scene23
「通っている道場の先生?」
佐々木が頓狂(とんきょう)な声をあげた。フロアにこぼした珈琲を紙ナプキンで拭いながら、瞬は苦笑した。
「それじゃ、何? 以前から知り合いだったわけ?」
「うん」
「すげえ」
「僕も驚いたよ」
瞬が、汚れた紙ナプキンをダストボックスに投げ入れ戻ってくると、佐々木が、「利用しない手はないぜ」と呟いた。
「え?」
佐々木が何か言いかけた時、瞬の携帯電話が鳴った。篠塚からだった。
瞬は、佐々木をちらと見ると展望室の窓際まで歩きながら電話にでた。
「もしもし」
「おまえ、ポラソニックの人間だったのか?」
「はい……」
「なんで今まで言わなかったんだ」
「……訊かれなかったから」
「おまえな……。さっき危うく、蹴(け)つまづきそうになったぞ」
そんな風には見えなかったけど……。
瞬は、だが、篠塚の態度が変わっていないことに安心した。先刻の篠塚は、やはり高級スーツを着こみ、非の打ちどころのないビジネスマンに見えた。実際、有能なのだろうが、瞬との間に見えない境界線を引かれたようで心なしか寂しい気がしていたのだ。
「昼飯(ひるめし)はどうするんだ」
「昼は、まだ決めていませんけど、午後から出向先の会社にもどる予定なので……」
「場所は」
「五反田です」
「山手通りか……。十二時に、ポラソニックの前で待ってる」
「え? でも、篠塚さん」
言った時には、すでに不通音が流れ出していた。瞬が携帯電話を胸の内ポケットにもどす。すると、誰かの腕が肩にまわってきて瞬はよろけそうになった。
「なあ、徳川」
佐々木だった。瞬が目をしばたかせると、「俺たち親友だよな」と言って、佐々木は満面の笑みをうかべた。
十二時に本社ビル前の舗道で周囲をぐるりと見渡す。四車線ある道路の反対側に一台のスポーツカーが停まっていた。パワーウィンドがさがって軽く手をふってくる。篠塚だ。薄茶のサングラスをかけていた。
横で「恩に着るぜ、徳川」と、佐々木が耳打ちをしてくる。瞬は肩で息つくと、車がこないのを確かめて篠塚の車に走りよった。
運転席の篠塚がサングラスをずらして珍客を見上げてきた。佐々木がすかさず、篠塚に名刺をさしだす。
「徳川くんと同僚の佐々木といいます」
篠塚は名刺をうけとると、返答に困ったように瞬を見てきた。瞬がばつが悪そうに目をそらす。佐々木が、「よろしければ、ご一緒させていただけませんか」と声をあげた。
瞬は頭を抱えたくなった。
篠塚は苦笑すると、「もうしわけないが、二人分しか予約していないんだ」と、やんわりと断ってきた。佐々木はさして気にしていないようだ。「残念です。次はご一緒させてください」と、言って深々と頭をさげると、瞬に笑いかけ駅のほうへと歩いて行った。
「瞬、早く乗れ」
「はい」
車が滑らかに走り出す。瞬が気まずそうにうつむいていると、篠塚が、「頼もしい同僚だな」と、咽喉の奥で笑い出した。