聖痕//筒井康隆 | みゅうず・すたいる/ とにかく本が好き!
聖痕/新潮社

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 「聖痕」


 筒井康隆、著。 2013年

             ※

内容(「BOOK」データベースより)
1973年、葉月貴夫は5歳にして性器を切り取られた。しかしなお美しく健やかに成長した貴夫は、周囲の人びとのさまざまな欲望を惹き起こしていく―。彼は、果たして我らの煩脳を救済し給うのか?巨匠筒井康隆が、古今のありとある日本語の贅と、頽廃的なまでの小説的技術の粋を尽して、現代を語り、未来を断固予言する、数奇極まる“聖人伝”。

             ※

 5歳のおりに、通り魔にちんちんときんたまを切り取られた少年が、ぐれもせず健やかに成長し、成功する話。
筒井さんらしい奇想天外なストーリーではなく、細雪でも読んでいるような気分にさせられる作品。

 なのだが……。
筒井康隆氏のチャレンジ、実験的試みは健在。
まるで大正文学を思わせる言葉使い。
脚注の多さは半端ではない。

 しかも基本的に、同じ表現をするのに同じ言葉を使わないと言う法則を貫いている。
古風な言い回しだけではなく、現代の流行り言葉も使っているのだが、その使い方がお見事。
気を抜いて読んでいると、全て古典表現かと勘違いしそうになる。

 本来なら、この脚注の多さは煩雑に感じるはずなのだが、脚注を見ずとも、なんとなく腑に落ちるので苦にならない。
いや、苦にならないどころか、その表現が妙に瑞々しく心に響く。

 なんと豊潤なる言の葉。
豊潤なる言葉は豊穣なる文学を生む。
日本語の表現というのは、なんと豊かであろうか……。

 言葉をここまで使いこなすと……。
言葉には魔力が宿っているという考えも、あながち穿った見方とも思えなくなる。
言葉が仮か、この世が仮か……。
言葉と実態は表裏一体。
……なのではあるまいか。

 読み解くに困難なストーリー展開にあらず。
ただただ主人公のやることなすこと成功し、回りは彼を愛し崇拝するばかり。
ただひとつの問題を提起しつつも、これは単なるサクセス・ストーリーに過ぎぬもの。

 が、倦む事なし。
豊潤なる言の葉の奏でるリズムに身をまかせ、読書は快美感をもたらす。
ただ、一言たりとも読み飛ばせぬゆえに、読書ペースは上がらないが……。

 読む事の快感ここにあり。
久々にそれを体感す。

 さて、ここで“ただひとつの問題”についても語らねば、この作品の真価を伝える事は出来ぬであろう。
その問題とは、一次性徴がもたらされる以前に去勢されると、性欲を持たないであろうかという事。

 いや、その虚実はどうでも良いのかもしれない。
ただ、この主人公は性欲に起因する欲望の全てを持ち合わせぬ人生を送るという設定であるのだから。

 ここもまた、ひとつの思考実験があるのだろう。
聖人にあらず、しかし、ある種の煩悩より解脱した人間。
ふむ……。

 性欲かぁ……。
女を見ればやりたいと思う境地からは脱したような気もするが、時と場合によればおれの中の獣が夜に叫んでるような状態にならぬとは……言いきれぬ。
そのような時と場合は訪れぬというだけの話。
ああ……狼になりたい!

 と、まあ、そういう直情的なものから、種の保存という本能にもとる闘争心であるだとか、軽い所では女の前でいい格好したがるというあたりまで含めた性欲。
それがないと仮定すると……。
どうなるのでしょうね。

 そういう意味での思考実験。
そういう小説でもあるようです。

 しかし、深遠にならず。
豊穣なる言の葉の海をたゆたうように物語は歩む。

 なんか、いろいろと考えてしまいましたよ。
こういうものもあるのだなぁ。

 『聖痕』。
そしてまた、これは美食礼讃の物語でもある。
性欲なくゆえに食に対する欲求が膨張する。
しかし主人公は暴飲暴食ではなく、食に美を求める。
極めれば全てが聖なり。
これは食聖の物語。

 言の葉に酔いしれ、食欲に衝き動かされ、夢遊病者の如く読了。
面白かったです♪♪♪
絶賛です!


 ※歌人ティさんにはぜひ読んでみて頂きたいと思う作品です。