えると自然な流れなのかもしれないですね。なにしろ後半はスーちゃんがミック・ダンディーをニューヨークに招いて一波乱、ということにしなきゃならないわけですからね。ここらへんは観ている側の感覚にゆだねられているのかもです。
ただ、そこかしこには今の時代には合わんわなあ、というところもあるにはありますよ。
↑ポール・ホーガンが「ここは男の世界だ」て言って、
↑スーちゃん、若干キレる、みたいな。
ポール・ホーガンのこの発言は、たとえそれがミック・ダンディーのものだったとしてもやっぱり現代ではご法度ですからね。こうやってミック・ダンディーがスーちゃんを、女性だからって小バカにしているところはさすがに鼻につきます。
で、じゃあやったろやないかい、とばかりにスーちゃんが一人で大自然に出てってしまうってのも無謀な話ではあります。毒ヘビだっているわけですしね。そもそもワニがいるわけじゃないですか。
まあたしかに観客であるわれわれには、ちゃんとスーちゃんの後ろにはミック・ダンディーが控えている、ってのはわかってますからいいですけど、実際にスーちゃんはそれを知らないですからね。やっぱりムリヤリ感はあります。
まあ、その「ムリヤリ感がある」っていうのをわかっているのかどうなのかはわかりませんけど、
↑こういうサービスカットもあったりはします。緊張と緩和、ですね。
で、それを見ようとして身体を伸ばして
↑木に頭ぶつけたりして、
コントのように笑いをとりますよ。でもすぐ次のシーンでは、
↑スーちゃん、水を汲もうとしていると
↑ワニ!
↑で、ヒーロー登場!
となるわけです。
まあ、ベタっちゃベタですけどね。でもわたしはこういう一連の流れはキライではないですよ。サスペンス、コメディ、ヒーローといったエンターテインメントがこの短い時間でギッシリ詰まっているじゃないですか。いい映画やなあ、となるわけです。
あ、ちなみにですけど、わたしの彼女だったロベルタはこのワニのシーンでポップコーンぶちまけました。
↑ご愁傷さまでした。
まあこれがほんとだったら、そらスーちゃんは生きてはいないのでしょうけれどもね。でもそこはそれ、映画やから、ということでしょう。なんの違和感もありません。
↑ミック・ダンディーの友だちのネビルくんがでてきました。
ネビルくん自信はシティボーイなので行きたくはないんですけれども、部族の長である父親に言われてしかたなく「集会」に行くところだそうで。
ここでの会話はなかなかにおもろいですよ。わたし、大好きなシーンです。話術がどうのとかドタバタで、とかではないんですけど、笑えます。笑いがね、スマートなんですよ。ポール・ホーガンの面目躍如、というところでしょう。
でもやっぱり、笑いだけじゃないんです。そういうところがポール・ホーガンのすごいところでしてね、
↑ネビルくんの出かけた先の「集会」があって、
↑ミック・ダンディーも参加してるわけですよ。
↑で、スーちゃんもビックリ、と。
ミック・ダンディーを追っかけていって、「集会」の写真を隠し撮りしていたら愛しのミックをそこに見つけて、神秘的なところに心を射抜かれる、みたいな。ついさっきは展開が速いとか思ってたんですけれども、ここへきたらこうして心の動きもしっかり描かれていて、ぜんぜん速くなくなってました。不思議なんですよね、ついさっきはほんとに速いと思ってたんですけどね。それだけ映画にハマっていたというか、主人公二人に感情移入したというか、なのでしょう。ポール・ホーガンの思うつぼにハマった、という感じですが、でもイヤな気は決してしないわけです。大したものです。
で、
↑ミック・ダンディーと
↑スーちゃんが良い感じになって、
↑チューしちゃう、と。
そ、だからまったくこれも違和感ないわけですね。まあまあ、よござんしたわねえ、てことです。
で、物語はここからいざニューヨークへ、となります。現代版ブッシュマン、ですかね。でもやっぱりそこはそれポール・ホーガンですからね、スマートに描かれますよ。
↑時間にしてちょうど半分です。ニューヨークへやってきました。
オーストラリア映画で、しかもハリウッドではなくニューヨークってのは新鮮でしたが、これがもしロスだったら、その舞台はとっくに「ビバリーヒルズ・コップ」で2年前にエディ・マーフィーがこれまたスマートに描き切っていたので、既視感満載で人気は出なかったでしょうね。意識したかどうかは別として、いい判断だったとは思うわけです。
ただ、
↑おいおい、とはなりました。
まあ、ものはスーちゃんの浮気映画なのですからそれはそれで仕方ないのでしょうけれども、わたしはやっぱり若干引きました。
↑レジナルド・ヴェルジョンソン出てきました。
おなじみ、「ダイ・ハード」のあの人です。本作のほうが先ですが、やっぱりこの人がいい味だしてるんですよ。なんかものすごくいい人の役が続いてますけど、この風貌ですからね。そらそうやろ、とは思います。
ここでは黒人であることをしこたまイジられてますけど、イヤミはまったくないです。この人のおかげなんでしょうね。これ今のアメリカ人たちがこの部分を観たらどう思うのか、聞いてみたいところではあります。
↑テレビでも観てて、ってミック・ダンディーがスーちゃんに言われて、
映ったのがこのテレビです。
時代やなあ、ですね。1986年の作品ですからね、38年も前なんですね。時の流れは恐ろしいものだと痛感しましたよ。
で、このあとミック・ダンディーがニューヨークの街にくり出すのですけれども、ほんのちょっとの時間なのにポール・ホーガンのコメディセンスがキラリと光ります。おもろいわあ、てなりました。
↑マーク・ブラムとスーちゃん、ミック・ダンディーの前で
↑こんなしていちゃいちゃして見せつけます。
まあこれはマーク・ブラムのいやがらせ、いうか、スーちゃんはおれのもんやでという強烈な意思表示、なわけですけれども、ここだけはちょっとわたしには受け入れられませんでした。
う~ん、ポール・ホーガンが脚本書いてるわけですから、とりあえずいったんここらへんでミック・ダンディーをつらい目にあわせてやろう、ということなのでしょうけれども、あまりにこれマーク・ブラムがイヤなヤツすぎて観ていてつらくなってしまいました。いや、そもそもこれさっきから何度も言ってますけど、スーちゃんが浮気してる、ってことですからね。マーク・ブラムは悪くないですよ。もともとこんなイヤなヤツだったらスーちゃんだって好きになってないでしょうしね。ちょっと脚本やりすぎ、と思ってしまったのは事実でありました。
↑ここのゲイさんのくだりはわたし、ハラ抱えて笑いました。
でもこれも今じゃ通用しないんでしょうね。この時代は保毛尾田保毛男の時代ですから許されていたのでしょうけれども、いまこれやったら一発アウトでしょう。なかなか難しい判断でしょうね。本作を今じゃ地上波でまったく見なくなったのもこれが原因なのかもしれませんね。人種差別映画だ、とか言われそうですしね。ほんとはそうじゃないのは観ればわかりますけど、そういうケチをつけてくるのはどこの世界にもいるわけですから、もしほんとにそうなら、それはそれでザンネンでならないところです。(筆者注:憶測でものを言ってますので本気になさらないでくださいね。あくまでもわたしの感想にすぎませんので)
↑スーちゃん出てくるたびに服が違ってますけど、
オシャレですねえ~。カッコイイです。やってることは浮気だから、カッコ悪いですけどね。
まあですね、スーちゃんの浮気とかマーク・ブラムの性格とか、人込みの中を逃げ去っていくひったくりに缶詰の缶を投げて当てて捕まえるとか、いろいろ突っ込みどころはありますけれども、総じておもしろいです。時代背景を考えれば許せるところは許せるのでしょうし、だから今となってはとっても評価が難しい映画なんです。
もちろんわたしはその時代に観た口ですからね、本作の良さはハッキリと理解できるわけですから、だからやっぱり今評価するとしたら、可もなく不可もなく、なんでしょうかね。今の時代なら完全アウトやけど、当時だったら全然セーフ、ですからね。やっぱり★5つ、ということだと思います。
↑スーちゃん、ミック・ダンディーに対する自分の素直な気持ちを表現してます。
まるでほんとに恋してるみたいやん、と言えるほどのいい演技ですけど、よく考えたらもうこの時すでにほんとに恋していたのかもですね。いろいろ考えさせられますな。
さっきも言いましたけど、ちょっとちょっとのコメディ部分が隠し味的にちゃんと効いてます。だから気がついたらすっかり引きこまれてしまっていて、笑顔になってるんです。イヤやなあと思うところもスパイスで相殺されていますし、だからやっぱり脚本が絶妙なんでしょうね。ダレるところはないですし、そもそもどこにスパイスがあるかわかんないですからずっと集中して観ているわけですからね、こっちは。すごいです。
↑やっぱりレジナルド・ヴェルジョンソンが活躍するのですね。
えと、ミック・ダンディー、どうやらフラれたっぽくってヤケになって酔っぱらって、傷心しているところを暴漢にやられますが、その暴漢をやっつけるのがレジナルド・ヴェルジョンソン、というわけです。
↑もうここなんか、まんま「ダイ・ハード」ですよ。
本作のが先ですから、「ダイ・ハード」がオマージュしたんでしょうかね。愛されキャラはうらやましい限りです。そら一気に注目されるわさ、ということです、レジナルド・ヴェルジョンソン。
で、このあとラストの、伝説の地下鉄のシーンへといくわけですけれども、たぶんわたし思うに、みんなもうここまでくるとすっかりミック・ダンディーとスーちゃんを応援しているのではないでしょうかね。だって
↑スーちゃんのお父さん(マイケル・ロンバード)までこの表情ですよ。
まあ、もうすっかりここではマーク・ブラムはいなかったことになってる感じですしね。
でもってまた音楽がいいんですよ。さっきの「ダイ・ハード」のシーンが終わって翌日になってから、エンディングまで休まずあの曲が流れるのですけれども、もうなんか心躍らされます。何も言わずにホテルをチェックアウトしてしまったミック・ダンディーを追っかけるスーちゃん。
↑靴を脱いで裸足で走りますよ。
よっしゃ、行けーっ!てなります。観ているこちらの鼓動も速くなるのです。
まあ最終的にですね、あのラストの地下鉄フォームでのシーンはあり得ないことなのでしょうけれども、でもそうは言っても、いやいやミック・ダンディーならあり得るやろ、って気にもなりますし、だからやっぱいい映画やん、てなるわけですね。あのラストで、それまでのことが全部許される、そういうことです。
↑この方がサイコーで、
けっきょくなんか最後は、すっかり涙している自分がいたのでした。★5つですけどね。
今日の一言
「『感じのいい男だ』、と。間違いないっす」
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