一日一思想

一日一思想

考えることは生きること

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長男は圧倒的に視覚的な認知も困難で、手先の入力出力の弱さ、協調の難しさが多く
幼児期に発達段階相応の作業的家庭療育をしてくることができませんでした。
難しい言葉になってしまうのもなんですが、要は子育ての一環の中での「遊び」に
困難がある子に、家庭でつきあっていくのが知識なしでは難しかったんですよね。

どこからアプローチしていいかわからないくらいできないことが多い。
適切なスモールステップが提示できない。そもそも親の引き出しが少ない。
始めると完璧を求めてしまう。だんだんうまくなるから、とはすぐに思えない。

ということで長続きしない→結果的に経験不足という悪循環でした。

その反省を踏まえて、お世辞にも器用だとは思えない次男に粗大運動も微細運動も
経験と知識を持って臨床的にかかわってみようと思って試行錯誤をしています。

今日は、今取り組んでいる折り紙。

次男の現状は
  折ることはできる。
  角や辺は合わせることはできる。
  ひっくり返してもある程度わかる。
  おり方を読んで理解することがある程度できる。
というところはクリアしているものの
  かぶせ折りや膨らませる、閉じるなど微妙な指の動きに困難がある。
  そもそも折り紙を作ること、完成させることにあまり興味がない。
というところでつまづいています。

長男は前半部分もほとんどクリアできていないまま、
折り紙に取り組むタイミングを逸してしまった感があります。
まだ後半部分も難しいので、これから折を見て取り組んでいくつもりですが、
何せもう手がでかい。指が太い…。

私自身が折り紙を楽しんだり得意だったりという文化で育たなかったのも
大きな敗因の一つですが、それも手駒のひとつということで、一念発起頑張って向かい合おうと思います。

長男の頃からお世話になっているこのページ
おりがみくらぶ
http://www.origami-club.com/index.html
一枚ずつプリントアウトできたり、アニメ動画で折り方を確認できる
とても優れ物のサイトですが、なにぶん長男にはハードルが高すぎたのです。

ということで次男には現状のスキルと興味を踏まえて
かざりばこ
http://www.origami-club.com/traditional/kazaribako/kazaribako/index.html
を選んでみました。

そして一日一回、「私(母親)と一緒にひとつ作る」を継続することを目標に、現在四日目。
最初の作品は破れてしまったり手伝うところがほとんどだったのが、
四日目の昨日は手順にも慣れてきて、
  「線のところまで三角に折る」の意味がスムーズに理解できる
  折り開く、つぶす、膨らませるなどの複雑なステップも丁寧にできる、そして
  細かい指示も入りやすくなってきました。

やっぱり持続可能な課題の設定って大切なんですね。
家庭での指導を楽しくすることが継続につながり、
ひいては課題達成への近道だということを改めて実感しました。
また新しい課題を取り入れながら毎日少しずつ向き合っていきます。



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ポーテージ早期教育では子ども一人ひとりの発達と家庭環境にあった課題を
社会性、言語、認知、身辺自立、運動の五領域の中からまんべんなく提案していきます。
子どもが今の力で無理なく取り組める課題やその先の発達の土台を作る課題を
おうちで無理なく取り組むことをおうちの方と一緒に考えていくシステムです。
幼稚園年長組の次男のクラスは自他共に認める元気な子どもたちが集まっています。
けんかっ早い子、口の達者な子、目立ちたがりな子、マイペースを崩さない子、
そんなクラスをまとめあげている先生は本当にすごいなぁと日々思いますが。

負けず嫌いの次男は苦手なことを認めて練習するのが下手です。
一丁前にプライドも高くなってきて、もともとの性格に輪をかけているようです。


昨日は手作りのけんだまをクラスでやっていました。
トイレットペーパーの芯に紙コップをつけて、
新聞紙を丸めたボールをひもでつないだ簡単なもの。
でもイメージがつかない上手に体を使えずになかなか入らなかったようです。
周りでは「オレは○回できた!」という興奮の嵐で
次男は悔しくて泣いて「もう帰る!」と怒ってしまったそうです。

家に持ち帰ったけんだまではコツを教えて上げて、やって見せたら
すぐに練習したがりました。
でもまぁ、そんなにすぐにできないのでとりあえず手を添えたりしながら
数回やって打ち切らせました。
またいやになってしまう前に。
その繰り返しですね。
自転車も縄跳びもそんな風に彼なりの苦手意識を尊重しながら
スモールステップを見極めて定着させてきました。


で、話は飛ぶのですが長男が小学校一年生の時、
同級生のサッカーが得意なAくんと体育のサッカーで同じ班になりました。
ある日Aくんのお母さんとばったり会った時に

「うちの子が息子君のことを『お前のせいで負けるんだ!』と言ったらしいんです。
 きつくしかって言い聞かせました。
 負けたのはサッカーが初めての子をうまくリードできなかったAのせい。
 人のせいにするなんて、最低だ!と。
 本当に申し訳ありませんでした。もうこんなことは二度とないようにします!」

と言われました。
気さくなそのお母さんは本当に爽やかに、でもきっぱりと説明してくださったんですね。
そんな風に考えてくれている親御さんがいるだけで、ありがたい気持ちになりました。

でも今次男を見ていると、そんなことはやりかねないなと思うんですよね。
そのくらいの年齢の男の子が結果にこだわりすぎるばかりに、
チームワークを理解できないのはある程度当然だと思うんです。
そしてその悔しい思いを他人のせいにしたり努力をしなくなったりした時に
その後の周りの対応が「本当の正義感」を育むんじゃないでしょうか。

みんなで仲良く頑張りました。とか
困っている人には優しくしよう。とか
悪いことをしたら「ごめんなさい」「いいよ」。とか

その字義どおりに子どもが動くことはそう難しくないことかもしれません。
でも本当に悔しい思いをしたり、困っている相手の本当の気持ちに共感することなく
マニュアルに沿ったやりとりではなくて悔しい気持ちを受け止めてあげられること。
そしてすぐには「正義感あふれる行動」をすることができないかもしれないけど
想像力を豊かに持って、柔軟性のある「本当の正義感」を執行するには
たくさんの経験と失敗、そして周囲からの働きかけが必要なんだろうと強く思いました。

次男のクラスにはダウン症の子がいます。
この秋行われる運動会では全員が走るクラス対抗リレーがあります。
まだ難しいかもしれないし、「字義どおりの応援」や悔しい気持ちをぶつけてしまう
不適切な言動をしてしまう子がでるかもしれません。
そんな「失敗」を経てでも先生がどんなふうにこのクラスをまとめあげて
そしてその子にどんな支援をして運動会に臨むのか。

心の底からいい意味でのサプライズを期待してしまいます。

13年前に同時多発テロが起きて、
アメリカから帰ってきてようやく生活に慣れてきた頃に受けた大きなショックだった。

長男はまだ未就園児で受傷後2年。
4歳の長男はすっかり寝入ってる平和なリビングで信じられない光景をテレビで見ていた。

アメリカ、こんなでいいのかなと思ってたけどまだ今日も続いているテロと応酬。
今日はオバマ大統領がシリアへ空爆を拡大すると発表したという。
あの時に怒り狂った表情で会見していたブッシュジュニアの顔を思い出す。
イスラミックステイトという新しい国が宣言されたり、アルカイダがどうのと言っている、
その間に13年も経ってしまった。
13年経ってもそんな対立は一向に解決せずに全然変わってないこの世界。
その間に生まれた子も、そしてその間に成長して大きくなった今は大人もどんな風に世界を見ているんだろう。
アメリカでも12歳以下の子は同時多発テロはリアルには知らない。
授業でも習っているだろうけど、それは誰の正義でどんな風に教えられているんだろう。

長男と「今日はこんな日」ということを教えようと思って夕飯時に話していたら
長男は同時多発テロのこともイスラム教原理主義のこともアルカイダのことも知っていた。
  自分が生まれた国の大統領が「戦争」という行為を率先していること。
  日本が原爆を落とされた国、罪のない市民がたくさん死んでいったという事実。
  そんなことが今日、この日も起こっているということ。
それは長男もそれなりに知識として教わって、考えているのかもしれない。
戦争ってどんなにいけないことなのか。
国家がそれを望んでいても、個人として戦争はいけないと信じることが
いかに大事なことなのか、きちんと裏付けてあげないといけない。

知的障害があっても、発達障害があっても、
集団の中で学習することが難しくても、不登校であっても
こんな当たり前の子とをしっかり学習する、理解する権利、もっと大事にしたほうがいいんじゃないかな。
こんな子だからわからない。
そんなことよりも今やらなければいけないことがある。
そんな詭弁に足元をすくわれずに、私は私の子どもに大事なことを伝えたい。
と改めて思った911。