先日、元職場の上司的存在だった男性が
若い衆を引き連れて店に来てくれた。

俺のイメージでカクテルつくって、ていうから
迷わず、じゃこれどうぞ。と、
ラスティーネイルというカクテルをお出しした。

ラスティーネイルとは、
スコッチウイスキーにドランブイという
ウイスキーリキュールを合わせた
甘くて強いロックスタイルのカクテル。

ラスティーネイル=錆びた釘=抜けない=頑固者っていう意味があるから
これ、よろしくないイメージを持ってしまう人もいるのでは?

私にとっては、むしろとても誇り高く
魅惑的なカクテルというイメージなんだけどな。

つまり、こう。
頑固者=意志を貫く=新しいものを生み出す=時代を動かすセクシーな男。

歴史を刻む男は、みんな一クセ二クセあるツワモノたちでしょう。
だから、ラスティーネイルのイメージの男って
なかなか数いない。私なりの、上質な誉め言葉なんです。

実際、ラスティーネイルを飲めばわかる。
何十種類のモルトと何十種類のハーブ、蜂蜜などを調合したドランブイを、伝統あるスコッチウイスキーと合わせて融合させた奥深い力強さを。
であって、薫り高く、包み込むようなまろやかな舌触りを。
これは、新品のあおーい釘には出せない味。
錆びてるくらいじゃないと、つまらない。






「妄想」が許される世の中になってきました。
また、それを人と共有して楽しめるようにも。

友達から教えてもらったある方のブログに書いてありましたが
理想の男の子像、てのは女の子なら誰でもあるけれど、
どんな男が好き?と聞かれて
優しい人かな、などと言える女は
モテ系女。だそう。
なぜなら、現実と理想のギャップが少ないからってことらしい。
そして、理想の男というところに、いかにマニアック度をもり込み
非現実的な対象を偶像化して「妄想」するのは
モテない系女。だということでした。

完全に、わたくし、後者でして。

日々、男だけでなく、理想の女像というのも妄想します。
これも自分にないものからうまれるため、
当然モテ系女が出来上がるのですが。
何人も、私の崇拝するモテ系女というのは頭の中で生活していて
その中の像で、「キックのある女」ってのがあります。

この間、渋谷のとある雑居ビルに焼酎バーを構える
40代半ばの、ちょい中村あゆみ風のママが
店をやるきっかけについてこう言ってました。

「あたしって人間に、どれだけ人が集まるんだろう、どれだけ人が呼べるんだろうって思ってね。あたしってどれほどのもんなんだろうって。」

その方が、とても自信にあふれているから、
その大胆な言葉もちっとも恥ずかしく聞こえなかったし
イヤミな感じもおぼえなかった。

何かや誰かに強いとかいう意味じゃなくて、
えてしてごまかしたくなる自分自身について
あえて試すことの出来る強さとか、
するべきところで自分のタイミングで
心地よくターンすることを選択出来るという
優雅さを感じたのです。

こういうの、キックのある女って、言いたくならないですか?
(出来れば共有したい)

そういえば、モスコミュールっていう馴染み深いカクテル、
‘キックのあるカクテル’という意味の名前でした。
モスコミュール=「モスクワのラバ」という意味で、ロバと馬のあいの子のラバというのはキックをする癖があるってことで、ラバに蹴飛ばされたように強いですよ、キックのあるカクテルですよ、ということ。

モスコミュールを飲むたびに、
とかく、モテ系女などの妄想の世界を
浮遊してしまうのです。
ブラッディーメアリーというカクテル。
血まみれメアリーという名前の由来については、いろいろ言われていますが。
このカクテルは、ウォッカをトマトジュースで割ったもの。
時に、タバスコとか塩こしょうとか、スパイスをかけてスープ感覚で飲んだり。
一昨日の友人の立食形式のウェディングパーティーで、ブラッディメアリーのことを思い出す出来事が。

美味しい料理が参列者によってどんどんたいらげられていく中、一種だけ、誰も手を付けたがらない料理がありました。カウンターの隅っこに、ずっととり残されているそれは、カクテルグラスに小粋にもられた、トマトスープ。
上品なカクテルグラスにスプーンが添えてあって、単純に一口では食べられないから手にとりづらいというのもありましたが、人気のない理由はたぶん、あえて、酒が山ほどあるその場でトマトスープという液体を流し込む必要性がなかったからだったのでは。

急激に、アメリカの禁酒法時代の労働者に思いを馳せます。
その時代の労働者たちは気ままに酒を公の場で飲むことも制限されていました。でも、酒は飲みたい。そこで知恵を絞り、酒にトマトジュースを混ぜることを思いつくのです。ハタ目からはどう見ても酒ではなく、トマトジュース、トマトスープを飲んでいるように見えるから、これだったら堂々と酒が飲める、として、巷で流行っていったのです。

酒を飲むために、トマトジュースを混ぜた歴史。
酒を飲むために、トマトジュースを避ける現代。

あの取り残されたトマトのスープ、もしも、ウォッカが入ったブラッディーメアリー、もしくはジンが入ったブラッディーサムだったとしたら、参列した現代の労働者たちにももっとウケが良かったかしら...
だって、酒を飲みたいという欲求は、時代に関係ないものだし。
少なくとも私はそのカクテルグラスを気軽に手にとって、クイっと飲みほしたはず、と思うのです。

おめでたい席でいつまでもカウンターにとり残されたトマトスープに、哀愁を覚えながら。