活字遊戯 ~BL/黄昏シリーズ~ -1008ページ目

scene20

「徳川? おい、聞こえてる?」
「聞こえてる……。筆頭株主って、割合は?」
「四十五パーセント超えてる。五十越すのも時間の問題だろうな」
「子会社化される可能性も」
「無いとは言えない。キエネ、今、勢いに乗ってるから」 
「でも、吸収合併方式を採用するとは限らないよね。たんなる合併って線もあるわけだし」
「上層部では、すでに話がついてるんじゃないの」
「それって」
「月曜さ、本社に来るらしいぜ」
「誰が」
「キエネのおエライさん」
「視察ってこと」
「そんなとこじゃないの? 愛想でも振りまいとくかな」
 そうだった。翌週の月曜日は本社に出社するよう言われていたのだ。キエネコーポレーションの経営陣がくるとなると、どうやら、ただの召集ではなさそうだ。
「徳川は、入社の時、どこ希望した?」
「僕は企画」
「俺は制作。……なんか飛んじゃいそうだな」
「まさか、入社二ヶ月で、こんなことになるなんてね」
「まさに青天の霹靂(へきれき)ってとこ? でもさ、逆に考えると運が良かったかもよ」
「どこが」
「まだ、やり直しがきく年齢だろ?」
「この年齢(とし)で、すでに躓(つまず)いたとも言えるけどね」
「徳川ってさ、見かけによらず現実主義だよな」
「………」
 電話を切ると、瞬は大きく伸びをしてベランダにでた。
 隣家の庭のジャスミンが甘い香りをはなっていた。

 午後の穏やかな陽射しの中、見慣れた街並みを眺めていると、将来の不安も、失恋の痛手も、マケインのことも、つい今しがた、佐々木と話したことさえも、ひどく希薄な出来事のように思えてきた。
 僕は、現実主義者じゃない……。
 瞬の祖父は厳格な人間で、祖父に育てられた父は、厳しい教育に反感を持って少年期を過ごしたという。そのせいか、若い頃は小説家を目指したりバンドにのめり込んだりと自由奔放に生きた。現在は祖父の経営する印刷会社を手伝っているが、いまだに祖父の叱咤(しった)にあい、時折、佳奈子に愚痴をこぼしている。瞬は、父のような一生を送りたくなかった。大学時代、学業に専念し一流企業を目指したのも、すべてはその理由によるものだった。そして、採用通知を目にした瞬間、瞬の目標は達せられた。いや、達せられたはずだった。
 瞬は肩で溜息つくと、道場のある方角を見た。
 今頃、稽古しているんだろうな……。 
 服の上から鼻を近づけて確かめる。まだアルコールの臭いが残っているような気がした。明日も篠塚は稽古に出ると言っていた。そうだ、今日は我慢して、と考えて、瞬は眉間のあたりに複雑な表情を浮かばせた。
 なにを我慢するんだ……。
 二日酔いをおしてまで稽古がしたいと思うほど武道に熱心なわけではない。それは、瞬自身が一番よく知っていた。
 湿気をふくんだ風が首のあたりをさらりと撫で、先刻、首筋にふれた篠塚の吐息とムスクの甘い香りがよみがえってきた。
 どうして、と、自問自答して小さくかぶりをふる。深く考えるのが怖かった。
 部屋にはいると、瞬は倒れこむようにしてベッドに突っ伏した。




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