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一日一思想

考えることは生きること

2歳8か月で急性脳症にかかり、その後遺症により精神発達遅滞が出た長男。

その後も3歳児検診を経て、療育センターのフォローで発達検査を受け続け、

K式、ビネー、K-ABC,WISC3,また様々なOT,STでの検査を受けた上で

IQから照らし合わせてもばらつきは大きいものの、全体に遅れのある

「軽度知的障害」という立派な診断名があり、療育手帳も持っている。


しかし、医学の進歩や臨床的観点からいろいろ見ていると、

簡単にそれで済ませてしまってもいいのかな?と思うことが増えてきた。


高次脳機能障害と言う言葉がやはり後天的な脳疾患の後遺症としては一般的に使われるが、

知能として検査したときに、つまり本人の状態を発達検査を通してみた時には

知的な遅れや認知の偏りの障害として見られるのもやむを得ないのか。

12年前と現在では医療の分野での脳の研究も随分進んでいるようでいるはずであり

少し立ち止まって、発達の観点からだけではなくリハビリの観点からも見ていく必要があるのかと考える。


高次レベルの前頭葉機能、神経心理学的諸機能として

 自己の気づき

 論理的思考力(まとめ力、多様な発想力)

 高次遂行機能

 情報処理(速度、効率性)

 注意力と集中力

 抑制困難症

 無気力症

 神経疲労

・・・とあげていくと、なんだか今までケアしていたことと特に変わらないし、

やっぱり治らないものであるか、とは言わないが、発達の過程にあることによって、

左右の神経の結合がバイパスできる可能性は若ければ若いほどあるのだと言われている。


とにかくこの観点で見ていくと長男自身の特長でも

 電話でしゃべったほうが注意が持続することがある。

  (相手の風貌や表情の変化、身体言語に注意をとられない)

 情報量が多い時は重要な場所に線を引くなどわかりやすくさせる

 自然な日常会話の中に当事者を混ぜる

 話についていけなくなったら人に質問する癖をつけさせる

 カレンダー、リスト、タイマーなど外的補助手段を活用する

 決断しやすいように賛否両論のリストを作る

など対応で大いに参考になる点も多い。


そして改めて考えるまでもなく、これは発達障害の分野でも有効と言われていることでもある。

とにかく重なっている症状だけれども、どこを切り口にしていくかで情報の見方もとらえ方も変わってくることもある。


この手の本を読んでいると「リハビリに終わりはありません」と書いてあったりしてどきりとする。

そう、ちょうど発達に課題のある子どもの子育てのように。

高次脳機能障害がわかる本―対応とリハビリテーション/法研
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読んだ本はこちら。良書。
 

障害の特性で、今、最も生活の中で困っていることが「固まってしまうこと」

特に面接や面談のような形式で答えるということがほとんどできない。

声も、大きな声が出ないわけではないのにその時だけ蚊の鳴くような声に。

とりあえず高校進学の際の大きなネックとなっている。


そしてこの面談の形式と言えば最たるものが「発達検査」。

小さいころから受けていて、幼児期はそんなこともなかったのに

最近は普段の様子と発達検査の様子に劇的な違いがある。

そしてそのために非常に数値に影響する。当然だ。


そしてそういう傾向はもちろん数字に表れてくるものではないけれど

理解はしてもらいづらいし、克服するように強いられることが多い。

「話せるからできる」のと「コミュニケーションの不得手」が周りからは矛盾のようにみえるだろう。


中学校に入ってから「三者面談」という機会ができて、

その不得手加減が私の目の前で炸裂した。

これでは困りますよね、という教員達の顔。

理解してくれる先生はごくわずか。

やっぱり、答えられないことは「本人が理解できていないから」なのだととらえられている。


交流級の担任だった最も支援感のあった先生が

「おまえは大人が二人以上の場は苦手なんだよな」とさらりと言ってくれたこと。

あ、よく理解されている!と目からうろこが落ちた。

その場で答えるのもタイミングや言葉遣い、本人の中でいろいろ葛藤してなかなか出てこないのか

それとも私には思いも及ばないような何かすごい緊張感で体が固まってしまうのか。

場面緘黙症という言葉にぴったりと当てはまると思うのだが、

それを医学的にきちんと診断されることは非常にまれだという。

特に他に発達の問題がある場合はそちらに理由づけられてしまうので益々理解がされにくくなる。


もう二年くらい前のことだが、長男、次男、私の三人で都心に出かけた時に

長男のパスモの残高が不足してきたのでチャージをさせることになり、

たまたま手持ちが一万円札しかなかったのでそれを持たせて、私はうろちょろする次男を追いかけていた。

なかなか帰ってこないなと思って見てみると

なにやら券売機の間から駅員さんが出てきて長男と話をしている。

「大変申し訳ありませんでした」と駅員さんが千円札を長男に渡している。

どうやら券売機の調子が悪かったようで、一万円札を入れた後に困っていたようだ。

しかしそこで呼び出しボタンを押せる。

そして状況を駅員に説明して、解決に持っていくことができる。

初めて話す人がダメなわけでもなさそうだし、話し方がわからないわけでもなさそうだ。


少し前まで一人で行くのをためらっていた美容院も

「スポーツ刈りで」といえばいいというのがわかったら、特に抵抗なく行くようになってきたし。

先だっての部活の引退の際に三年生が一人ずつスピーチをしたようだが

なんだか遜色なくしっかりと言えていたようだ。


多分見本がいればいいんだろうな、とは思う。

そして見本がいないとどこから切り出していいかわからないんだろうなとも思う。

面接ももし集団面接だったら結果も印象も随分違うのだろう。


何が言いたいかうまく説明できなそうにしている時に、

紙に書いてこさせるとしっかりと書いてくることも多い。

言い回しを工夫しようとしているところをみると、時間をかけるというよりも

目に見える形に本人がまとめられたということのほうが大きいのだろう。


まだ見ていないけれど、この番組、再放送があるようなので録画してじっくり見ようと思う。

「苦手なことは克服すべき?ありのまま受け入れる?」

http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/300/132307.html#more

克服できたら素晴らしい、というか本人がぐっと生き易くなると思うけど、

障害なんだからそんな簡単にいかないんじゃないかなとも思うし。

だけど本人はそんな障害に向き合う努力とその障害自体の理解はできるだろう。

私にできることはなんとしてでも克服させることではなくて

本人の努力を認めつつも周りの理解を少しずつ得られるように環境を整えること。


小数のかけ算・割り算、小6の半数近く理解せず

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120919-00001570-yom-soci


こんな記事を読んで(頭にhをつけてください)考えてしまった。

×0.7と、×1.2のどちらが大きくなるか、くらいはパッとわかるけど

÷0.7って元の数より大きくなるか、小さくなるか?と言われたら大人でもなかなかさっと出てこない。

分数の割り算をひっくり返すのだって、「そういうものだ」と教えられるからやっているけど

いちいち「どうしてひっくり返すんだっけ?そもそも分母って上にいっちゃっていいの?」なんて

考えずに機械的にこなしていくことなら、訓練次第で多くの小学生ができるようになるんだろう。


中学に入って数学になると方程式や因数分解に、小数や分数を使った計算が当たり前のように入ってくる。

当然、整数と同じように理解しているという前提のもとにだろう。

でもやっと覚えた公式に当てはめるのに精いっぱいで、小数の割り算、どうすればいいんだっけなんて

そんなメモリーを引き出せずにあがいている。


長男はとりあえず基本の整数の問題ができていればよしとしているので(本人も)

6問あるうちの最初の2問が正解、でもいいんじゃないと割り切っているしそれ以上は難しいだろう。

でも意外にこういう子って普通学級の中にごろごろしているんじゃないだろうか。

半数近くできていないって、基礎的な数概念の教え方が今の公教育でも間に合っていないということでしょう?

できている子だって、授業だけ、ではなくやっぱり塾やなんかで時間をかけて教わっているのだろうか。


最近公文で分数の手順の多い問題をやったり、因数分解をしているうちに

一つ一つのやり方は理解していてもやはり、組み合わさって手順が5つ6つになると

どうしても丁寧にこなすことができなくて、わかるはずの問題がミスが重なる。

 形だけなぞっているんだから当然だろうな。

 また追々意味がわかって付いてくるか、数をこなして慣れていくしかないかな。

と妥協しながらやってはいるものの、

 「どうせ実生活ではこんな問題できなくてもどうってことないし」という

当たり前な結論にはすぐぶち当たる。

そして経験として「方程式、やったよね~。オレ全然わかんなかったわ。」でもいいんじゃないとも思う。

一時期、分数のできない大学生というのも話題になったが、それと似たようなものか。


そこに来ると高等養護では小4レベルの学力。後は実生活に必要なものをとことんやります。

というのが魅力的に思えてしまうのだ。

膨大な時間を無駄に・・・はしていないと思うが、もっと穴埋めしてあげたいというジレンマ。

そこを上手についてくるもう一つの選択肢。


でも苦手なことがあってもいいよ、と経験的にも知っていてほしい。

努力しても苦手だけど、努力して頑張ったね。

それでいいじゃん。

他人の失敗にも努力にもきちんとリスペクトを示せる人間になってほしい。


振れ幅は小さくなってきてはいるものの、まだまだ進学先に迷いがあるんだ。

本人はしっかりと先を見据えて頑張っているのに。


ちなみに昨日は長男中学最後の大会。

800mで宣言していた自己ベスト記録を更新して、高校でも陸上を続けると

気持ちを引き締め、引退に至った。

見ているほうも感無量。

他の3年生も、同じように頑張って練習して成長してきたのをみてきたから、

みんな仲間だね。

若い力の感動をありがとう。