禅修行体験記 vol.5 | 小学生からのキャリア教育 学ぶ・働く・生きるを主体的に選択できる!

小学生からのキャリア教育 学ぶ・働く・生きるを主体的に選択できる!

キャリア教育は小学校から生き方・働き方を考える取り組みです。
ミラコラでは多変的な社会経済情勢に適応できる人材や即戦力となる人材になるため、自分の力で働き方や生き方を選択できるように小学生のうちから土台となる経験、思考法や能力の育成を目指していきます。

2017年12月11日 禅修行5日目

 

朝の座禅もとても集中できた。

 

途中お腹がいたくなり、

トイレに行ったが、

帰ってきたら老師もトイレに行っていた。

これも老師のやさしさか?

 

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<朝の講話より>

 

お釈迦様でも

「これだけ努力したのに・・・。

 私以上に努力した人などいないのに・・・

 にも関わらず、

 わからなかった。

 それだけ悟りをひらくのは難しい。」

 

老師も昔はノイローゼだったそうだ。

一度心が壊れてしまうと元に戻すのにとても苦労する。

3ヶ月、風呂も入らず、髭もそらず、

苦しみ続け、やっとのことで

「今=真実」がみえるようになったそうだ。

お釈迦様は誰も教えてくれる人がいなかった。

にも関わらず一人で悟りをひらいた。

だから、偉大なんだ。

老師ですら、4〜5ヶ月で少しだが見えてきた。

これもお釈迦様の教えがあったからだ」

 

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朝食のカレーは「これでもか」と丁寧に食べてみた。

カレーを食べるのに60分もかけて食べる日が来るとは。

今までの自分では考えられない。

いつもは5分あれば食べられる。

どれだけ存材に食事を扱っていたか。

 

その後、禅堂のそうじ。

掃除機とぞうきんがけ。

「動中(そうじなど)の工夫は、

  静中(座禅)の工夫よりも何十倍もむつかしい」

らしい。

 

「掃除機と一体になる」

 

とても面白くなってきた。

 

呼吸と掃除機が一体になった。

 

・細かなところが、どんどん気になるようになった

・畑があったことに今気づいた

・葉っぱをみて、葉脈まで鮮明に見えた

・海のさざ波が鮮明に見えた

・意識しなくても、丁寧な動作が習慣になっていた

・表情もすっきりしてきた

・動きがなめらかになってきた

 

そして!何よりも!

禅堂の外に出たとき、

外が輝いて見えた!

 

視力が上がったのかな?と思ってしまうくらい

 

すごい気づきだった。

 

心がキレイになると

 

見えるものが変わってくる

 

いや、元々は赤ちゃんの頃はそう見えていたはず

 

心に「けがれ」=汚いという意味ではなく、迷いや妄念、想念が邪魔をし、見えるものが見えなくなっていただけだ。

 

今=現実=真実

 

が見えなかっただけだ。

 

赤ちゃんは1〜2歳になった頃に、

 

「自と他」を認識しはじめるらしい

 

そして、人は「自然感覚」を失っていく

 

修行、訓練をしないと、自然には戻れない

 

 

<その後の座禅>

 

一息一息、ただ、息をすって、ただはくだけ

 

呼吸するということ

 

これがとても尊く感じた

(瞬間的にそう思った)

 

その瞬間涙がとまらなくなった(4回目の涙)

 

これまで何回も涙があふれてきた

 

1回目 いままで丁寧でなかった自分への悔しさ

2回目 呼吸は自分でしているのではなく、

    自然がしていたという感覚

3回目 こんな大切なことを教えてくれている

    老師や矢崎会長、そして父親の偉大さ

 

 

<昼食後>

 

散歩にでかけた。

 

遠くの山をみて気づく。

 

山に見えるが、

近づくと一本一本の木の集まり。

 

いのちの積み重ね

 

人間だけが知恵をもった。

 

それはなぜか?

 

落ち葉をはく。ただ、落ち葉をはく。キレイにする。

 

じゃ、落ち葉ってなんのための落ち葉なのか?

 

答えは自分ではわかっている

 

「ただ、落ち葉である」

 

そして、私は落ち葉をはく。

 

そして、落ち葉ははかれているだけ。

 

理由などない。

 

となると・・・

 

日常「なんのために生まれてくるのか?」

という哲学的なことすらどうなのか?

そんなことを考えながら、自問自答をし、

自ら悩んでいく。

 

ひょっとすると、

哲学などいらないのではないか?

 

老師曰く

 

土台ができるまでは、あれこれ考えすぎない。

 

哲学も手段であるので、必ず必要な時がくる。

 

落ち葉も、木も、カメも、自分も、

 

全て同じであり、対等である。

 

自分も自然の単なる一部である。

 

ただ、呼吸するだけのものである。

 

欲とはなにか?

 

必要以上に欲しがることである

 

必要以上に貯め込むことである

 

そして、それが争いの元となる

 

本当の意味の「大欲清浄」とは

 

「無欲」=自然感覚である

 

木やカメは「世界を平和にしたい」なんて

思っていない

 

でも世界を平和(調和)をしている

 

だって、誰一人として争っていないじゃないか

 

誰一人として自然の調和を乱していないじゃないか

 

人間はなぜ知恵をもったのか?

 

人間こそが勝手に「不自然」になっていく

 

そして、その「不自然」に違和感を感じた人が

 

自然を取り戻そうとする

 

でも、その方法がわからない

 

「世界を平和にしたい」とか、

 

「みんなを幸せにしたい」とかは「欲」じゃないのか?

 

それは「欲」ではなく

 

「願い」や「祈り」ではないか?

 

「欲」と「願い」を混同するとややこしい

 

せっかくの知恵、技術を、

人を助けようとか、便利にしようとか、

良かれと思って最初は使う。

 

しかし、それが表面的な助けにしかならず

 

気づいたときには、働く手段になり、

 

お金(生きる)ために、

 

もっと便利に、もっと表面的満足に、と、

 

せっかくの知恵や技術を使ってしまう

 

自然感覚をもった人が

 

知恵や技術を使わねば・・・

 

 

痛風発作がおころ、足首に激痛が・・・

 

ただいま、20:40分

 

そして、禅堂へ 座禅

 

21:45座禅終了

 

 

自然感覚とは

 

相手と一体となること

 

赤ちゃんと一体となること

 

落ち葉と一体になること

 

 

この1週間の修行中は

携帯、インターネットなどは禁止されている

なので、僕の知らないところで

何かが起こっているかもしれない。

良きこと?悪きこと?

でも僕は知らない。見てない。

だから、何も起こっていないわけである。

 

これも「禅」

 

 

 

 

禅修行から戻りました

  〜内発的自然感覚を実感レベルで感じた〜

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<毎日の約束(子どもたち、いや自分との約束)>
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①一日一善 ◯

・家族でスキーを楽しんだ


②毎日ブログを書く ◯492回目
『禅修行体験記 vol.5』

http://ameblo.jp/miracolla-yamada/entrylist.html

③毎日ウォーキング 15,000歩 10km ◯

【目標 地球1周 40,075km】
・14,284歩 (今までの累計2,573km)

④座禅をする。丁寧に行動する。  ◯

・座禅をした

・ご飯をよくかんで食べた

・内発、大欲清浄