活字遊戯 ~BL/黄昏シリーズ~ -29ページ目

三國屋物語 第37話

「武家?」
「はい。わたくしも見ました。身なりはれっきとしたお武家様でございますが、店のようすをうかがっているのは確かなようでございます」
 篠塚はすばやく大刀を腰に手挟(たばさ)むと裏木戸をでて表通りへとまわった。
「どの男だ」
 篠塚の背後から顔だけのぞかせうかがう。だが男の姿はすでになかった。
「たしかに、あのあたりに居たのでございますが」
「また姿をみかけたら知らせてくれ。いいか、無闇に声をかけたりするのではないぞ」
「わかりました」
 追いはぎから始まり、小間物屋の娘の一件、正体不明の侍。風向きが変わったかのように暗雲がたちこめだした感がある。
 不吉なことがおこならければいいけれど……。
「篠塚さま」
「ん」
「甘いものが食べたいのでございます」
「甘いもの? 菓子なら屋敷にいくらでも」
「外を出歩きたいのでございます」
「松吉といけばいいだろう」
「篠塚さんもご一緒に」
「どうして俺が」
「そうでございますか。わかりました。まかないの若い女子衆とはずいぶん楽しげに話しておられましたそうで」
「あれは……」
「わたくしとでは興が乗らないというのも、もっともな話。なにせわたくしは、この年で女もしらない野暮(やぼ)な男でございますから」
 自分でいいながら、どうにも情けなくなってきた。この年になるまで自分はいったい何をしてきたのだろう。惚れた女の一人もおらず学問に勤(いそ)しむでもなく剣術の腕をみがくでもない。ならば家業に専念しているのかといえば、そうでもない。
 ただ安穏(あんのん)と生きてきた……。
 兄の良蔵が江戸にいくまでは適当に仕事をこなし余暇をどう過ごすか、そればかり考えていた。夢中になれる趣味もなければ熱く語りあえる友もいない。
 無いもの尽(づ)くしだ……。
 瞬は大きく肩をおとすと小走りに裏木戸(うらきど)へと戻った。
 瞬は時折、このような自己嫌悪に陥ってしまうことがある。自分と同年代の手代が昼夜問わず身を粉にして働いている姿を見ていると、ふと、自分は何の為にここにいるのだろうと考えてしまうのだ。こうなると自身の不甲斐(ふがい)なさに嘆くばかりで何も手につかなくなる。もともと商売熱心であったわけではないので周囲は瞬の変化に気づかない。ゆいいつ松吉だけが、
「若旦さん、お体の加減が悪いんですか」
 などと、心配してくれる。その松吉にしても、あの小さな体で親元をはなれ立派に働いているのだ。
 自分の部屋にもどり後手に障子をしめる。
 その場にぺたりと座りこむと、こらえていた涙が両の目からこぼれおちた。



 篠塚は瞬を部屋まで追ってくると障子にむかって声をあげた。
「瞬。なにをそんなに怒っているのだ」
 返事がない。そっと障子に耳をおしあてる。どうやら泣いているらしい。
「おい。たかが菓子ぐらいで泣くやつがあるか」
 気配がして視線を投げる。柱の陰から女中が三人、目を皿のようにしてこちらをうかがっていた。

 舌打ちして睨みつける。女中たちが素知らぬ顔で手をうごかしはじめた。
 考えてみれば三國屋のような豪商を篠塚は知らない。京の豪商といえば、そこいらの大名を遥かにしのぐ羽振りのよさだ。篠塚のような細々と代々の土地を守る郷士のせがれと瞬とでは生きている世界が違う。篠塚の記憶にある水戸の豪商といえば京の中流商家に毛がはえた程度のもので、実際のところ瞬のような人間は、見るのも話すのもはじめてだった。
 ふたたび女中たちに視線を遣る。五人に増えていた。
 埒(らち)があかない……。
 もったいぶった仕草(しぐさ)で咳払いをし、
「入るぞ」
 と声をかける。最初から返事など当てにはしていない。障子をあけ部屋にはいると、瞬が背をむけたまま、しきりと涙をぬぐっていた。
 篠塚は、その場に胡坐(あぐら)をかくと、つとめて丁寧に刀をおいた。さて、どう慰めたらよいものか。
「泣きたいほど美味い菓子なのか」
 瞬が首を横にする。
「水戸の侍風情(さむらいふぜい)に断られ頭にきたか」
 瞬がふたたび首をふった。
「ではなんだ」
「………」
「俺の言葉が悪かったのであれば謝る。だから機嫌をなおしてくれ。だいたい、たかが菓子ごときで……」
 瞬が畳に突っ伏し盛大に泣きだした。




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「三國屋物語」主な登場人物

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