1990年の「世界最強タッグ」 | ミスター・プロレス・アワー

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1990年の全日本プロレスは正に激動でした。

天龍はじめ大量の選手がSWSに移籍。

設立以来の危機と言われました。

しかしタイガーマスクだった三沢がマスクを脱ぎ鶴田、ハンセンに果敢に挑むことでファンのハートをガッチリと掴みました。

SWSアレルギーの追い風もあって危機どころか活性化することに成功しました。

 

全日本プロレスの年末といえば世界最強タッグ決定リーグ戦。

この年の最強タッグはなかなか興味深い内容でした。

 

以下がリーグ戦の結果です。

 

【優勝】ゴディ&ウィリアムス 21点

② ハンセン&スパイビー  20点

③ ジャンボ&田上 17点

③ 三沢&川田 17点

③ ファンクス 17点

⑥ 馬場&アンドレ 13点

⑦ ブッチャー&キマラ2 12点

⑧ エース&小橋 10点

⑧ キッド&ジョニー・スミス 10点

⑩ ランド・オブ・ジャイアンツ 6点

⑪ ラッシャー&マイティ 4点

⑪ スレーター&ディートン 4点

⑬ ファーナス&リッキー・サンタナ 2点

 

ゴディ&ウィリアムスが優勝しましたが、リーグ戦の序盤は馬場&アンドレが首位を独走してました。

優勝することになるゴディ&ウィリアムスにもフォール勝ち!

「こりゃどうなってしまうんだ?」と思いました。

 

しかし御大・馬場さんはファンクスとの試合中のアクシデントで大腿骨を骨折し戦線離脱…。

馬場さんが久々に最強タッグで奮闘していただけにショッキングな出来事でした。

大腿骨骨折という大怪我、選手生命が危ぶまれましたが馬場さんは翌年の6月に無事復帰しています。

 

このリーグ戦で注目されたのは三沢&川田の躍進、ジャンボのパートナーに抜擢された田上がどこまでできるかという点です。

結果的に三沢&川田もジャンボ&田上も優勝争いに残ることができず同率3位でリーグ戦を終了しています。

 

これは全日本らしいなと思いました。

若い選手たちの台頭があったからこそ大量離脱のショックを払拭できたが、急にランクアップさせない。

ヒエラルキーを重んじる全日本ならではです。

 

優勝を争ったのはゴディ&ウィリアムスとハンセン&スパイビー。

強力な外国人チーム同士で優勝を争うことでリーグ戦に重みとボリューム感、「まだ若い三沢、川田や非力な田上じゃ入り込めない」という説得力が生まれます。

 

優勝戦、ウィリアムスが29分59秒、残り1秒でハンセンを抑えて勝利。

この決着も絶妙でした。

トップ外国人選手だったハンセンを後輩のウィリアムスがギリギリでフォールするというのは実にドラマティックです。

 

三沢&川田は優勝争いには残れなかったものの今後期待できる健闘でした。

田上はまだかなりしょっぱかったな~(汗)

田上の試合が安心して見られるようになるにはこれから数年要しました。

 

興味深いのはリーグ戦で全日本のタッグリーグ戦の生き字引であるファンクスが平成の時代になっても三沢&川田、ジャンボ&田上と同率3位であったことです。

レジェンドチームと将来を嘱望される若い選手たちを含むチームが3位を分け合う、これもまた全日本らしいです。

 

13チーム参加のリーグ戦。

1リーグ制だと最多出場チーム数ですかね?

 

ランド・オブ・ジャイアンツ、6点取ってたんだ。

てっきり全敗かと思ってましたよ(笑)

馬場&アンドレvsランド・オブ・ジャイアンツ戦は「史上初ジャイアント馬場が一番身長が低いタッグマッチ」なんて言われ話題になりましたが、それ以外あまり印象にありませんでした。

一応3勝はしてたんすね(苦笑)

 

ディック・スレーターがディートンと組んで出場するも4点止まりと振るわず。

かつてはチャンピオン・カーニバルの優勝をジャンボと争った人気レスラーでしたが、このころは悲しいかな員数合わせ的な扱い。

本国アメリカではまだまだレッドネック系ヒールとして頑張ってたころなんですけども、日本では80年代中頃からあまり活躍できなくなってました。


 

1990年代の全日本は四天王プロレスを中心に展開しドメスティックになっていきます。

試合内容のクオリティの高さは確かでしたが、その反面バラエティさに欠けたのは否めなかったです。

 

平成に入って2年目の1990年最強タッグ、馬場さんの大怪我というアクシデントに肝を冷やしましたが、

リーグ戦自体は伝統と未来の全日本が交じり合っていて興味深いです。