ファンブログ❤ 紫式部に恋をして<二十九>源氏物語・和歌・鈴虫(すずむし) | みそらの日日是好日 ‪‪ᵕ̈* ニチニチコレコウジツᵕ̈*

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2020年春...
1998年生まれの長男は
東京で社会人に。
2000年生まれの長女は
うどん県で女子大生。
これから わたし時間を楽しむぞ!!(b`>▽<´)-bイエーイ☆゛








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壱やブログより☝︎


三十八帖鈴虫

翌年、源氏五十歳の夏から秋までのこと。
夏、女三の尼宮の持仏じぶつ身近に安置したり、身につけたりして信仰する仏像の開眼供養かいげんくよう入魂式、魂入れがある。

源氏はぬかりなくその法要が盛大になるようあらゆる援助を惜しまない。

紫の上も僧たちの法服や幡はたなども用意して布施をした。

持経や仏前に供える経は源氏が自分で紙を選び書写した。

普段尼宮が生活している寝殿が法要の場とされ、御帳台が仮の仏壇として荘厳しょうごんされた室内を見て、源氏は女三の宮を出家させてしまったことを改めて悲しむ。

しかし女三の宮は源氏の感傷を受けつけない冷たさで対応する。

女三の宮は出家後、心の平安を得ているようである。

宮の後を追って出家した女房たちにかしずかれた尼宮の生活はそれなりに平穏さが見える。

秋、八月十五日の夜、源氏が訪れて秋の野らしく造った庭に放った鈴虫の音を聞き女三の尼宮と唱和する。

女三の尼宮は、またしてもまだあきらめきれないふうに未練たらしく言う源氏をうとましく思い、どこか遠くへ行ってしまいたいとさえ思う。
壱やブログより☝︎
きんの琴ことを引き寄せ、源氏が久しぶりで弾く。

さすがに女三の尼宮は熱心にそれを聴く。

そこへ蛍兵部卿の宮や夕霧が訪れ、鈴虫の宴となる。

たまたま冷泉院から誘いの使いが来て、一同を引き連れて源氏は冷泉院へ行く。

その夜は詩や歌を作り、音楽を愉しみ、明け方まで興を尽くした。

そのついでに源氏は秋好む中宮を訪ねた。
中宮は母六条の御息所の怨霊の噂に心を痛め、御息所の妄執もうしゅうを救うため、出家したいと打ち明ける。

源氏はそれに強く反対し御息所の追善供養をすすめるのだった。

これという筋もなく、ただ淡々とした筆つきで女三の宮の出家後の暮らしぶりを書き、中秋の名月の夜の源氏の行動を書いているが、名画を見るような美しい短篇小説になっている。

登場人物の一人一人の心の孤独さが虫の音を伴奏に浮かび上がってくるようである。

源氏物語 巻七
瀬戸内寂聴 訳 引用



源氏物語と京都
六條院へ出かけよう
監修 五島邦治 編集風俗博物館 より
ぜひ、拡大してみてね。






出家を選んだ女たち

「出家とは生きながらにして死ぬこと」
自ら出家の道を選ばれた瀬戸内寂聴尼の言葉である。

ご自身の体験を踏まえてこその一言であるに違いないが、この言葉は、こと平安時代の貴族女性においても、ほとんどそのまま事実と言ってよい。

庶民階級には、僧の妻として暮らす尼や芸能で身を立てる尼など世俗を引きずる者がいた。

だか貴族社会では、尼となれば恋人や夫との関係を断ち、世俗の楽しみを捨てて厳しい仏道修行に励まなくてはならなかった。

それでも彼女たちは、それぞれに心の救済を求めて、出家の道を選んだのである。




動機は大きく三つに分けられよう。

1⃣なんらかのできごとをきっかけに生きる意欲をなくして出家するタイプ

2️⃣家族など大切な人を喪って出家するタイプ

3️⃣病を得たり年老いたりして、死を身近なものと感じ出家するタイプ




1⃣のタイプは最も劇的な出家といえ、「源氏物語」の女君は多くがこれにあたる。
光源氏のストーカー行為から逃れるために出家した藤壺。
同じく継息子に言い寄られて、世に嫌気がさした空蝉。
柏木に犯されて出産し「もう死にたい」と出家した女三の宮も、自殺未遂の果てに出家した浮舟もそうだ。

仏教では、俗界は汚辱と苦に満ちていると考える。
生まれ変わってもまた、それは同じだ。

来世を少しでもよいものにするには、現世で功徳を積むしかない。

そして仏の救いを得、極楽浄土への往生を果たすことが、最後の幸福だ。

当時の仏道の基本はこうした考えであってよい。

貴族たちも、華やかな日々の暮らしの奥底にこうした世界観を持っていた。

そして何か事があれば、俗世界を脱して仏道専心の清らかな世界、つまり来世や浄土のことだけを思う出家生活に入ることを願った。

出家とはその意味で、世俗の生から死への緩衝地帯かんしょうちたいと言える。

だからこそ、女に若い身空で出家されることは、夫や家族にとって辛く、また忌まわしいことでもあったのだ。

とはいえ2️⃣のような「後追い出家」となると、止めるわけにもいかなかった。

実は、人生にとって尼としての期間はあまり長くないほうが望ましかった。

また人生の醍醐味をできるだけ味わってからのほうが良いと、平安女性も考えていた。

これが3️⃣の結婚・出産・子育てを終え、人生の役割を務めあげて、後は死ぬまで待つまでの「ライフサイクル型」の出家である。

「源氏物語」の女君で探すと、意外にも六条御息所がこれにあたる。

「賢木」巻での述懐によれば、彼女は桐壺帝の弟が東宮だった時、十六歳で彼に嫁ぎ、娘(秋好む中宮)を出産。
二十歳で夫に死なれた。 

だが、その後も女としての生き方を堪能したことは、光源氏とのいきさつから明らかだ。

雅やかな暮らしぶりは最期まで変わらず、病気をきっかけに三十六歳のとき出家して、間もなく亡くなった。

少しばかり短命だが、出家の在り方だけから見れば理想的ですらある。

もっとも六条御息所の魂は、出家したにもかかわらず救われなかった。

煩悩は仏道より強し。

それは物語のその後がはっきり示していることである。
平安人の心で「源氏物語」を読む
山本淳子著 引用





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ここまで読んで下さった方ありがとうございます。
いつも、長くてごめんなさい。

今日は珍しく 壱ちゃんブログが更新されたその日に
ファンブログ❤を上げることができました!!

女三の宮の開眼供養から、出家についてを書いてみました。

六条御息所の出家の仕方が理想だったとは。。。
どうも、物の怪御息所というイメージばかりが
大きくて あまりこの人の出家のとき、深く考えも
しなかった気がします。

次は夕霧ですねー。
刻々と御法・幻に近づいて来ましたね。

一つ一つ噛み締めながら
進んで行きたいと思います。



では皆さま 
日曜日の夜 素敵な時間を
お過ごしくださいね~💙💙💙