三國屋物語 第38話
どうしてこう一言多くなってしまうのだろう。とはいえ菓子ひとつでこの騒ぎはどうだ。これだから女は、と考え、篠塚はかぶりをふった。
こいつは男だった……。
瞬が男であることを忘れている時がある。初対面で女と間違えたのが、そもそもの発端であることは言うまでもない。
暮時の神社。朱(あけ)色した境内に浮かぶ画(え)に描いたような柳腰と白い肌。篠塚とて若い男だ。あの時、下心がなかったといえば嘘になる。なので男とわかった時の落胆(らくたん)は思いのほか大きかった。心中見透かされるのを恐れ、あわててその場を立ち去ろうとしたほどだ。昨夜、藤木と抱きあっている姿に、しごく狼狽(ろうばい)したのも事実で、人違いだとわかった時の安堵(あんど)にいたっては自分でも驚くほどだ。自分に男色の気があるなどと認めたくはなかったが瞬をみていると胸が騒ぐ。ことに時折みせる悩ましげな表情はいけない。
「瞬、泣くな」
瞬の肩に手をかけ強引に起こす。すると泣きやむどころか、さらに激しく泣きだしたではないか。ちらと障子をふりかえる。このまま逃げだしたくなった。
「ああ、わかった。俺がいないほうが良いのだな」
いって、刀に手をのばす。泣き声がぴたりとやんだ。
のばした手を引っ込める。瞬が消えいるような声で話しだした。
「わたくしは時々、自分が嫌になるのでございます」
「どこが嫌なのだ」
「わたくしは厄介者(やっかいもの)でございますから」
「厄介者?」
「江戸にいった兄の良蔵は、それはそれは商売に熱心な人で、十五の時から手代や番頭を手足のようにつかっておりました。それに比べ、わたくしは……」
いって、ひとつしゃくりあげる。
人生に臆することも世間も知らず、卑屈(ひくつ)や羨望(せんぼう)といった感情とは無縁の男だと思っていた。貧しい暮らしでは一生袖を通すことのできない高価な着物にかこまれ、絹の夜具にくるまって朝をむかえる。そんな男が兄への劣等感で悩んでいるというのか。
「店の者も、きっと心もとないと考えていることでしょう。わたしは三國屋のような商家に向いていないのでございます」
いって、背を丸めさしぐむ。細い肩をみていると、なんとも不憫(ふびん)になってきた。
腕をのばし瞬の背中を抱えこむ。いったい反物より重たいものを持ったことがあるのだろうか。鍛(きた)えるということを知らない、女のようにやわらかな体だった。
「兄は兄、おまえはおまえだ。俺にも兄が二人いるが、それぞれに生き方も違えば考え方も違う。おなじである必要はない。いや、むしろ同じであってはならぬのだ」
庭の楓(かえで)が乾いた音をたて、六角(ろっかく)通りのざわめきが流れてくる。
陽がわずかに翳(かげ)ったようだ。畳にのびた障子の影がとけるように薄れだした。
「おまえはどこから見ても京(みやこ)の大店(おおだな)のせがれだ。堂々としていればいい。悪くいうやつがいたら連れてこい。ぐうの音もでないほど文句をいってやるぞ」
瞬が首をひねり見上げてくる。この時の瞬はいつになく幼くみえた。
「篠塚さんが……?」
「別料金だが」
「え」
瞬は唖然(あぜん)とし、やがて小さく吹きだした。
「ようやく笑ったな」
瞬の明るさが胸に秘めた不安の裏返しなのだと知った。これまでも神経をすり減らすようにして周囲に気を遣い人知れず泣いてきたのだろう。他者にすがれない不器用さが自分と似ている気がした。
人の縁(えにし)の妙(たえ)なること……。
郷里を遠くはなれ追いはぎが引きあわせた奇妙な縁だった。いずれ別れの時がきても一生忘れることはないだろう。旅は人を感傷に浸らせると誰かがいっていた。そのせいだろうか。腕の中のぬくもりが、しごく愛しかった。
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