海外修行から帰国をきっかけに猛プッシュ。
プロレスで長く使われている選手の売り出し方です。
成功もあれば失敗もあります。
無理やり売り出してるのがあからさまなのも多々。
無理やり系で一番印象に残ってるのは大仁田厚です。
アメリカでチャボ・ゲレロに勝ってジュニア王者になり帰国。
実に華々しい…
のですが、当時はタイガーマスクの超絶頂期。
ハードルが高すぎる。
アメリカでチャボに勝った試合もとにかく勝ったという事実が先行。
個人的に記憶に残ってるのも試合後「社長~!!」と泣きながら喜ぶ姿。
ジュニア王者として帰国して日本での初防衛戦がジェイ・ヤングブラッド戦でした。
大仁田の動きがドタバタして雑に見えました。
結果勝ちましたが喝采を送るような内容ではなかったすね。
素人の子どもでも「ヘッタクソだな」と思いました。
全日本初のジュニアの王者だからすごい重用されてました。
大型じゃないセミ以下に出そうな外国人選手にちょいちょい勝つ。
これ見てて複雑でした。
一応大仁田の相手させる軽量の選手呼んでましたが、藤波やタイガーを徹底的に売り出した新日本と比べ全日本は熱心に感じませんでした。
「これくらいの体格の選手ならジュニアの大仁田と試合させたらちょうどいいんじゃないの」
といういい加減さを感じました。
その中で特に良くないなと思ったのがラリー・ズビスコとの試合。
1982年秋のシリーズかな。
外国人サイドの中堅どころとして呼ばれたズビスコ。
大仁田とシングルマッチ。
大仁田が勝っちゃうんですよね。
これはないなぁ。
ズビスコってサンマルチノの弟子ですよね。
壮絶な仲間割れしたのちニューヨークのシェイ・スタジアムのメインで師弟遺恨対決やったり。
ズビスコはサンマルチノの現役末期を盛り上げた大ヒールなわけです。
なのに大仁田のモッサリしたブロックバスターであっさりと負けてしまう。
すっごいガッカリしましたよ。
ミサイルキックも待ってあげ過ぎ。
馬場さん親友サンマルチノと大熱戦繰り広げた選手こんな簡単に負けさせちゃダメだよと思いました。
全日本で初めて売り出すジュニアの選手だから期待されてたんでしょうね。
期待されすぎた。
でもどうやって売り出せばいいのかよくわからなかったんだろうなぁ。