「最後の晩餐」は失敗作だった! | 話のコレクション

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 レオナルド・ダ・ヴィンチは、科学者としても、芸術家としても「天才」だったと言われる。
 
 実際に、彼は、20歳で早くも、画家のギルド(組合)に、親方として名前を連ねていたのだから、突出した画家としての才能を持っていたに、違いない。
 
 レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で、一番有名な物は、「モナリザ」だ。
 
 だが、美術評論家などによると、彼の代表作は、「最後の晩餐」であるという。
 
 実は、ミラノで描かれたこの「最後の晩餐」は、実験的な作品であり、大失敗作だった、という説がある。
 
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、筆が遅く、壁が完全に乾くのを待たずに、油彩で、描いてしまった。
 だから、絵の具がはがれやすく、描かれた当時の色彩を保っていたのは、ごく短い間だけだった、というわけだ。
 
 もっとも、このミスは、「最後の晩餐」の注文主だったグラツィエ教会の僧院長に、責任があるという説がある。
 
 この人物は、ひどく短気だったらしい。
 
 ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」の第二の主人公といえるユダの顔がなかなか思い浮かばない。
 描きかけの最後の晩餐の前で、あれこれ、思案していた。
 
 するとこの僧院長が、
 「早く描け、早く描け!」
と、毎日のように、せきたてた。
 
 結局、ダ・ヴィンチは、僧院長の顔を借りて、ユダの顔を描き、中途半端に最後の晩餐を完成させたのだ、という。
 
 以上の説があるが、実際は、どんなものだったのか?
 
 ●この記事の画像は、CGで復元された色鮮やかな「最後の晩餐」
 
 
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