「離婚してもいいんだ」 | 歳の差3きょうだい母は乳がんサバイバー

歳の差3きょうだい母は乳がんサバイバー

中2長男、小5長女、3歳次男を育てるフリーランスのワーママです。
2024年3月、46歳で乳がんが見つかりました。
浸潤性乳管癌ⅡA/ER:+/PgR:+/HER2:-/Ki67:12% →リュープリン2年&タモキシフェン10年

どうして私が次のステップについて、こんなに早い段階で考えられたのか?


夫が離婚を考えていることを聞いたとき、

一瞬時間が止まって、思考も止まって、

それがまた動き出したら、当然ショックは受けたし「なんで?」「どうしよう」「なんで今?」と色んな疑問や感情が湧き上がって来ました。

夕飯時だったので「とりあえずごはん食べようか」と食卓を整えて、家族でご飯を食べて、子供達と会話して、後片付けをして、その間もせわしなく動く次男の世話をして…と慌ただしく過ごしました。

でもその間平然を装いつつも、頭の片隅ではずーっと離婚のことを考えていました。


そして、うわーっと湧き上がってきた色んな気持ちのひと波が去ったら…

「離婚できるんだ?」
「離婚してもいいんだ?」

という思いが湧きあがってきました。
この感情が湧いてきたことに、自分でも驚きました。


ではなぜそんな気持ちになったのか?

それは結婚する前からことあるごとに夫が
「離婚だけは絶対しない」
と言い続けていたからです。

一度夫婦喧嘩で私が「そんなんなら離婚する」と口にしたら、夫はその後1週間口をきかず、作った食事も食べず、洗濯物も別にしました。こっちから謝ると「軽々しく離婚を口にするな」と言いました。

以降、どんなに夫婦間で理不尽なことがあっても、不満があっても、もうこの人とはホントにムリだと思っても、絶対に離婚はできないんだと思い込んでいました。


それが、向こうから離婚を出してきた!
なんだ、離婚してもいいんだ!



お金のこと、
子供への影響、
住む場所のこと、

不安はたくさんあるはずなのに

この趣味に合わない絨毯(故義祖母からの新居祝い)を持っていってもらえる!
家具の位置を変えられる! 
次男を保育園に預けて、フルタイムで仕事ができる!


と今までやりたくてもできなかったことが、不安よりも先に次々と湧いて来ました。


私はどれだけ抑圧されて生きてきたんだ? 

こんなことなら離婚して別々に暮らして、週末や子供の各種イベントの時だけ父親としての職責を果たしてもらった方が、お互いよっぽど幸せに暮らしていけそうな気がする。


ただ、そこに立ちはだかるのがお金ですよ…。

これについては、相談員さんからの言葉で深く深く考えさせられた一言がありました。続きます。