木戸修という信頼 | ミスター・プロレス・アワー

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「木戸なら大丈夫だな」

「木戸なら確実だ」

 

 

そう思ったことが何度あったことでしょう。

 

昭和の時代、私がプロレスを見始めたころ木戸修は中盤よりやや前半で試合することが多かったです。

 

野球チームで下位打線を打ってるんだけど確実な成果をあげる選手いますよね。

子どものころ木戸修に抱いていたイメージに近いです。

 

 

UWFに参加するとタイガー、藤原、前田らとしのぎを削りトップクラス入り。

 

UWFはファイトスタイルの斬新さが語られることが多いですが、ちょっと前まで新日本で全然立ち位置が違っていた選手たちがガンガンやり合って勝ったり負けたりしてるのが刺激的でした。

 

UWFは何度かリーグ戦をやっていて木戸も優勝しました。

新日本で主に興行の前半中盤を盛り上げていた木戸が団体ナンバー1になる、しびれたなぁ。

 

 

その後新日本に復帰しUWFの再独立には参加せず新日本で現役を全う。

 

 

新日本ほど色々起こる団体はありません。

色々あっても木戸修が登場すると安心するんです。

 

基本中の基本が完璧。

リストロックの取り方なんか見事でした。

猪木さんや藤波、タイガー以上にうまかったんじゃないかな。

 

 

1990年2月の東京ドーム大会、木戸は木村健悟と組んでジャンボ&谷津組と対戦しました。

 

当時の報道では「全日本の大エースジャンボ鶴田が横綱相撲を繰り広げた」的な報じ方が大半でした。

まずジャンボが新日本マットにあがること自体が「異常状態」ですからね。これにやられちゃいます。

 

私は当日観戦できなくて後に「裏」ビデオで試合を見たんですが、木戸修の奮闘に心から感動しました。

 

ジャンボが試合をまとめようとしても「そうはいかない」とばかりに木戸修が試合をグイグイコントロールしていく。

 

報道で伝えられたのとは違う伯仲したスリリングな攻防でした。

 

ジャンボはムッとしたでしょうねぇ。

 

ジャンボはバックドロップを披露しますがへそ投げじゃなくて片足抱え式。

 

「伝家の宝刀へそ投げのバックドロップはあんたたち相手には出しませんよ」

と言わんばかり。

 

ジャンボのこういうちょっと大人げないとこも「らしい」です。

 

 

「エースだかなんだか知らないが簡単に終わるわけにはいかないんだよ」

木戸の矜持を感じました。

この試合を見て更に木戸修を「信頼」しました。

 

 

木戸は2001年に引退。

 

その翌年デビューする中邑真輔の指南役に。

中邑はレスリングでの実績もあり期待のルーキーでした。

 

2002年ですから新日本が混迷の冬の時代に入り始めたころです。

 

信頼ある木戸修が期待の中邑を指導、混迷の時代における新日本の「粋」でした。

 

 

中邑のデビュー戦ワールドプロレスリングで見ましたがが、リングサイドで中邑に発破をかける木戸の鋭い目つきが忘れられません。

 

 

木戸と中邑のツーショット。

 

良い写真です。

 

 

「俺の最初のプロレスリングの師匠、木戸修」

 

グッときます。

 

 

木戸といえば札幌での熱狂的支持も忘れられません。

 

独特の口調での「木戸」コールの元祖の方は札幌の方じゃなかったかな?

 

通称「木戸オヤジ」。

 

札幌で元祖「木戸オヤジ」さんのコールの中木戸の試合を見てみたかったなぁ。

 

 

思い出と思い入れがありすぎてまとまりません。

 

木戸修というプロレスラーこれまでもこれからもずっと「信頼」しています。