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壱や【源氏物語】
宇治十帖
第五十四帖
夢浮橋
あらすじ
薫は、浮舟の異父弟の小君を使って横川の僧都を訪ね、小野に隠れ住む女について問いただした。
隠しだてもできまいと僧都がありのままを明かすと、薫は浮舟が生きていたと知って思わず涙ぐんだ。
それを見て僧都は、浮舟の出家に手を貸したことは過ちだったと痛感した。
そして薫に請われるままに、浮舟への手紙をしたためた。
薫一行が帰京の途次に小野をよぎった時、その松明の灯を遠望した浮舟は、宇治で聞き知った前駆の声から、薫と気づく。
昔を思い出し動揺する心を、念仏で紛らわす浮舟だった。
翌日改めて、薫は小君を小野に遣わした。
折しも小野にはその早朝、薫大将の使いで小君が浮舟を訪ねるとの連絡が僧都から入り、子細のわからぬ妹尼が浮舟に説明を求めていた。
そこへやってきた小君は、まず、僧都の手紙を差し出した。
文面には「もとよりの契りを違えることなく、大将の愛執の罪を消滅させるように尽くせ」とある。
もう一通は薫からの手紙で、浮舟の罪を厳しくなじりつつも、会いたいと逸る思いや彼女にとらわれる恋心が記されていた。
浮舟は尼姿を薫に見られると思うといたたまれず泣き崩れて、心当たりがない、手紙は持ち帰ってくれと返す。
小君は空手で帰り、待ち受けた薫は落胆して、使いなど送るのではなかった、やはり男がいて彼女を隠し据えているのかなどと、過去に浮舟を囲った覚えから様々に邪推するのだった。
平安人の心で「源氏物語」を読む
山本 淳子著 引用
「形代」の物語の彼方
物語は泣き伏す浮舟を語ったあと、小君の頼りない報告を聞く薫が誰か浮舟をかくまっているのかと想像をめぐらすところで終わる。
この最後は何を語っているのだろうか。
浮舟は死を決意したとき、薫のためにも匂宮のためにも不祥事を防ぐには、自分の命を捨てるのがよいと考えた。
ところが、薫と匂宮があらわしていたのは、浮舟がそのために死ぬに値しない現実であった。
匂宮の情熱は冷めてみれば虚しさしか残らなかったし、浮舟がいなくなれば彼は新しい薫の恋人である小宰相に言い寄った。
薫もまた浮舟と小宰相を比較して、小宰相の方がすぐれていると考えた。
薫にとって浮舟はその程度の意味しかなかったのである。
大君の「人形」として代替不能のはずの浮舟が、大君や中君にくらべて劣るというのならともかく、一介の女房に比して劣るとされたことは、薫の内部で浮舟が占める固有な意味が薄れていたことを示している。
あるいは薫にとって当初から「山里のなぐさめ」(浮舟)とされた浮舟の位相はその程度であったのである。
それは浮舟が死ぬに値しない現実であり、そのような現実のために死ぬことはない、あるいは死んではならない。
物語は浮舟をこのまま死なせるわけにはいかなかったのである。
それでは浮舟はどう生きるのか。
かつて浮舟を翻弄した現実が再び彼女を取りこもうとするのに対して、浮舟は抵抗する。
「世に知らず心強くおはしますこと」(夢浮橋)と非難されるが、浮舟はかたくなな拒絶によって、あるいは貴族社会に対して自己を異和的な存在たらしめることによって自己が自己であるための支えとした。
浮舟に救いがあるとすれば、そのようにして彼女が外界の現実の力に対峙して自己を守りとおそうとした以外にはない。
しかし、そこには社会的に開かれていく人生の展望は何ら与えられていない。
物語は浮舟をたった一人で貴族社会に向き合わせ、その孤独な抵抗においてすべてを閉じた。
泣き伏す浮舟の姿は現実の重さに抗する姿である。
第二部で紫の上によっていったん昇華されたかに見えた「形代」の物語は、ここではっきりと別の位相を見せる。
「形代」の物語は理想の女性像を求める物語であり、紫の上は藤壺の「形代」として藤壺にまさる理想的な女性に昇華した。
しかし、「形代」としての理想とは所詮男の立場からのそれでしかありえない。
立場を変えて、女にとってそれが理想的な生き方なのかと問うたとき、作者は否定的にならざるをえなかったのである。
泣き伏す浮舟は「形代」となることを拒否するが、では浮舟が浮舟らしく生きることは可能なのか、彼女にはどのような生き方が残されているのか。
物語はそうした問いをここでも投げかける。
「形代」の物語は宇治十帖を通り抜けることによって、女の立場から女の人生を考える物語へと変換されていたのだといえよう。
正編における「形代」の物語の克服である。
そのような浮舟を薫は誰か男にかくまわれているのではないかと想像する。
この卑俗さは、横川僧都に向かって「心の中は聖に劣りはべらぬものを」(夢浮橋)と言ってはばからない薫の道心への自負をそらぞらしく感じさせる。
薫こそ浮舟が堪えねばならない重い現実であった。
そのような浮舟の造形が語りかけてくるものは何だろうか。
それは現実に対する絶望をも希望をも虚妄として、崩れそうになりながらも屈服を潔しとしない、物語作者の精神の所在にほかならないのである。
源氏物語の世界
日向 一雅著 引用
皆さま、いかがだったでしょうか。
宇治十帖の終わり、そして源氏物語の
終わり、夢浮橋...
紫式部は 結局、何を言いたかったのか。
これに尽きるという...
わたしには、まだまだわからなくて。。。
皆さまへ、何かヒントになるものがあるといいのですが。。。
夢浮橋、源氏物語はここまで。
本当にありがとうございました。
壱やブログ
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大晦日に更新された幻。
そして、大晦日記事を最後に
壱ちゃんの美しい画像をご紹介。
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リブログリンクしています。
遡ってみませんか。
美しい源氏物語の世界へ
💞💞💞
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壱や源氏物語に感謝して
2020年9月13日 日曜日。
長きに渡って 連載された 壱や源氏物語が
第五十四帖 夢浮橋 最終帖で完結...
幕を閉じました。
ここから 始まった
壱や源氏物語
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この日から 番外編 特別編も交えながら
2019年12月31日大晦日の日、
光源氏 終焉 幻の帖まで
四十回の記事を更新。
それは、年間休日数日の過酷なお仕事のなかで(年末まで百日超えの連勤の中でした)更新されてきました。
集うブロガーさん皆さんが 毎週日曜日の更新を今か今かと待ち、壱ちゃんファミリーが壱や源氏物語を盛り上げていきました。
本当に楽しかったです。
宇治十帖を終えて、余計に源氏が恋しくなってしまった今。。。
わたしの幻までの思いは
こちらに書きました。
源氏ロスについても
書いています
☟☟☟
そして、大晦日記事を最後に
しばらく充電期間を経て...
ここから
壱や源氏物語 ふたたび…
始まったのでした。
☟☟☟
趣味のお花の写真はプロ級。
その素晴らしいお花の中に埋め込んだことば達。
壱ちゃんの感性が 際立ちます。
凄いの一言。
ぐんぐんと壱や源氏物語に惹き込まれます。
匂宮から夢浮橋までのわたしがチョイスした
写真たちをご紹介させてください。
どうでしたか?
美しい壱や源氏物語。
伝わったでしょうか。
全て壱ちゃんが撮影したお花です。
お花を見ているだけで 心が豊かになれますね。
わたしのセンスが問題でレイアウトが下手くそ。
そこは、壱ちゃん🤣🤣🤣ごめんねぇ!!
あー。終わってしまったんだよねー。
ブロ友さんとの横の連携も楽しく
ファンブログ❤も続けてこられました。
壱や源氏物語が更新される度に
壱ちゃんのコメント欄には
いつも 心に響く素晴らしい
コメントがたくさん寄せられていました。
そのコメントを読んで ハッとしたり
共感させて貰ったり、また新しい感情が
増えたり。
共に盛り上げて来られたと思っています。
本当に本当に楽しかった。
壱ちゃんはもちろん、壱ちゃんファミリーのブロガーの皆さん、本当にありがとうございました。
合わせてブロ友さんをリンクさせてください。
🌸🌹🌺🌻🌼💐愛あるリブログで
素敵な花道を🌸🌹🌺🌻🌼💐
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そして、いつも読んで下さるわたしの読者さん。
拙いブログを優しく見守って下さって、
本当にありがとうございました。
感謝━━━(≧∀≦人)━━━感謝
心よりお礼申し上げます。
これからも、源氏物語を読み進めていきたいと思っています。
また、ひょっこりブログにするかも(笑)
ではでは。
2020年9月16日投稿