今日は、我が人形劇団は大阪での公演でした。

2歳児の年少組と年長組との2回にわけての公演。内容はその年齢に応じてちがうものにしています。いやあ、どちらもよく観てくれていました!反応がじつにかわいらしくて〜!!演じるほうもノリノリです(笑)僕はまだ体調が万全ではなかったのですが、とっても元気をもらえました。

来週の水曜日は、和歌山の海南の保育所での公演です。

出演を終えて、袖中で休むクマパパ君が可愛い(笑)

我が家の窓やらリビングのフレンチドアには雨戸がないので、なにかが強風で飛んできて当たれば硝子が割れてしまう。で、台風対策として、とりあえずフレンチドアに刺し板対策をしてみた。余っている杉板を上から差し込めばいい形式。余っている杉板使用で見栄えは悪いが、次回から左右の枠板だけ綺麗なものに仕上げれば、そのまま左右の枠板は塗料を塗って設置したままに出来るだろう。台風のたびに上から刺し板するだけでいいことに。
昨日、NHK和歌山放送局から僕の携帯に連絡が入った。2011年9月の台風被害の取材をするのだが、被害の状況を映してブログにあげていた僕の写真をつかわせてほしいとのこと。
番組はギュギュッと和歌山で、わび旅というコーナー。
9月2日放送とのこと。
今回の台風もまともにくる。あの時のような大きな被害がでないことを祈るしかない。

そういえば、9月1日に我が人形劇団の公演がはいっているのだが、台風で中止になるかもしれない。

まっていてくれる子どもたちにあえるのだろうか?

 

 

 


 

 

びぜん特別観光大使に選出された方々の紹介記事ゲラが送られてきた。(ゲラで修正前なので部分的に消しています)

僕は、いつもならTシャツにサングラスでの写真なのだが、観光大使でそれはマズイだろうということで、眼鏡をかけて、かしこそうな顔ですましこんでみた。いつもとチャウで(笑)誰やねんこれ。

オリックスの頓宮選手やドジャーズの山本由伸選手とご一緒できてうれしい〜!!

 

 

 

8月は、日本にとって特別な月だ。
中沢啓治さんご夫妻には、二十代の後半におあいしている。おそらく、奥さんはマンガを描く経験なんかしたことがないだろうが、
中沢さんのアシスタントをされているだろうとその時思ったのだが、やはりそうだった。最初は、ベタ塗りから始まったのだが、奥さんはだんだんいろんな背景じみたものまで描けるように練習されていったそうだ。そういえば、この山奥でアシスタントなんかどこにもいない僕も、妻にアシスタントをしてもらっていた時がある。
中沢さんの仕事場に白土三平さんの本がおいてあったので奥さんが見て、その絵のうまさにびっくり!夫の絵は下手だとそのとき思われたとか。確かに中沢さんの絵は上手い絵ではない。でも、熱い絵だ。熱い絵の描けるマンガ家は、そんなにいない。

 

マンガが悪書扱いされていた時代は、そんなに昔ではない。
「はだしのゲン」が少年ジャンプでの連載が終わり、ジャンプの集英社から単行本化されることがきまり、あとは印刷所の輪転機が廻るだけだというその直前にある所からの圧力で中止になった。この作品をなんとか単行本化したいという人達の手で、他の小さな出版から単行本化されることが決まったが、最初は、なかなか売れなかったと聞く。マンガへの差別と偏見が強く、平和を愛する人達の間でも「はだしのゲン」への理解も支持も生まれにくかったと言う。
悪書追放運動の中でマンガが受けてきた差別的扱いは、今もなくなってはいない。児童書や絵本を子どもたちに読ませたいという運動をしている人達の中に、児童書よりもマンガは低いものだという意識がまだまだあるようにおもえてならない。自著「森の中の海で」も、そうい意識の前で、苦い思いをしたことがある。悔しいが、それはあるのす。

 

今の作品のネームシナリオを整理しながら、身を引き締めた。

アメリカ兵と主人公の一人が戦争について話すシーン。
主人公が、志半ばで倒れた妻の墓に語りかけるシーン。
大事なシーン。戦争を、描くということ。8月、、、、

 

またアホなものを買ってしまった。
中古で2008円。下の重りの部分に水をいれるようになっていたが、さすがは中古である、水がジャジャ漏り。で、水の代わりに砂を入れた。ストレス解消にこれをバンバン叩く。爺よ、おまえはアホだ。
さあ、これを叩いたら伝記マンガの仕事だぞ!!!熱く仕事をしようぜ!

 

 

初めて描きあげた31ページの児童マンガ「鬼っ子チャック」を持って東京の出版社を廻ろうと上京した時、もし、少年ジャンプや少年サンデーや少年マガジンから廻っていたらどうなっただろうかと考えるときがある。

たまたま時間の都合で最初に行った編集部がコロコロコミックだったのだが、そこで、なんと原稿をとりあげられてしまった。そこでのデビューが決められてしまい、他の編集部を廻れなかったのだ。正直、廻りたかった。

少年ジャンプやマガジンで編集者の目が入れば、この作品は化けただろうし、まったく違った僕の漫画家生活があったのではないかと思うことがあるのだ。でも、今の僕でいいのだと思う。いくつかの作品を残せているから。

貧しいけれどなあ。

 

マンガを仕事に出来る前の同人誌の作品を見ていて思う。たしかに今の僕から見れば、欠点だらけだ。

でも、今の僕が忘れた何かがここにある。

うまく描こうとするこまごましたテクニックなどまったく気にも掛けずに、大胆なカメラワークのみでテーマを語ろうとしている。

つまり、カメラワークによる「情念」の「象徴化」だ。

筆で描かれたその絵のおもしろさが、それを深めている。

上手い絵や文章など、要らぬとでも言うかの様に…。

小気味よい(笑)

わすれていないか、この小気味よさを!

昔のアマの時の作品に、しばし、釘付けになった。

 

 

これが母と撮った最後の写真。横にいるのは弟。撮ったのは妹。

母は93才で亡くなりました。

母より先に逝かなくて、よかったとつくづく思います。それは最大の親不孝ですから。

でも、僕らの世代は60代や70代でなくなる人が多いんですよねえ。

だからトレーニングを続けて居ます。

バイトも心身ともにトレーニング(笑)

今、1週間に3日で、1日3時間半ほど芝生の中を歩き続けるバイトは、こんな服装でやっています。

ファン付ウェアを着ています。

服の中を風が吹き抜けていくー

これってマンガ的発想ですよねえ。それを実用化し商品化するとは!

たいしたもんだ!支給してくださったバイト先に感謝!

足元はマダニ対策でズボンを絞っています。Tシャツは、出来れば長袖がいいのですが、暑すぎて!防虫スプレーで逃げてます(笑)日焼け止めを腕に塗りながら(笑)

このバイトをした日は血圧が確実に下がります。ランニングや筋トレをした日よりも、効果があるんですよねえ。このバイトは健康のためにもいいのですが、僕の場合、マンガの仕事だけやっていると、引きこもり状態になるので、いろんな人と関わる機会がこれまた精神にいいのです。ストレス解消ですね(笑)

 

昨日は、美浜町の公民館(図書館)で我が人形劇団の公演。たくさんの親子連れの方々が観に来てくださいました。
帰りに少し足を伸ばして遅い昼食。
巨大なクエが釣れておりましたなあ(笑)

 

ところで、弟が入院してしまいました。先日、弟に会いに大阪の守口市の病院まで行ったのですが、

往復7時間半かかった。遠い!

弟に会う時間は3時。大阪に着いたのが11時。時間があったので映画「関心領域」を観ました。

弟のことやらいろいろあって、仕事にも集中出来ずに眠れない日々が続き、疲れていたのでしょう、僕の席の周りを何人もの亡霊というか幻影というか、幻覚というか、通り過ぎていく。見た事もない人ばかり。

そういう幻覚を観ても不思議ではない映画ではあったのですが…。

やがて人の中に動物たちの幻影までが混じりだした。

自分の庭を思い浮かべる。そこから繋がるたくさんの死が、僕の体に絡みつく。

あちこちで終わらない戦争と人件弾圧。毎年15万匹も処分される犬猫たち。

害獣として処分されていく森の動物たち。

一部の人達の金儲けのために伐採されていく森の木々。

僕のアトリエが浮かんだ。

ここから僕は、弾圧され殺されていくチベットの人達のことを描いた。

森の中の動物たちのことを描いた。

共に生きることを描いた。

それで?それがどうしたというのだ。まだまだ描く事はあるのに、お前はなにをしている…

 

身動きも取れないまま気がつくと映画は終わっていました。