変な作品なのだが、ぼくには大きな意味のある作品。若い頃、クロッキー教室に通いながらマンガを仕事にしようとただひたすら頑張っていた。やがてこの猫に象徴されるマンガにたどりつく。猫のあしあとは、そのままマンガにむかっていったいままでの僕の足跡。
不思議とマンガを仕事にできるかどうかと悩んだことはなかった。どんな作品を描くか、それだけをみつめていた。どんな作品があたるかとか、どうやったら有名になれるかなどは、どうでも良かった。自分はどんな作品を描けるのか、ただ自分の中をのぞきこんでいた。自分が描くべき世界とは……。
個展の準備をしながら、いままでの過去の作品を見つめ直しながら、その足跡を追いながら、あらためて思う。すきにすきなことを描いてきていると。
そして今、その足跡を逆にたどる。クロッキーへと帰って行くー。マンガは、ある意味、絵を記号化したものだ。自分の中でできあがってしまったその記号をつぶしていこうと思う。
新たな絵と新たな物語を、別々のジャンルとして追いかけてみる。来年のことだ。新たな出発。個展は、そのためのものになった。自分は何者なのか、何処から来て何処へ行こうとしているのか、個展の準備をしながらみつめなおせた。
個展に関しては、まだまだわからないことだらけで整理がついていないが、終わったらなにが残るのだろう。ある意味楽しみでもある。 

 

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二階のアトリエで個展のための作業をしていたら、窓でガサガサと大きな音。なにごとかと観たら、鳥です。猫のミニが出入りできるようにと玄関を少しあけているのですが、そこからはいってきたのでしょう。なんとか捕らえて外へ逃がしてあげようと、アミをとってきて追いかけたのですが、捕らえられるはずもなく、しばし追いかけっこ。そのうち窓ガラスでくちばしを傷つけたらかわいそうだと、窓から逃がすことに。でも、窓を開けても、網戸になっているので出られません。仕方なく、網戸の網をひきちぎったら、そこから鳥は逃げて行きました。そこそこ大きな鳥でした。見送りながら、「セロ弾きのゴーシュ」のカッコーのエピソードを思いだしていました(笑)

長い間パソコンの不調でここに投稿することができませんでした。ひさしぶりの投稿です。みなさんお元気ですか?僕はしばらく体調不良で、人と話すのがしんどくて難儀していました。

さて、12月4日〜5日間、大阪で個展をやります。まだ案内状はできていませんが来月にでもあらためて案内状をここにアップさせていただきますので、よろしくお願いします。

個展会場に展示した作品の一部を販売しようと思っています。。もちろん、手元に置いておかないといけない作品もあります。たとえば「山小屋のタオ」のように原画は、販売できない。で、その原画をカラー作品としてデータ化してプリントアウトしたものを中心に販売するつもり。原画ではないので1点1500円もつけられるかどうかわからないが…。フォトショップを使って描いたイラストも同じ様な価格で販売予定。けっこうな数がある。

原画として販売するのは、展示用に描いたカラー4コママンガの数点と、単行本の表紙などに使ったマンガイラスト。原画なので、これらは同じ様な価格では販売できないが、数万円の価格のついたマンガ原画なんて買ってくださる人がいるのだろうか?

それよりなにより、はたして個展を観に来てくださるひとがどれぐらいおられるのかもわからないぞ(笑)閑古鳥が鳴いておったらどうしよう。

ここの訪問者も減ってきているしなあ。

ま、どちらにせよ、個展の準備をすることは、自分は何者なのか、どこから来てどこへ行こうとしてきたのかをみつめなおす良い機会ではあった。

来年は、すべてを捨て去って新たな表現者としての出発になるでしょう。

 

いつまで個展の準備をしているのかと妻からこごと。生原稿をそのまま展示するような個展ならそんなに準備は必要ないのだが、あれやこれやと展示の仕方やらテーマを愉しみながら半分遊んでいる。

個展の準備をしているとマンガの収入がないわけで、去年伝記マンガで挫折してからまったくマンガが描けなくなっているし描いていない。もちろん、新しく描いたものがないので発表場所を求めての営業もしていない。

マンガとは何なのだろう。どんなふうにおもしろいのだろう。まだまだどんなことができるのだろう。僕とはいったい何者なのかということが、つまりはそういうことになっていく。挫折から立ち直るために個展をするような感じが今の僕にはアルのだが……

もし、展示作品を欲しいという人がいたら、フォトショップ仕上げのものだけでも販売しようかと妻に言ったら、原画ではないものを買う人なんかいないし、そんなものを売ったら失礼よと言われた。たしかにそうだ。データ原稿はプリントアウトしてしか展示できないが、それは原画ではないわけで……

妻の意見は正しい。

そういえば、近くのシネコンで是枝監督の映画を観に行こうとさそったが是枝監督の映画はすきではないと妻には断られている。映画は、もうひとつだっただけに妻の判断は正しかった。何かにつけて妻の意見は正しいが、個展の準備は、まだまだつづけるのです。

雑誌「上方芸能」の編集長であり大学の教授もされていた木津川計さんが亡くなられたとのこと。大変お世話になったかたである。

人形劇団クラルテをマンガ家になると言って退団したものの、どないしたらマンガ家になれるんかと途方にくれていた僕に、上方芸能誌に4ページ(後に6ページになる)の短編マンガの連載を木津川計さんがくださった。ここに掲載される評論原稿は、どなたが書かれてもすべてノーギャラなのだが、ここに掲載されることをたくさんのかたが光栄に思っておられる、そういう雑誌なのだが、そこに僕のマンガを連載させていただけることに驚いた。なぜなら、僕は人形劇団で活動していた4年間と少しの間、まったくマンガを描いていなかったのでマンガを描けるかどうかまったくわからなかったし、4年間以上人形劇に没頭していたのでマンガを描くという感覚をなくしていた。でも、そんな僕にこんな機会をくださったことに感謝しながら、ドキドキしつつペンを取る。今思えば、よく描けたものだと思う。この連載をみて芦別事件の劇画化という仕事をいただいたし、その後のいくつもの仕事をいただくことになる。ただし、マンガ雑誌への連載を勝ち取るのは、まだまだ先のこと。どうやったらいいかわからないまま何年もたっていく。

アップしたのは、その上方芸能誌に連載させていただいた作品の中のふたつ。木津川計さんにとっても、その雑誌にマンガを連載するのはかなりの冒険だったと思う。しかも、マンガを描けるかどうかもわからない変な若者に、よくまかせてくださったと思う。木津川計さんのくちぐせ「軽く翼を広げ、重たい荷物を運んで行きましょう」がいまだに心に残る。ありがとうございました。

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雑誌「上方芸能」の編集長であり大学の教授もされていた木津川計さんが亡くなられたとのこと。大変お世話になったかたである。

人形劇団クラルテをマンガ家になると言って退団したものの、どないしたらマンガ家になれるんかと途方にくれていた僕に、上方芸能誌に4ページ(後に6ページになる)の短編マンガの連載を木津川計さんがくださった。ここに掲載される評論原稿は、どなたが書かれてもすべてノーギャラなのだが、ここに掲載されることをたくさんのかたが光栄に思っておられる、そういう雑誌なのだが、そこに僕のマンガを連載させていただけることに驚いた。なぜなら、僕は人形劇団で活動していた4年間と少しの間、まったくマンガを描いていなかったのでマンガを描けるかどうかまったくわからなかったし、4年間以上人形劇に没頭していたのでマンガを描くという感覚をなくしていた。でも、そんな僕にこんな機会をくださったことに感謝しながら、ドキドキしつつペンを取る。今思えば、よく描けたものだと思う。この連載をみて芦別事件の劇画化という仕事をいただいたし、その後のいくつもの仕事をいただくことになる。ただし、マンガ雑誌への連載を勝ち取るのは、まだまだ先のこと。どうやったらいいかわからないまま何年もたっていく。

アップしたのは、その上方芸能誌に連載させていただいた作品の中のふたつ。木津川計さんにとっても、その雑誌にマンガを連載するのはかなりの冒険だったと思う。しかも、マンガを描けるかどうかもわからない変な若者に、よくまかせてくださったと思う。木津川計さんのくちぐせ「軽く翼を広げ、重たい荷物を運んで行きましょう」がいまだに心に残る。ありがとうございました。

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26日の印南町の公民館での我が人形劇団の公演は、とても愉しいものとなりました。子どもたちの笑い声をきいているだけでうれしくなってきます。終演後、二人の主人公を演じたふたりがそれぞれの人形を持って観に来てくださった子どもたちや保護者の方々を見送りに行ったら、一人の少女が主人公の人形たちの真ん中にはいってきて、じっとしています。するとその子のお母さんが「なんや人形さんたちといっしょに記念写真をとってほしいんかいな、ちょっと待って今カメラだすから」といって笑いながら写真を撮って帰られました。うれしそうに帰っていったあの子。主催された印南町の方々も優しい人達ばかり。大人は、子供の幸せのためにいるんだとつくづく思いました。この子たちを戦争にまきこませてはいけないのです。

50年以上ぶりに人形劇のセリフを言った僕は、何十年と人形劇をやってきている二人の間で爆死しておりましたが(笑)

 

3階の屋根裏部屋から、いくつもの絵がでてきた。描いたのを忘れていたものもある。探せばまだでてくるだろう。米騒動を描いた絵まであった。

12月の個展は、こうした作品で会場をたのしんで埋め尽くしたいと思う。展示会場をキャンバスにみたてて遊んでみよう(笑)

「山小屋のタオ」の原画を全てならべて展示すれば、それだけで物語を読んだことにもなる。

ストーリマンガの原画も少しは展示するが、できるだけ、作品としてのおもしろさを展示したい。

新作イラストも、描かねば!僕にとって、今のところ、今回の個展が初めてで最後の個展と考えて居る。やってみて、「発見」があればまたするかもしれないが……

尊敬する大先輩から90年の人生を振り返られた冊子が届いた。読ませていただきながら、初めてお会いしたときのことやら、いただいたお仕事の数々を思い出す。この大先輩からいただいたお仕事の数々を抜きにして今の僕の仕事はない。最初にいただいたのは、スライドによる紙芝居とでも言おうか、ひとつの作品に90枚ちかくのイラストを描く仕事。3作いただいたが、3作とも違ったタッチで描いている。計300枚近くのイラストを短期間に脇目も振らずに描いていたあのころが懐しい。その後全5巻の劇画シリーズの仕事をいただく。脚本も絵も好きに描かせていただいたが、どれも難しいテーマ。

元をたどれば、僕の初めての書き下ろし単行本「劇画芦別事件」を大先輩が読んでくださったのが大先輩との出会いだった。そのすぐ後にだした「白土三平マンガの魅力」も読んでくださっていた。

改めて、大先輩から頂いた仕事のひとつひとつを振り返りながら、僕の表現者としての原点のようなものを振り返る。

ああ、僕は儲からないマンガの方向をたどっていったのだなあと苦笑い。愉しく熱い日々。別のペンネームだったけれど、マンガ雑誌に4コママンガを連載しつつのこれらの仕事は、コミカルな作品とはまた違った意味で実にイキイキしてる。

「虎に翼」スピンオフを観ました。

このような内容のドラマがまだ健在なんですねえ。NHKもドラマ部門は、まだまともなんだとホッとしました。怒りは愛です。体の中に、怒りの風をふかし続けて行かねば!

我が家の元ドッグランにタンポポが咲き始めました。庭の花々がますます春をおもわせてくれます。

日本の政治を観ていると、人間が嫌いになりそうだし、嫌いになっていました。でも、あちこちに「風」はふいているのです。自分の中の「風」をわすれずにいれば、「風」は集まり人間をしんじられるようになるでしょう。