★★★★★★★☆☆☆
2019年 132min.
ネタバレ ついしてしまいました。m(_ _)m
敬称 お一方のみ、あります。「様」付です。
監督 マイケル・ドハーティ
脚本 マイケル・ドハーティ
音楽 ベアー・マクレアリー
マーク・ラッセル:カイル・チャンドラー
エマ・ラッセル:ヴェラ・ファーミガ
マディソン・ラッセル:ミリー・ボビー・ブラウン
芹沢猪四郎:渡辺謙
アイリーン・チェン:チャン・ツィイー
リック・スタントン:ブラッドリー・ウィットフォード
ヴィヴィアン・グレアム:サリー・ホーキンス
サム・コールマン:トーマス・ミドルディッチ
ヒューストン・ブルックス:ジョー・モートン
アラン・ジョナ:チャールズ・ダンス
ウィリアムズ上院議員:CCH・パウンダー
日本が誇るわれらが怪獣王ゴジラが、ハリウッドに進出した第3弾てことになるんでしょうかね。昭和の時代にもアメリカでゴジラは暴れてましたが、これは日本製作の国外版という様相でしたので、ハリウッドでリメイクしたってことになりますと、最低の誉れ高い(わちしはそうも思いませんが)1998年の “GODZILLA”、本作の前回作にあたる2014年の “GODZILLA”、で本作、ということになりますよ。このあと「ゴジラvsコング」が2021年に公開されてまして、1987年のやつはシリーズではないので、ハリウッド版ゴジラ最新シリーズは、いまのところ全3作品というわけですね。
とはいうものの、わたし前回作はあまり評価してません。前回の2014年 “GODZILLA”は、どっちかってと「ゴジラ」という名の「ガメラ」だと思ってますのでね、だから本作もものすごく疑心暗鬼で観だした、というわけです。唯一の救いは、われらがヴェラ・ファーミガ(「死霊館(死霊館 | みたたの日常と映画ざんまいそしてディズニー! (ameblo.jp))」のあの人ですよ。超絶美人のウォーレン夫人)が出ている、というところでしょうか。まあそれも、どういう役柄かにもよるわけで、心配の種はつきませんが……。
出だし、というかオープニングは「東宝」のロゴがさん然と輝いてますね。これは日本人にはうれしい限りですし、ハリウッドの製作陣が「ゴジラ」をこよなく愛してくれている、という気もして心地はよいです。まあ単に著作権の問題、てことなのでしょうが、ここではそういううがった見方は抜きにしましょう、ということです。
↑神々しさすらありますね。
そしてヴェラ・ファーミガ様、早々の登場です。わたしは歓喜です。
↑やっぱりお美しいのです。おぉっ!て言いました。
話としては、どうやら前作、つまり2014年の「ゴジラ」という名の「ガメラ」のときに、ヴェラ・ファーミガ様は幼い息子アンドリューをゴジラに殺されて、それがもとで旦那であるカイル・チャンドラー演じるマークとは離婚、アンドリューのお姉ちゃんに当たる娘のマディソン(ミリー・ボビー・ブラウン)と一緒に住んでいる、ということらしいです。わたし的には、ヴェラ・ファーミガ様には「離婚」という言葉がまったく似合わなくって、ちょっと違和感でした。
ただ今回は、そんなことをいろいろ思っている間もなく、怪獣たちが早々に出現しますよ。まあ怪獣映画を観ているわけですからね、そうでなくっちゃということですよ。前作ではなかなかゴジラも出てきませんでしたから、そういう反省は踏まえているのかもです。
↑こういうのはやっぱりCGのなせる技、なのでしょうかね。観入ってしまいます。
そうしたところへもってきて、ことあるごとにヴェラ・ファーミガ様が出てくるのでわたしもいちいち座を正しますよ。
↑やっぱりお美しいのです。わたし、また、おおっ、て言いました。
その他キャストには、前作から引き続いての渡辺謙が出てます。日本が誇るハリウッド俳優、と言いたいところですけど、わたし的にはどうしても不倫が許されず、いい演技しているのにほんとにアホなやつだなあ、としか思えません。なんかアレですか、今度Netflixの新作ドラマで福島第一原発の事故を基にしたドラマをやるそうで、その主役の所長役に役所広司が抜擢された、ってニュースでやってましたけど、これ映画版では渡辺謙がやってたそうですね。わたしとしては、不倫野郎よりも元お役所勤めの誠実な方のほうがよっぽどいいとは思いましたね。ま、いいですけど。
↑不倫はなんの得もないです。
↑ヴェラ・ファーミガ様の元旦那、マーク役のカイル・チャンドラー。どことなくラッセル・クロウに似てますね。
でもって、登場人物があらかた紹介されますと、徐々になにが起こってるのかわかってきます。そういう流れはムリがなくっていいですね。
すなわち、ヴェラ・ファーミガ様演じるエマ・ラッセル博士が、夫のマーク・ラッセル博士と開発した、「怪獣を操る装置」通称「オルカ」をめぐってのいざこざ、ということです、簡単に言うと。ただ、エマとマディソンがどうしてさらわれたのかは、まだここではわかりませんが。
ていうか、なぜ「オルカ」と命名したんですかね、「シャチ」。ゴジラが「ゴリラ」と「クジラ」だからでしょうかね。もしそうだとしたら、なかなか粋なことしてくれるじゃないか、ハリウッドのくせに、とは思いますが。
エマとマディソンをさらった一味は、怪獣のDNAを売買する秘密組織だったようです。要するに金儲け。ということは「ジュラシック・パーク(ジュラシック・パーク | みたたの日常と映画ざんまいそしてディズニー! (ameblo.jp))」シリーズと同じですか。どうしてもこういう話に結び付けたがるのですね。普通に怪獣映画でいいやん、とは思いましたが。なんかこう、せっかく怪獣が出てきて暴れて大騒ぎってのを楽しもうと思ってるのに、人間の暗部なんてのを垣間見せられると、ちょっとへきえき、という感じがしてしまいます。本作に関しては、決してそれがメインではなかったですから、最終的には苦にはなりませんでしたけど、そろそろそういう話からは脱却してくれよ、とは思いました。ちょっと安易でないかい、てことです。
↑なんか「死霊館」にしか見えませんね。
あ、でもここへきて、ちょっと長いかなあ、という気もしてました。当初、早々にモスらが出てきたものですから、いいじゃんいいじゃん、なんて思ってましたけれど、それ以降はなかなか怪獣が出てこないわけですよ。けっきょく、まったく前回の反省は活かされてなかった、ということなのですけれども、キングギドラが出てきたのはようやく20分を過ぎたころでして、いやいやゴジラは?とは思ってました。
↑ギドラもまだこんな感じで、じらすなあ、て……。
ていうかこれ、なんだかその「オルカ」でキングギドラをも操ろうってんですかね。それは無茶というものですよ。なにせキングギドラは宇宙生命体ですからね、とても効くとは思えないのですね。それをわかっているのかわかっていないのか、なんかこの映画の成功のカギはそれが握ってるのでは、なんて思ってちょっと不安になりました。
そしたらまた一人、見知った人が出てきましたよ。
↑ブラッドリー・ウィットフォード。ドラマ「ザ・ホワイトハウス」で大統領次席補佐官ジョシュ・ライマンの役の人です。わたし的には「キャビン(2011)」の彼が好きですが、このブログでは「ゲット・アウト(2017)(ゲット・アウト | みたたの日常と映画ざんまいそしてディズニー! (ameblo.jp))」で紹介しました。なんかその時から2年後ですけど、若返った感じがします。本作当時で60歳であられましたが、それよりは若く見えますね。
さあそして30分すぎますと、なんかヴェラ・ファーミガ様と娘ちゃんがキングギドラを目覚めさせてしまいます。
↑ギドラ、覚醒の瞬間です。そこらへんの理由はまだわかりません。全体132分で36分ほど。まあ4分の1が過ぎようとしてますのでね、そろそろいろいろ教えてくれよ、とはなりました。なんかヴェラ様と娘ちゃん、自分たちをさらった悪い奴らと一緒に逃げるし、どういうことやねん、となります。まあおいおいわかるのでしょうけれども、それにしても怪獣も出てこないので、さすがにイライラしだしました。
で、開始40分。ようやくキングギドラが始動です。
↑やっとか、て感じですが、肝腎のゴジラはまだ出てきません。あれ、題名「キングギドラvsモスラ」やったかな、となりますよ。
↑やっと怪獣映画らしくはなりましたけど。
ただですね、なかなかに突っ込みどころはあるんですよ。40分すぎてようやく怪獣たちが街で大暴れするのですけれども、ようもまああんなトンデモなことになってるのに人間たちは生き残ってるよなあ、てなります。これは昔からこうした怪獣映画では当たり前の突っ込みどころではありますけれども、それを「シン・ゴジラ」でちょっと触れてましたのでね、突っ込みたくなるというものではあります。そもそもキングギドラが羽ばたいただけで、まわりのほとんどがすっ飛んでいく気がするのですけれどもね、それに言及するのはご法度、なのでしょうかね。
なんて思ってましたら、怪獣の出現についてのヴェラ様の語りが入ります。いわく。
要するに人減らし、ということです。このまま人が増えすぎて、汚染や戦争などでの地球の破滅を人を減らすことによって救うのだ、でもってそのためにはあの怪獣操作遠隔装置「オルカ」が必要だ、それによって我々が怪獣たちを操って新しい地球を支配するのだ、と。まあそれはそれは大それたことを言ってる気がしますが、われらがヴェラ様ですからね、それはアリなのでしょう、きっと。とはいえそれではすっかりマッド・サイエンティストやん!という嘆きも否めません。アンドリューが亡くなって、ヴェラ様、人が変わってしまったということです。それはまた夫のマークも同じなのですけれども、いずれにしてもわたし的には、ヴェラ様にはこんな役は全然似合わないとは思いました。ザンネンではありますね。
↑語られてます。ていうか、このキレイな顔を十字で切るとはなんと無礼な話でしょうか。わたしめちゃめちゃ憤慨しました。
↑突然ですけど、このお方も出演されてました。清野菜名ちゃんです。嘘です。チャン・ツィイーです。彼女がラドンのことをロダンと言ってました。アメリカではラドンは考える人のようです。
↑ていうかロダン、デカすぎです。あとでキングギドラと対決しなきゃならんので大きさ合わせなのでしょうけれども、それにしてもデカすぎます。おそらく一回羽ばたいただけで、関東一帯が無になるのではないか、というくらいのデカさですよ。わたしあまりのことに、ソファに寝そべったままズッコケました。
↑飛んでる姿はかっちょえいですけど、下界の惨状を思うと心が痛みます。ていうかさっきより縮んでる気が……。
↑この映像はフツーに、すげえ、って言いました。まあ日本の着ぐるみ映画では、こうはいきませんね。
で、なんと1時間ちょうどくらいで、早くもオキシジェンデストロイヤーが使用されます。いやいや待てよ、と。これ、最終兵器ちゃうん、て。いくら時代が変わったといっても、その性能を考えれば核以上の最終兵器に違いはないはずです。それをこんなまだ全編の半分も行ってない時点で使ってしまっていいのか、という不安が渦巻くわけです。
↑オキシジェンデストロイヤー炸裂です。ていうか、ブラッドリー・ウィットフォードのカウントダウンが遅すぎたとおもうのはわたしだけでしょうか。5秒カウントダウンするのに12秒くらいはかかってますよ。そんなことでいいのでしょうかね。
でもって、案の定、ですわ。だからキングギドラは宇宙生命体だって言ったじゃん、てことです。でもこれ、そういうとこはちゃんと考えていてくれたんだな、とそこはちょっと感謝ではありますね。なんかいろいろ突っ込んだり感謝したりと、忙しい映画ではあるのです。
↑ね、しかも再生してるじゃないですか。不死身じゃん、てことですよ。さすが宇宙最強なわけです。
↑これじゃもうオワです。
でもですよ、忘れてはなりませんね、モスラがいましたよ。ていうか、観客にその存在を忘れさせようとしているとしか思えないほど、映画の中で不遇な扱いをうけているモスラは、いじらしくもさえ思えてしまいます。
↑モスラ羽化!しかもあの曲が、歌ではないですけど、流れてます。救世主です!
でここで全貌が明らかになりました。さきほどのヴェラ様の話とかぶりますけれど。すなわち。
このままだと地球上の人類は、大気汚染やら戦争やらで地球を壊滅させてしまう、と。そんな人類に地球が激怒して、地球自身に寄生する病原菌である人類をほろぼすため、古代に地球を支配していた怪獣たちをよみがえらせ、人減らしをさせているのだ、と。そしてそんな怪獣たちを、人減らしがあらかた終わった時点で「オルカ」でもってコントロールして、生き残ったわずかの人類と怪獣たちとで共存して、もう一度地球を再生しようと、まあそういうわけです。なんとまあやっぱりこれ大それた話かと思いますけれども、火山噴火とか温暖化とか地震とか、地球が怒っている、なんて言葉を聞きますと、なるほどなあ、という気もします。筋は通っていますよね。なかなかの脚本なわけです。
↑1時間10分すぎて、ようやくキングギドラが宇宙生命体だということが分かったようです。日本人はみんな知ってますけどね。
で、いったん痛手を負って戦いからしりぞいていたゴジラが、モスラの力によって復活します。ここらへんはなんか昭和を思い出してわたし、感動してしまいました。
↑ちょっと見にくいですけど、モスラが神々しく羽ばたいてます。感動のシーンです。モスラがゴジラを目覚めさせて、ほかの怪獣たちと戦う、ということですね。こうなってくるともう昭和なわけですよ。正統派、日本のゴジラ、ということです。前作の「ゴジラ」という名の「ガメラ」とはわけが違う、とまあそういうわけですから、そりゃ感動もする、てなもんです。
スケールもすごいですね。怪獣たちが戦うシーンもそうですし、海底都市まで出てきました。
↑いろいろブッコミすぎじゃないかとも思いますけど、違和感はないです。この海底都市は、ゴジラの家、というわけです。わたし、ウルトラマンのジラースを思い出してました。
↑そんなことを言っていたら、首都ワシントンはトンデモなことになってました。あまりのことにわたし、ちょっと笑ってしまいましたよ。
そしていよいよ芹沢博士、自己犠牲となります。ここはやはり1954年の「ゴジラ」に敬意を表して、ということなのでしょうね。おじいさんである芹沢博士の、平田昭彦さんを思い出して、わたしもちょっと涙ですよ。
↑回天じゃん、とは思いました。「アルマゲドン」にも通ずるものがあります。
↑さすがのわたしも、このシーンで渡辺謙が日本語で「さらば、友よ」って言ったときは号泣しました。
そしていよいよゴジラ、完全復活となりますよ。ほんと、いよいよ、なわけです。
↑1時間30分過ぎです。さあ決戦だ、て感じでしょうかね。休養十分、と。伊福部昭氏の曲がやっぱり最高にかっちょえいですね。鳥肌ものなのです。
↑窓越しのキングギドラです。ここはやっぱり「ジュラシック・パーク」ですかね。怪獣と恐竜は違いますが、あちらこちらに敬意を表しているのでしょうか。決してパクリと思ってはいけないのですね。
↑娘ちゃんのマディソンとキングギドラです。スケールがケタ違いなわけです。観ているこっちはもう、ぐうの音も出ません。
↑いつもいいところで現れますよ。おいしいとこ取りです。でもモスラですから。救世主だから、これでいいのです。そこらへんはちゃんとわかってくれていてうれしい限りですね。
だからって、役者だって負けてはいられないわけですよ。わたし的には、ちょっとカイル・チャンドラーだけ浮いてた気もしますけれども、娘ちゃん役のミリー・ボビー・ブラウンちゃんは名優だと思いました。
↑迫真の演技ですよ。
で、前半とはうって変わってあまりに怪獣が出すぎてることになってましてね、最後に向かうにつれて若干収拾のつかないことになってきました。まあラストですからね、やってまえ、てことだったのでしょうけれども、これほんとに地球、復興できるのか、という不安はぬぐえませんね。
↑もう何が何やら状態ではありました。
↑家族はようやく再会です。こうしているうちにも、一般市民は大多数が亡くなっているのでしょうけれども、そういうところには一切触れませんね。わたしそこだけはどうしてもナットクいかないのです。なんか怪獣退治して、ゴジラも海に帰って、一件落着、ああよかったよかった、じゃないんですよ。そういうところはやっぱり「シン・ゴジラ」を見習ってほしいとはいつも思うわけですね。まあとりあえず、この再会シーンではわたしもちょっと泣いてしまったので、いいですけど……。今後の課題としてほしいところではあります。
なんで言ってたら、ヴェラ様までもが自己犠牲に走ってしまいました。いやいやここでそれする必要ある?ってわたし真剣に思いましたよ。まあヴェラ様のせめてものつぐない、ということなのかもしれませんが、死んでしまっては償えるものも償えなくなってしまうわけで、やっぱりここは生きていてほしかった、生きてちゃんと責任を果たすのが、ほんとのお詫びなんだとわたしは思いますけれどね。よくなんか偉い人が、不祥事の責任を取って辞任したりしますけど、辞任したら終わり、じゃないでしょうに。辞任してからちゃんと元の状態に戻す、ってまでが責任を果たすってことじゃないですか。いつも腑に落ちないのですね。
↑で、ラストですよ。怒り狂ってます。
↑ギドラも踏みつけられました。さすが、キング・オブ・モンスターズ、なのです。
↑このドヤ顔はすごいですね。笑ってしまいましたよ。
↑やっぱりゴジラはかっちょえいのです。フォルムは日本のそれとは似ても似つかないものではありますけれども、でも根本は同じですからね、良き、でありました。若干、なんかみんな実は被曝してるだろ、ということはあるのですが、そこを不問にするのもこの映画の良いところではあります。1984年の「ゴジラ」で、ゴジラが原発ぶっ壊してしゅうしゅう言って放射能が噴出している建物をゴジラが抱えて、その煙を全部吸い込んだら夏木陽介が「すごい、ゴジラが放射能を全部吸い込んでしまった」なんてクソみたいな脚本を書くよりは、そもそも不問にしてしまったほうが潔い、というもんです。まあいつかこの問題を解決してくれるゴジラ作品ができることを期待して、ここはわたしも不問といたす次第です。
最終的に、わたしの評価としては、わたしのヴェラ様が若干イヤな奴の役だったというところで★2つ減、前半の焦らしもよくなくってさらに★1つ減、というところです。でも後半のむちゃくちゃは、単なる怪獣映画としては最高でして、単純に楽しみたいというのであれば、前半はサクサク飛ばして、1時間過ぎあたりから真剣に観るとよいかもです。
今日の一言
「なんか、青い……」