久しぶりに観たら、おもしろかった!

子育てを終えた燕たちが我が家の庭にたくさん集まって乱舞。

しばしのつきあいだったツバメの親子たち。

別れを言いにきたのか、お礼を言いにきたのか、

それとも、エサの虫をとりあっていたのか…

でも、なんとなく感動しました。

うまいカメラワークだと自画自賛(笑)

マンガ家って、やはり映画を自分で撮りたいってどこかでおもっているんでしょうねえ。

 

舞台の前後をわけるように紗が大きなカーテンのようにかけられている。

紗の前は、下町風景のセット。後ろは、大きな満月の世界。

紗の前に灯りが入れば、舞台は下町風景となり、そこでのいろんな人々の生活が展開されていく。

後ろに灯りが入れば、下町は消え、満月の世界が浮かび上がる。

それでね、満月の世界は、一体何で、下町とどういう関係なんやろうかと、今、もうひとりの脚本家とあれやこれやと話あっているわけ。

今は亡き先輩が電話で話してくれた人形劇の新作の話。5月には、脚本も完成させ演出プランも仕上げなあかんねんとおっしゃっていた。

その時は、まだ病気になるなんておもってもおられなかったのだろう。1月に、病名が告げられ、余命何ヶ月かの宣告が…。

それでも、先輩はその舞台に関わり続け、完成させてからホスピスに入られ、その10日後に亡くなられた。

僕は、なぜか、僕の愛する漫画家永島慎二先生の「かかしがきいたかえるのはなし」という作品を思い浮かべた。

月の美しさに魅入られ、旅人となったかえるの話。

先輩、あなたがつくられたその舞台は、先輩そのものだったんですよ。

あなたは、月の美しさに魅入られた旅人だったんです。

永島慎二先生は、あとがきにこう書かれている。

「お金をかせぐために描かれるマンガが有る。いっぽうで、その作者が自分の為に描かねば、生きれなかった、という作品があるのです」

先輩、月は、今夜も、やさしく、美しく、下町を照らし続けていますよ。

 

人形劇は素晴らしい仕事だと思う。

若い頃、僕は人形劇団クラルテに入った。マンガへの夢がなければ、僕はずっとこの劇団で人形劇の仕事をしていたことだろう。

そして、15年前に「人形劇場クアパパ」という3人でのちいさな人形劇団をたちあげた。

マンガの仕事をしながら人形劇の仕事もしているのだ。先日は、和歌山県のみなべ町で我が人形劇団の公演。今月は、いくつか人形劇の公演が入っている。

ときどき、マンガの仕事に行き詰まる時、人形劇を観ている子供達の歓声をおもいだしている。

そしていつも、「月の旅人」のことを思いだすのです。

今、描いている伝記マンガの主人公も「月の旅人」なんだなあとつくづく思います。

 

戦争という言葉は、もう使用しないでおきましょう。殺し合いとよびましょう。そう語ったのは、たしか美輪 明宏さんだったと思う。たしかにそうだと思う。そして、もう一歩踏み込んで言うなら、戦争とは「殺し合いをさせられること」だ。

大量破壊兵器があるということで強引に始められたイラク戦争。

しかし、そんなものはどこにもなかった。

そして、この戦争で巨額の冨を得た一握りの金持ち。

彼らのために、多くの血が流された…

その戦争のまっただ中で僕は「森の中の海で」を描いていた。

その作品の中で、いくつか戦いになるかと思わせる場面がでてくる。普通なら迫力一杯に戦わせ、勝ったものが負けたものをねじふせていくのだろうが、そういう展開にはしたくなかったし、戦うことではない解決法を模索した。それは、簡単なことではなかった。もがきながら何度も崩壊しながらも手探りで、戦い以外の解決法を構築していった。

ここにアップしたのは、自著「マンガで読む偉人伝ダライ・ラマ14世」の一場面。

ポンポとダライ・ラマ14世とのあいだに、このような会話があったかどうかは、知らない。

でも、「森の中の海で」からの僕自身の表現者としての流れは、

この会話をごく自然に生みだしていく。

戦争を描くということは、どういうことなのだろう。

それは、けっして特別なことではないのだと想う。

特別なことにしては、いけないのだと想う。

 

若い頃出逢ったある少年向けマンガ雑誌の編集長が言った。「僕の夢は、巨人の星のようなヒット作をうみだすこと。あの作品のように日本中に、担当する作品の主題歌を巻き起こしたい」。

巨人の星という作品は、息子に異常なトレーニングを強引にやらせ、言うことをきかなければ叩き、ちゃぶ台返しをやる虐待マンガだと僕は想っている。僕の父もそうだったが、あの頃自分のこどもを叩き、ちゃぶ台返しをする父親は多かった。ちゃぶ台返しで、部屋中に飛び散った料理を何も言わず黙々と集めていた母の姿が忘れられない。その父は、銀行員だったが、務める銀行の行員たちを船の中に宿泊させ、お互いの頬をたたきあうようなある種の高揚感を抱かせるマインドコントロール的研修をさせられていた。父たちは、それをすごいことだと受け入れていた。巨人の星は、そんな異常な日本をあおっていた。

その編集長の巨人の星への夢を聞きながら、若い僕は、強い拒否感の中にいた。その頃、手塚治先生を平気で呼び捨てにする編集者さんにもたくさん出逢った。巨人の星の原作者がその頃の漫画界を牛耳り、おおきな権力をもちつつあった。有名な女優さんを日本刀で脅しながらレイプしたというウワサまで流れた。

子どもたちにどんなマンガを届けたいのか、どんなマンガを描きたいのか、はっきりしたものをまだ持てていなかった僕は、けっきょく人形劇団に入りながらマンガ家への遠回りの道を選ぶことになる。表現者としての勉強と体験をそこでするために。

数年後、出版社ともマンガ家とも何の繋がりもないまま、いきなり原稿の持ち込みを開始していくのだが、よくここまで来れたものだと思う。

なにより、あしき家父長制度の見本のような巨人の星とは、まったく違う僕のマンガの良き理解者になってくれた父に感謝。父とは一戦を交えたが、よき父子の関係を構築しなおせたものだと今も思っている。

そして、4コママンガ雑誌はレデイスコミック化し、マンガ雑誌という発表場所をうしなった僕は、大阪から山奥へと移住する。

描くべきものを求めてー。狙い通り、ここで新しいテーマの作品たちがうまれていった。

いくつかあげてみる↓

森の中の海で

https://ameblo.jp/misato695/entry-12513835367.html?frm=theme
ワンだふるな日々

https://ameblo.jp/misato695/entry-12513820751.html?frm=theme

児童向け小説「山小屋のタオ」(毎日新聞 文と絵の両方を担当)

https://ameblo.jp/misato695/entry-12513829087.html?frm=theme

第28回日本動物児童文学賞優秀賞受賞児童向け小説「霧の波」(文と絵の両方を担当)

https://ameblo.jp/misato695/entry-12513839168.html?frm=theme

 

まだまだ飛んで行きます。

 

 

 

 

 

先日の「風力発電による環境問題について」の講演会には、本当にたくさんの人が参加してくださっていました!講師の日本熊森協会会長室谷悠子さんは2時間半ずっと喋りっぱなし。詳しく分かりやすいお話しにずっとひきこまれてしまいました。お会いするのは、もちろん初めて。もっと年配のかただと思っていたのですが、お若いかたなのでびっくり!講演後、20年前に自著「森の中の海で」を会として100冊購入してくださったお礼を言おうと思ったのですが、何人もの方が室谷さんを取り囲んでおられたので出来ず。お礼が言えず申し訳なかったです。「森の中の海で」を描いてもう20年がすぎてることに改めてびっくりしました。この作品には熊はでてきません。なぜなら、我が家の近くには熊は出ないからなんです。出逢った動物を中心に描いた作品でした。我が家の庭で毒エサを食べて死にかけていた子だぬき。その子だぬきは、水をやろうとしたら拒否しました。少し離れた場所で、苦しむ子だぬきを心配そうに見つめる親だぬきの気配がしていました。「森の中の海で」は、ここから始まりました。

我が家の近所に居付いていた子ザルは、捕獲檻で捕まり処分されてしまうのですが、大阪から移住してきた僕には、害獣という言葉がまず驚きでした。猪はもちろんの事、タヌキやアナグマやうさぎまでが処分の対象になっており、人間と害獣とのバトルが畑や田んぼの周辺で繰り返されていました。「森の中の海で」の連載が始まったとき、そこの編集長からクレームをいただきました。「読者対象は子供です。子供相手に生とか死とかあまり描かないでほしい。そういう問題は子どもたちにはふさわしくない。森の中で、みんなが一緒に愉しく明るく暮らしているという作品にしてください」。冗談じゃあない、そんなマンガなんか描けるかと無視。さいわい、読者からの強い支持と若い編集者さんたちからの支持があり、描きたいように描き進める事ができました。

森で何がおこっているのか。新たに風力発電問題やソーラーパネル問題が起こり、森の破壊はますます深刻になっています。

わたしたち人間が生きることとはなにかが問われています。

これは田舎だけの問題ではありません。

わたしたちは、一部の金儲けに走る人達に日本という国を、わたしたち人間の心を、これ以上破壊されたくはありません。子どもたちにもわかる言葉で、森の大切さを語り続けていかねばなりません。そう想い、帰ってきた昨日の講演会でした。

 

なお、「森の中の海で」の作品は、僕の作品をいくつかアップしているテーマというコーナーに無料でアップしています。

読んでくださったかたからコメントをいただきました↓

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「森の中の海で」拝読致しました(^^)

さいわいさんのこの作品をどこかで読みたいと思っていたので、アップして下さりありがとうございます
人間の所業に依ってもたらされる数々の事象、自然破壊等、腹を立てながら、時には涙しながら読ませて頂きました。人間の傲慢さを描きつつもその人間を許して行こうとする動物達の健気さ…胸に詰まるものがあります。
希望的な終わり方にとても良い感触を受けました。良書と言うのはこう言う作品だと思います。
広く、子ども達やいえ大人たちこそこう言った作品に触れて欲しいと節に望みます。(^^)

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なんとかどこかから再出版にならんかなあと想い続けています(涙)

 

先週の日曜日は、溝掃除の日でした。溝といっても用水路のことです。
もうすぐ田植えが始まるので用水路の掃除を各家からひとりずつの参加でやるのです。
本来なら農業をしていない僕は無関係なのですが、我が区には9軒しかないので、
人手不足のため僕も参加となっています。
しかしまあ、参加者は各家からの世代交代があり、みんな僕より若いひとばかり。
丸1日の作業は、最年長の僕にはかなり堪えます。
雨の中での作業になってしまい、体は冷えるは、つかれるはで、
お腹が痛くなって食べても飲んでも胃に傷みが出てこまりました。
翌日からも疲れはとれませんでしたねえ。
来年からの参加の仕方を考えないといけません。若い人達とおなじようには、もういかんのでねえ。
途中までといった参加に代わって行かざるをえんでしょう。
田植えか、1年は早い!
大阪の箱作に住んでいた頃のことを描いたマンガ「花作町三丁目」という連載作品に、
田植えをしたときのマンガがありました。アップしておきます。

花作町3丁目↓
 

 

 

2021年に岡山県の備前市からの依頼で伝記マンガ「熊沢蕃山」をだしたのだが、それをきっかけに「びぜん特別観光大使」に任命されてしまった。で、新備前市合併20周年をむかえるにあたって記念誌を作成することになり、そこへ「びぜん特別観光大使」を紹介するにあたり僕の写真を掲載したいので写真を送って欲しいとの連絡があり、適当な最近の写真を探してみたが、僕の顔が映ってる写真は、何年か前の今は亡き愛犬ナナと撮った写真しかない。しかたなく妻に写真を撮ってもらった。が、撮れた写真を観てびっくり!
「だれやねんこれ」「あんたやんか」「撮るのんヘタなんか」「誰が撮ってもこうなる。自分でどんな顔やと思ってるん。それにしても、韓国ドラマにでてきそうな顔やなあ」「どこが」「もちろん悪役やけどな」

もう、人生終わったと思った。体は鍛えられても顔は鍛えられん。

この写真騒動で鏡をみて、髪の毛がロン毛になっていることに気付く。

そういえば、半年程散髪にいっていない。
で、初めて行った美容院で短く刈り上げてもらうことにした。この美容院は普段は女性客相手なのだが、週に2回男性もしてもらえるようになっている。
女性の美容師さんがやってくださったのだが、刈り終えて一言。
「ええ感じになりましたねえ、ロン毛の親父から、ちょい悪親父って感じになりましたよ!」えっ、ちょい悪親父!?それのどこがええ感じなんや。と思っていたら、レジで若い女の子が「ええ感じになりましたねえ。びっくりですわ!」と笑顔で言ってくれたので、まあいいかと、きげんよく帰ってきた。散髪代は1000円!安い!
御坊のオークワの中にある美容院です。おすすめですぞ!
近所の同じ歳の人に若返ったなあ、さいわいさん、はげてないんやなあとうらやましそうに言われたので、いやいやてっぺんから後頭部にかけて、ちゃんとはげてます、短く刈り上げたから、めだたないだけなんですよとイっておく。若返った?ちょい悪親父?どっちゃでもええわ(笑)
スッキリ頭になりました。

 

風力発電に関する講演会のお知らせです。

講師は日本熊森教会の会長さんの室谷悠子さん。

日本熊森教会には19年程前にお世話になっています。

自著「森の中の海で」の連載が終わり単行本化されたのはいいのですが印税の振込日が来ても振込されず小さな出版社だから仕方ないかと思っていたらやっと電話連絡がきたのですが印税の振込の話もないまま売れないので断裁すると言われたのです。

しかたなく1800冊だけ印税代わりにいただき友人や仲間たちの協力を得ながら売りつづけ日本熊森教会にも1冊送ったらなんと100冊も購入してくださったのです。環境問題をひろげていくのにこの自著が役立ったのでしょうねえ。読んで欲しい人達に届けるということが出来てうれしかったです。本を売るとはどういうことかを教えられました。

書店に置くだけで精一杯の自転車操業的出版社の限界を知ることにもなりましたねえ。

そして今新たな環境問題としての風力発電問題が起こっています。

20年前に描き上げた自著「森の中の海で」は新たな深まりを必要としています。日本熊森教会の会長さんの講演会が楽しみです。

「森の中の海で」https://ameblo.jp/misato695/entry-12513835367.html?frm=theme

今の朝ドラを観ていて思いだす出来事がふたつある。
ひとつは、友人の奥さんが子供ふたりを置いて家をでたきり長期にわたって帰って来なくなり、知人の弁護士を紹介したのだが、友人の話を聞き終わったその弁護士が言った言葉に驚いた。
「奥さんを、たたきましたね」
「たたきましたか」ではなく、「たたきましたね」と断定したのだ。
彼は、そんな人間ではない、この弁護士は何を言ってるのだと思っていたら、友人は「はい」と応えた。衝撃が走った。いままでなんというひどい奥さんだと思っていたのだが逆転した。同時に、おとなしい兄弟の従順な顔がうかび、彼らも父親からの体罰でおさえこまれていたのではないかと疑った。なぜきづかなかったのだろう。今思えば、あの従順なおとなしさは、父の体罰でおさえこまれて育った子供の頃の僕に似ていたではないか。僕は僕なりのやり方で父の体罰を拒否し、新たな父子の関係をつくりあげた。あの兄弟にもいつかその時がくるかもしれない。

それにしても、たくさんの人間を観てきた弁護士だ、事実をみぬいていた。さすがだ。
もう一つの出来事は、僕が高校を卒業して間もない頃のこと。
あるグループに入っていた僕がそこで、同じグループのある女子校生としりあったのだが、ある日、突然、その女子校生のおかあさんが僕に会いたいと我が家にやってこられたのだ。
娘が僕の話ばかりする、どんな人かと逢いに来たという。ついでに父の職業まで聞いてきた。僕も母もびっくりして顔をみあわせた。
僕を見て、「安心しました、娘をよろしくお願いします」といって帰っていかれたのだが、なにが起こったのだと訳がわからなかった。
「お嬢さんにへんなことしたらあかんよ」と母。
変なコトするわけないし、彼女とは2度逢ったきり。マンガの話なんかをしただけやと僕。魅力的な女子校生なので、僕に好意をもってくれたのはうれしかったが、それからというもの、なぜか彼女と逢う時はどこかに妙な距離を置くようになってしまった。どこかに彼女のおかあさんの目をかんじてしまい、僕の中に保護者のような感覚がついて離れなくなったのだ。妙な男女交際となってしまった。ああ、あかんかったあの恋(涙)
箱入り娘として彼女は大事に育てられているのだ、マンガ家志望の何の身分もない僕が距離をおくのはしかたのないことだった。
でも、やはり異常な育て方ではないかと今は思う。箱入り娘という言葉は、強引に押さえ込んで育てることではないか。
今回の朝ドラは、いままでの朝ドラを根本からひっくり返す位のテーマを含んでいる。

男社会をぶっつぶせ!親の暴力と押しつけを跳ね返せ!

とことんやってほしいと思う。

 

 


 

現在取り組んでいる伝記マンガは2色原稿を先に仕上げていっている。

しばらく歴史マンガを描いていなかったので、なかなか絵の勘が戻らなかったのだが、なんとか絵が動き出した。

マガジンハウスから出ている「ダライ・ラマ14世」の伝記マンガ以外は、発行元はすべてマンガ本を出したことのない団体ばかり。

そういう意味では地味な仕事だ。でも、脚本から絵付けまですべて自分でやっているので、1冊しあげるごとに、表現者としての何かとても大切なものを得ている気がしている。そして、時々思いも掛けない感想を頂き、その想いを強くする。

「まんが大上宇市」への以下のような感想を頂いたときも、そんな想いを噛みしめた。

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本日、「大上宇市(おおうえういち)と粘菌」展の最終日に当たり、姫路市自然観察の森「ネーチャーセンター」展示室へ行って参りました。
大上宇市(1865-1941年)は、もう一人の南方熊楠(1867-1941年)とも呼ばれる同時代を生きた博物学者です。熊楠の英米を股に掛けた世界的な活躍の陰に隠れ(池内紀『二列目の人生-隠れた異才たち』集英社、2008年)、私も今回、初めて知り、宇市が生きた時代を直に感じ取りたいという心持ちで展示会場へ足が向かいました。そこには1冊の漫画で描かれた伝記本が展示されていて、私は手にして最後まで読み入って、宇市が懸命に手探りした博物学の世界に浸ることができたのです。
※大阪へ帰還してから、幻の漫画本が作者、さいわい徹氏ご自身のサイトで41ページまで公開されていました(ページ単位で拡大表示も可)。富国強兵の史観が優勢な時代に博物学という何の役に立つのか知れない学問を志した先駆者の気持ちが痛いほど伝わってきました。

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おそらく、今取り組んでいる伝記マンガが最後の伝記マンガになると思う。

伝記マンガから得たものをだいじにしながらオリジナルな作品つくりへとはいっていきたいと思っている。

「青木文教」の取材で初めて海外取材にいった。チベットだった。最後の写真はそのときのもの。

この時の取材が「ダライ・ラマ14世」にも役立ったのだが、この時は、そんなことになるとはおもってもいなかった。

そして、「ダライ・ラマ14世」のマンガは、複雑な問題をかかえてはいるが、世界中に拡がっていったー。チベット問題をひろげていくこの本の役割は、どうにか果たせたと思っている。

僕にとっての伝記マンガは、いわゆる学習マンガではない。そんなものとしては描いてこなかった。

作家としてのテーマを1冊1冊に込めて描いてきている。

だから、読んでくださった人達からの感想のひとつひとつとの出会いがなによりうれしい!