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一日一思想

考えることは生きること

先日たまたま次男の昼寝が長引き、

ネットを見ていた時に刑事司法を考えるシンポジウムの

ニコ生中継をやっていたので一部を見ることができた。


ここで基調講演をされている山本譲司さんは

以前私も講演会に参加させてもらい、

司法の中での特に知的障害の人の人権や扱いについて

熱心に活動されていることで、注目されている。


その件に触れたエントリーはこちら

http://ameblo.jp/misojos/entry-11263733907.html


もともと取り調べの可視化が提起されての動きであるが、

山本氏は福祉の中でもとりわけ触法障害者の社会でのかかわりや

刑務所出所後の生活が当然ながらいかに厳しいものであるかという

極めて難しい問題に取り組んでいる、ただ単純にすごいとしか言いようがない人だ。

刑務所に入っている人の4人に1人が

(何らかの度合いの)知的障害を持っていることを知って

私も自分の息子のことを重ねて心配したものだ。

倫理観が身につきにくかったり、成育歴が悲惨であるもの(凄惨ないじめや虐待)、

そしていわゆる「やくざの鉄砲玉」に非常になりやすいというバックグラウンドは

そんな社会福祉の中でも複雑に様々な要因が絡み合い、

解決どころか取り組むこと自体も困難なことであろう。


福祉の手が回らない、セイフティネットにもかかりにくい、
そんな軽度な障害を持つ人たちの社会的問題に取り組むこととても重要だが

やはり冤罪が起きやすい、刑務所に戻りたがる、など

障害特性固有の問題を考えていくと、とても納得がいくし、

また社会の障害者に対する配慮の不備が

これほどまでにあるのかということも考えざるを得ない。


やくざの鉄砲玉になりやすい、というのも

今まで自己肯定感も低く、自分はダメな人間であると

子どもの時から決めつけられざるを得ないような環境であれば

「おれだけはお前のすごいところがわかる。」と言ってくれる人を簡単に信用したり

「この人の為に役に立つのなら」と命を投げうつようなことも厭わないような

人との距離感に私たちが考えるものと大きく隔たりがあったりと、納得ができる。


そのようなことを回避するために我々親は日夜

子どもたちがまっとうな倫理観を持って社会に出て行ったり、

コミュニケーションや様々なスキルを少しでも上げようと努力し、

また一方ではかけがえのない家族としての愛情を示すことで

自分を大切にすること、他人を大切にすることを身につけてほしいとも願っている。


しかし世の中の知的障害児の全ての親が子どもの微細な障害に気付き

一筋縄ではいかない大変な子育てを根気よく続けられる環境にあるわけでもない。

その場合のいわゆるセイフティネットが正しく構築されれば

軽犯罪で不当な扱いを受けることが減ったり、

正しく権利を伝えられて、障害に合わせた配慮を受けつつ無罪を証明したり

そもそも正しい就労支援を受けて経済的に安定した生活をすることが

より現実的なものになるだろう。

実際には抜本的な改革や支援はなく、全てがぶつ切りにうわべだけの支援になっているので

結局かゆいところには手が届かないという状態になっているのである。


軽度発達障害児の親の会の中で、QOL支援のために夏休みのキャンプはどうか

通年で行える学習支援やピアサポートができる場を作ろうかという話が持ち上がることもあるが

そんな環境にはたどりつかない「支援の必要な子ども」もたくさんいるわけで。

自分たち、親たちができることの無力さを感じると同時に、

社会の中で自分がいかに貢献していけるかということを考えながら

夏休みを目前にしている次第で。


大津での中学生の自殺事件が波紋を呼んでいる。

被害者の男の子は長男と同じ年。

去年の11月に学校生活でいやなことはないかということを

それとなく話題にしたような気がする。


どこで起こってもおかしくない事件、と身近に感じていたが

 自殺の練習をさせていた、とか

 死んだ虫を食べさせていた、とか、

挙句の果てには親や学校、教育委員会が

 いじめの事実は確認できない、なかった

と主張するなど、ちょっと尋常ではない。


人権が損なわれ、教員ぐるみで見過ごし、

集団でいじめという言葉ではすまされないような

凄まじい学校生活を送らなくてはならなかったのだろうか。


社会全体が、学校を「義務」としているならば

(本来は教育を受けさせる義務であるが)

学校の生活自体が人権を脅かすようなことがあっては決してならず

これは管理教育がとか文科省がとか、そういうこと以前に

基本的に人としての倫理がねじ曲がっているとしか思えない環境が

同じ国に存在するということが恐ろしい。


小学校に入学させるときから

 『被害者にも加害者にもなりうる』

ということを念頭に置いて、常に目を光らせるように気をつけていたつもりだが

こんなとち狂った状況があるとは考えつきもしなかった。


  困った時にきちんと助けを求めることを大事にしてあげたい

  他人のことも自分のことも大事にできる人間に育てたい

そんな強い親の願いを打ち砕かんばかりの劣悪な環境。


しかし発達障害のある子は特にその傾向が強いのかもしれないが、

学校生活を送っている子どもたちは多かれ少なかれ

 「今の環境が当たり前」

と思う節もあると思う。

そして社会全体が

 「集団生活に我慢ができないのは根性不足」

という暗黙の了解も根強いだろう。


最近不登校の保護者の方と話をする機会があったけど

やっぱり「学校に行かなくてもいい」って言ってあげられるって

すごく勇気のいることだと思う。この社会の中で。

でも学校なんて行かなくてもいい、そんなに辛い環境ならと

誰も言ってくれないのが今の学校だろう。

いや、むしろ学校のどこに問題点があるのか、なぜ行きたくないのかを

学校側が掘り下げる気持ちのかけらもなくて

ただの不登校として片付けられてしまう無念さを抱えている保護者もたくさんいるだろう。


全ての子どもを個人として理解してくれるというのが

子どもの社会の大部分である学校生活の大前提であるはずなのに

同時に社会として同化する、集団からはみ出さないことを求められるという

愚かな矛盾が立ちはだかる限り、苦しみ続ける子も親もなくならないだろう。


いじめる側の心の闇も相当だと思うが、

こんな大事件(被害者は担任にも相談していたとか)を放置していて

一体何を勉強していたのだろうか、中学校では。


もやもやするなぁ。

長男はずーーーーっとなわとびができない。
幼稚園の時は、みんながやっている中で何とか頑張って
縄を振り回してみたけど、うまく前に来ないし、うまく後ろに行かない。
小学校の時は授業でもやるし、体育の準備運動替わりに
「走りとびで校庭○周」ということもあったけど
なんとなく縄跳びを持って走っていたんだろうな。
体育でもなわとび頑張りカードみたいなものがあったけど
ピョンピョンとリズミカルに跳ぶわけでもなく、
なんとか自分の前に持ってきたなわをジャンプ、
そしてまた背中に何とか回してジャンプ、と
ぎこちない前まわしを10~20回やっていたのではないだろうか。

本人も苦手意識がとても強いし、長縄などとは違って

左右の手を協調させて、

足も連動させて、

目も協調させて

タイミングを合わせるなんて。

縄に重さがあると良いとか、持ち手に重さがあると良いとか

はたまた長さはどれくらいがいいのか短めか長めか

縄跳びを半分に切って両手に持って回す練習をすると良いとか。

それはそれはいろいろ試していろいろ考えたが

結局本人に根強く残った「苦手感」から楽しいものにはならなかったので

ま、いいか。難しいし。と取り組むのをいつしかやめてしまった。


そうしたらみんなで買い物に行った週末にある大型書店で


楽しく回すだけ! エアなわとびダイエット (ヒットムックダイエットカロリーシリーズ)/学研マーケティング
¥1,980
Amazon.co.jp

こんなもんに出会った。

時代が変わるとこんなものがあるんだか。

びっくりして手に取ってみるとなかなかよさそう。

本人が嫌がっても私が使えばいいし。

縄跳びが今からできるようになれば体の使い方もうまくなるかも

協調させることができればもっといろんなことが楽になるかも。

とりあえず買ってみてまず私がやってみる。

なかなかいいけど、私の体力が持たない。

手軽にできるし、縄跳び飛んでる感じがすごくする。

そして今朝、長男にもやらせてみた。

左右の動き方バラバラ。向きもバラバラ。

脇の締め方がわからない。

この辺までは今までわかっていたことだけど、

じっと見ていてなぜできないか考えていると「手首が閉じている」のが原因かと。

左右で作る円が前に来てしまっている。

そして時々後ろ回しになっている。

 手首を開いて手首で回すこと。

 前まわしの一方通行で左右を連動させること。

この二つを気をつけさせて一人で練習させていると

なんだかうまくなっている!!

自分でポイントを意識している!!

やっぱりいきなり跳ばしてもハードルが高すぎただろうし

ここまで継次的に理解ができなかったのかもしれないけど。

そして何をおいても「手軽に練習させられる」のが

苦手意識があることに対して腰が重い本人にとって

何よりの助け船になったのかもしれない。

他のもロープレス縄跳びというものもあるらしいのでそれでもいいかもしれないが

カウンターがついてたり、タイマーがついてたりの「メカ感」も

本人にやる気を少しでも起こさせるきっかけになったのかも。

定着しますようにとは言わないが、ずっと暗黒だった縄跳びマターに光が見えた気がした。