ファンブログ❤紫式部に恋をして<二十二>源氏物語・和歌 真木柱(まきばしら) | みそらの日日是好日 ‪‪ᵕ̈* ニチニチコレコウジツᵕ̈*

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2020年春...
1998年生まれの長男は
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紫式部に恋をして



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三十一帖真木柱まきばしら



髭黒の大将の姫君が、住み馴れた邸を去る時、


今はとて宿離れぬとも馴れ来つる

真木の柱はわれを忘るな

壱やブログより
と、詠んだので この題名がつく。
またこの姫君を真木柱の姫君と呼ぶようになる。

この帖の開巻第一は
「こんなことを帝がお耳にされたら、畏れ多い」
という、源氏のことばで始まっている。

全く読者には寝耳に水で、いきなり参内を目の前にひかえた玉鬘が、こともあろうに最も関心がなく、むしろ嫌っていた髭黒の大将の手に入ったことを知らされる。

前帖「藤袴」が九月で終わっているから、髭黒が思いを達したのは九月の終わりということだろう。

例によって、弁のおもとという女房が、大将を手引きしたので、玉鬘は抵抗のしようもなく、髭黒に犯されてしまったのである。

髭黒は玉鬘の美しさに有頂天になって、いそいそ通いつめるが、玉鬘は、大将を嫌って恨んでいるので、いつでもつれない態度を取っている。

全く予想外の結果に、誰よりも仰天したのは源氏だった。
しかしうろたえ騒ぐのもみっともないし、こうなってはどうすることも出来ないので、一応髭黒の大将を婿として最高に遇するのであった。

しかしこの結果を内大臣は、喜んでいた。
三日の夜のお祝いも源氏が立派に行ってくれたと聞き、内大臣は感謝していた。

帝は玉鬘の参内を愉しみにしておられたので、この思いもかけない結果にはたいそう御不満であった。

髭黒は、美々しい六条の院に通うのは窮屈なので、一日も早く玉鬘を自分の邸に迎え取りたいと思っていた。

尚侍出仕も止めさせたいが、決まったことなので、これだけは髭黒の自由にならなかった。

内心源氏の手がついているだろうとの世間の噂を信じていた髭黒は、玉鬘が処女だったことも望外の喜びで、ますます玉鬘にのめり込んでいく。

髭黒には年上の北の方がいて、姫君一人と二人の若君が生まれていた。

この北の方は、紫の上の父、式部卿の宮と母北の方の間に生まれている。
紫の上とは、異腹の姉ということになる。

この人は、平素は上品で大人しい女性なのだが、非常に強い物の怪がついていて、その物の怪の暴れる時は別人のようになり、ほとんど常人には見えなかった。

病みやつれたこの人を髭黒は「お婆さん」と呼んで嫌っていた。

しかし北の方のしつこい持病をあわれと思い、式部卿の宮の手前もあり、髭黒は離婚など考えていなかった。

ある雪の夕方、その日も雪をおかして六条の院へ出掛けようとする髭黒の背後から、突然発病した北の方が香炉の灰を浴びせかけるという事件が起きた。

頭から顔から衣類まで、全身灰まみれになった髭黒は、さすがにその夜は六条の院へ出かけられなかった。

玉鬘は相変わらず、髭黒に心を開かず嫌っていたので、夜離れをいいことにして平気だった。

かねがね、髭黒の新しい恋を苦々しく思っていた式部卿の宮は、そんな夫のところにいることはないと、髭黒の態度に激怒して、迎えをさし向け、宮邸に引きとってしまう。

北の方は幼い男君や、姫君をつれて里へ帰ることになる。

姫君は十二、三歳になっていて、髭黒が非常に可愛がり、父親っ子だったので、父の留守に家を出ることを悲しみ「真木の柱はわれを忘るな」という歌を書き、それを柱の割れ目に筓こうがい(髪をかきあげる道具のひとつ)の先で押し込んだ。

長い歳月暮らしてきた邸の、庭の樹や草にまで思い出がこもり、北の方も泣かずにはいられない。

宮の邸では、母北の方が泣きながら源氏の悪口を宮に向かって訴えていた。

この宮は紫の上の実父でありながら、源氏が須磨に流謫るたくとなった時、源氏を憎む右大臣や弘徽殿の大后の勢力を恐れ、孤独になって京に残された紫の上に何の援助もせず、須磨の源氏を見舞うことも無かった。

それを根にもっていて、源氏は自分たち一家に復讐するのだと、母北の方は考えていた。

式部卿はそういう自分なのに、六条の院が完成した時、そこで自分の五十の賀の祝宴を、人も驚くほど盛大にしてくれたではないかと言い、母北の方のヒステリックな態度や悪口雑言をたしなめる。

事態を知った髭黒は、式部卿の宮邸に妻や子供たちを迎えに行くが、宮は病気と称して逢ってもくれず、北の方も頑として帰らず、仕方なく、二人の男君だけをつれて邸に引き上げてくる。

玉鬘としては、自分のために起こった一家の崩壊離散ということは迷惑で、ますますこの結婚が嫌になっていた。

この頃になって玉鬘は源氏への自分への愛が如何に深く、その言動が優雅で、こよなく優しかったかということに気づいていた。

その年も明け、翌年春、男踏歌のあるころ、玉鬘はやはり、尚侍として出仕した。

蛍兵部卿からはひそかに消息があり、帝も美しい玉鬘に執着していた。

ある日、玉鬘の局に美しい帝がお渡りになり、玉鬘の美しさに、いっそう未練を抱かれる。

髭黒はその話を聞き、帝の寵愛を受けては一大事と慌てて、強引に玉鬘を自分の邸につれ戻った。

玉鬘への未練を断ち切れない源氏は、二度ほど玉鬘にさり気ない手紙をやるが、二度目の返事は髭黒の代筆であった。

玉鬘は今になって源氏が恋しかった。
帝からも消息があった。

北の方の若君たちは、玉鬘になつき、玉鬘は十一月に男児を生んだ。

近江の君は、玉鬘の幸運を羨み、自分は夕霧に恋文を贈り、またしても人々の失笑を買っていた。
源氏物語 巻五
瀬戸内寂聴 訳 引用






情交の人々、召人めしうどたちの心

玉鬘を我がものにした髭黒大将は天にも昇る心地で、彼女を自邸に引き取ろうとする。
だがその邸には、彼と長年連れ添い、しかもここ数年は心の病に悩んでいる妻がいる。
その悲しみに配慮することが、恋に目のくらんだ彼には全くできない。

ところで髭黒の邸にはこの妻以外にも、玉鬘の邸入りに心穏やか出ない者たちがいる。
「木工の君もくのきみ」と「中将のおもと」という2人の女房だ。

実は彼女たちはいずれも、髭黒大将と男女の関係にある。だか、決して妻でも恋人でもなく、あくまで邸の女房、つまり使用人にすぎない。

しかしその分際であっても、自分とただならぬ仲にある髭黒のこの冷淡さには、さすがに分際なりの憤りや悲しみを覚えずにいられないのだ。

邸の主人、または主人格の男性と情交関係にある女房。こうした女房を、当時「召人」と呼んだ。

『源氏物語』では、源氏の召人として、中務の君や中納言の君、また中将の君といった女房の名前が見える。

彼女たちは正妻・葵の上の実家である左大臣家の女房であったり、二条院での源氏付きの女房であったりするのだが、光源氏とは深い関係だ。

主従関係があって男女関係もあるからには、真っ先に疑われるのは、主人が権力を笠に着て関係を強いる、いわゆる〈パワハラ〉だろう。

だか彼女たちには選ぶ権利もあったらしく 中務の君は葵の上の兄弟の頭中将からも誘いがあったのに、それを袖にして源氏の召人になっている。そして源氏を心から慕っている。

左大臣家としてはこのような彼女を面白く思うはずがないのだが、葵の上の不愉快な目を向ける程度で、はっきりいじめたりすることはない。

召人は恋人未満、人の数に入れるまでもない存在だからだ。

源氏自身が彼女を恋人とは見なしていない。

召人は召人、時折気が向いた時に、御帳台に呼びつけたり、局を訪ねたりするだけの相手なのだ。

寝所では、足を揉ませるなどし、やがてその気になればことに及ぶといった扱いなのだ。

髭黒も、妻が長く病んでいて彼の相手をすることができず、また彼は恋無精でもあったので、邸の女房で欲求を満たしたのだ。

召人を相手に、歌を詠みかけるとか優しい言葉をかけるなどといった恋めいたことを行うかどうかは、時と場合と本人の気分次第でしかない。

基本的には、性だけが男主人と召人をつなぐものだった。

恋には和歌や文など雅びと知性の要素があり、その優雅さを世間に誇ることもできた。

だが召人にはそうした面はない。だから世に対して恥ずかしいことであり、多くは秘密だが、自然に知れてしまうことも多い。だが知られたからと言って、彼女たちが妻に格上げされることは、まずない。

人間性を踏みにじられている。
まるで虫けらのような扱いではないか。
近代以降の人権感覚を持つ私たちは、そう憤りを覚える。

そしてそれはおそらく、紫式部の思いでもあったろう。

だから『源氏物語』は他の物語が召人を登場させなかったり、登場させても名も付けなかったりとほぼ無視しているのに対して、彼女たちに名を与え、その心を記し、時には歌までも詠ませているのだ。

髭黒大将の召人の木工の君も歌を詠んでいる。

髭黒の妻が、玉鬘に逢おうと浮かれる夫を前に我を喪い、火取りの灰を浴びせかけた場面だ。

「ひとり居て焦がるる胸の苦しきに
思ひあまれる炎とぞ見し」
旦那様に一人置いてきぼりにされ焦がれる胸の苦しさから、
思い余って嫉妬の炎をぶつけてしまった。奥様の御心、
私はそのように拝察します。

さらに加えて「傍で見ている私ですら平静ではいられないですもの」彼女はそう、自分の思いまでも漏らしてしまうのだ。

宇治十帖のヒロイン浮舟を宇治の八の宮とその召人の間の娘と設定したことからも、召人に対する紫式部の心入れは明らかと言えるだろう。

そういえば紫式部自身、主人の中宮彰子の父である藤原道長と男女の仲であったと疑われている。

その関係が召人のように継続的なものであったかどうかは疑問で とすれば 「召人にもなれなかった女房」という心を抱えて、紫式部はこれら召人を描いたことになる。
平安人の心で「源氏物語」を読む
山本淳子著 引用











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藤袴はこちら
☟☟☟

いつも長くなりごめんなさい_(._.)_ 

ここまでお読みくださった方々 
本当にありがとうございます。
感謝致します。

玉鬘十帖がここで終わりました。
あっという間だったなぁ。。。

玉鬘の人生…結局、髭黒と結婚…うぅっ。
冷泉帝との恋だったなら
どんな展開だったかな。

次回は梅枝うめがえ三十二帖。

宜しければ またお付き合い下さいませ。

ありがとうございました。