紫式部に恋をして
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Photo by 壱ちゃんこのつくばい風情があるよねぇ。
勝手にお気に入り❤️
イビツかな?❤️に見えないかい❓
わたしには❤️に
見えた気がしたんだけど
御近所さんの紅葉
10/29に徒歩通勤中に。
鮮やか〜やっぱり❤️かな❓笑笑
あ!ハイ!ファンブログ❤️でした( ̄∇ ̄*)ゞ
行きます💨
三十二帖梅枝うめがえ
六条の院での薫物合せたきものあわせの夜、
酒宴に内大臣の子息弁の少将が、
催馬楽さいばら 「梅が枝うめがえ」を謡ったことで題が決まる。
源氏三十九歳の正月から三月まで。
今年は、十一歳になった明石の姫君の※裳着の儀式が予定されていた。
東宮も二月に元服、その後 姫君が東宮妃として入内することに決まっていた。
公事もなく、暇な正月末、源氏は薫物合せを思いたつ。六条の院の女君に朝顔の前斎院も加わってもらい、それぞれが独自の名香を調合する。
壱やブログより
判者には蛍兵部卿の宮が当たり、その発表会があった。
この帖の前半は、香道論があり、後半は書道論が展開される。
先に文学論、絵画論、音楽論もあり、源氏の多芸多才ぶりが実証される。
この名香は、全て、明石の姫君の入内の支度に当てられる。
源氏自身も紫の上と お互い内緒にして、邸の内でも別々にかくれて調合していた。
二月十日、いよいよ薫物合せの日で判者の蛍兵部卿の宮が六条の院に到着し、女君たちからの香も次々届けられた。
香壺こうごの箱や壺や台にもそれぞれの趣向の限りを尽くされていた。
宮は、女君たちの調合した香をそれぞれ誉めあげ、面目をたててなごやかな薫物合せが終わる。
その後の宴会も、はなやかで、君達の謡うたいや楽器の演奏があった。
翌十一日の夜、明石の姫君の裳着の式が行われ、腰結いは秋好中宮が源氏に頼まれつとめた。
異例の盛儀であった。
二月二十余日、東宮の元服があり、他家の姫君の入内を先にして、明石の姫君は四月の入内とした。
その間に入内の調度はいっそう整えられた。
その中に、名筆の草子も加えられた。
源氏自身も筆をとり、蛍兵部卿の宮や紫の上と、源氏は書道論を展開する。
内大臣はそうした華々しい源氏周辺の騒ぎを見聞きするにつけ、あれ以来、まだ身の固まらない雲居雁のことが不憫でならなくなる。
壱やブログより
夕霧の心は変わらない。
源氏は夕霧に男は結婚した方が身が落ち着くし、社会の信用も増すと、訓戒する。
源氏物語 巻五
瀬戸内寂聴 訳 引用
※裳着の儀式については👇🏻
こちら 壱やブログ行幸に詳しく💙
宿曜の予言
さて話しは少し前後するが、澪標巻で冷泉帝の即位に引き続いて、明石の君に姫君が生まれたとき、
源氏は宿曜の予言を思い起こした。
宿曜とは 占星術であるが、それによれば源氏には天皇と皇后と太政大臣になる三人の子が生まれるというのであった。
いつそういう予言があったのか明らかではないが、これは光源氏にとっては三つの予言である。
最初の予言は七歳の時に高麗の相人から「帝王の相」(桐壺)があると占われ、十八歳の時には、天皇の父になるという夢占い(若紫)があった。
宿曜の占いは源氏の子孫の繁栄を予言するが、源氏は自分の人生が予言を実現していく人生であると確信するようになった。
その根拠は世間には秘密であるが、実は源氏の子である冷泉帝が即位したからである。
これは夢占いと宿曜の予言が的中したことにほかならない。
この時源氏はこの三つの予言の関わり、すなわち自分に「帝王の相」があると予言されたことと、実際に天皇の父になったこととの関わりについて考えた。
考えた末の結論は 「帝王の相」の予言とは、自分が天皇になるということではなく、天皇の父になることだったという了解であった。
父桐壺院が自分を臣下にしたことを考えると、自分は天皇になる運命になかったのだが、冷泉帝の父になったことで予言は成就したのであり、それが自分の「帝王の相」の真意であったと納得する。
読者も源氏とともにそのように理解してよい。
源氏の「帝王の相」は本人の即位を意味してはなかった。
天皇の父として実質的に実現される王権であった。
~「帝王の相」とは何か~
いったい光源氏の「帝王の相」とは何であったのか。
物語を振り返ってみると、光源氏は生まれた時から
「きよらなる玉の男御子」とか「光る君」(桐壺)というように玉や光の比喩でその美しさや理想性を語られたのをはじめとして、随所に超人的な資質を賞賛されていた。
特に藤壺との密通事件の前後に顕著である。
例を挙げると、源氏が北山に瘧病わらわやみの治療に行き、病気が治って帰京する時、源氏との別れを惜しんで 北山の僧都は次のような歌を詠んだ。
優曇華うどんげの花待ちえたる心地して
深山桜に目こそうつらね
(若紫)
優曇華の花とは仏典で説かれた三千年に一度咲く花で、その花が咲く時には転輪聖王てんりんじょおうという理想の聖帝が現れるという。
僧都は光源氏を転輪聖王になぞらえ、そのようなことを喜び、聖徳太子伝来の数珠を献上した。
そこに左大臣家の頭中将(内大臣)たちが迎えに来て、再び源氏をかこんで宴になるが、その時頭中将の弟が「葛城」という催馬楽を謡う。
それは『続日本記』(光仁即位前紀)にはこう光仁天皇の即位の予兆として歌われた童謡として引かれる歌で、「豊浦の寺の西なるや、榎の葉井に白壁しづくや……しかしてば、国ぞ栄えむや、我家らぞ富みせむや」というもの。
光仁天皇が即位すれば、国が栄え我家も栄えるという内容の歌である。
童謡といっても子どもの歌という意味ではなく、政治的な混迷の時期に流行した諷刺の歌謡をいう。
「白壁」を源氏の隠喩ととればあたかも、源氏の即位を待望するかのような意味になる。
それは左大臣家の繁栄にもなると。
光源氏は全てに超人的に秀でた資質や能力を備えていたが、そうした理想性が帝位にふさわしかったのである。
それが彼の「帝王の相」であり、桐壺帝が源氏を即位させたいと願った理由もそこにあった。
その「帝王の相」の最終的な到達点が準太上天皇である。(藤裏葉)
冷泉帝は本当は源氏に譲位したかったので、それでも内心不満であった。
これは、実の父が臣下であることを心苦しく思う冷泉帝の孝心である。
源氏物語の世界
日向一雅著 引用
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予告で 光源氏 最後の和歌が貼られています。
幻の帖まで 年末十二月二十九日でぴったりと
収まるという……。
わたしのファンブログ❤もそれを追いかけて
行きたいと思います。
いつも長いブログにお付き合いを
ありがとうございます。
感謝━━━(≧∀≦人)━━━感謝