プロジェクト-J 「温泉 × ワイナリー」(その1) | 未音亭日乗

未音亭日乗

古楽ファンの勝手気ままなモノローグ。

今年の黄金週間は、前半と後半に大きく分かれてしまいましたが、そのおかげで週のド真中である平日4/30~5/2は人出が比較的少ないことが宿の予約状況からも窺い知れる状況でした。そこでこの間隙をついて、「温泉 ×(かける) ワイナリー」巡り第一弾として上越にある貝掛温泉と松之山温泉に越後ワイナリーと岩の原葡萄園の見学を組み合わせた家族旅行を敢行。(上越なので「プロジェクト-J」というわけです。)

 

集合場所は、上越新幹線の越後湯沢駅。メーデーの昼過ぎに全員が揃ったところで予約しておいた駅レンタカーを借り出し、2泊3日の旅に出発しました。初日は近場で名物のへぎそばを食した後、駅から30 kmほど北の南魚沼市・浦佐にあるアグリコア越後ワイナリーを訪問、「越後ワイン」の試飲や買い物をした後、一旦引き返して越後湯沢駅の南側にある貝掛温泉に一泊。二日目はそこから2時間ほどかけて上越市近郊にある岩の原葡萄園を訪ね、併設されたレストランで6種類のワインの試飲をしながら昼食を取り、その後松之山温泉に投宿。そして最終日は帰路を少し遠回りして十日町市の博物館を見学した後、越後湯沢駅に戻ってレンタカー返却、電車で家路につくという行程でした。

 

 

ちなみに、天候についても初日はあいにくの肌寒い雨模様でしたが、幸い二日目以降は回復して暑いぐらいの陽気と好天にも恵まれ、新緑と初夏の風を満喫しながらのドライブでした。

 

さて、このこのところ日本ワインの人気が高まっています。この数年来の円安もあって、例えば安価で気軽に楽しめる輸入ワインの代表だったボジョレー・ヌーボーが、今や安いものでも三千円と高嶺の花。いわゆる「高級ワイン」に至ってはゼロが一つ多い価格帯となり、その分(昔は割高に感じていた)日本ワインがお手頃価格となっています。

 

もちろん嗜好品である以上、味は譲れませんが、こちらも多くの産地・銘柄が外国産と互角になってきているだけでなく、ワイナリー毎の個性を発揮した多彩な味と香り=テロワールを楽しめるようになりつつあります。これは、「日本ワイン=国産ブドウ100%のワイン」という基準を定めた法律が2018年10月に施行され、中小の醸造業者もフェアな条件で競争できる条件が整ったことで、各ワイナリーが自社ワインに一層の磨きをかけ始めたことによります。(この点、昨年、一昨年とワイナリー巡りを行なっ亭主も実感しているところです。)

 

まさに日本ワインをテーマにしたワインツーリズムが楽しめる時代が到来した、というわけです。

 

今回の第一の目的地は岩の原葡萄園。ここは日本の醸造用ブドウの代表品種「マスカット・ベーリーA」の開発者、川上善兵衛(1868-1944)が明治23年(1890年)に起こしたという老舗ワイナリーです。「日本ワイン」を語るなら、その原点ともいうべきワイナリーの訪問は外せない、という思いからこのところ訪ねたい場所のひとつでした。そしてもう一つの越後ワイナリーも1970年代の創業と、半世紀近い歴史を持つ老舗。

 

 

ところで、前掲の地図を見るまでもなく、上越といえば誰もが知る豪雪地帯です。日本一の積雪で有名な津南町をはじめ、冬場は3メートルを超えるという雪による生活苦は想像に余るものがあります。

 

では何故そんな豪雪地帯で新たな醸造用ブドウの開発が行われ、上質のワインができるようになったのか?

 

亭主が見聞きした話から推測するに、その秘密の第一は「雪の恵み」にあります。

 

これは、例えばこの一帯が日本有数のブランド米「魚沼コシヒカリ」の産地であることを考えればすぐにピンとくるものがあるはず。雪解け水が山の養分を平地へと運んで土地を肥やすのだろうと想像できます。

 

ちなみに、亭主共がこの旅の最後に訪れた十日町市博物館は、縄文時代を代表する「火焔型土器」(国宝に指定)を多数所蔵・公開していることで知られています。今回博物館での系統的な展示から亭主が学んだことには、火焔型土器は十日町を中心とした信濃川沿いの一帯に集中的に出土しており、その他の証拠とともに、定住生活を行う大規模な集落が形成されていたことが明らかになっています。

 

 

つまり、この辺りはもっぱら狩猟・採集生活を営んでいた縄文人が大規模な定住集落を形成できるほど豊富に食料が手に入る豊かな土地だった、ということです。

 

火焔型土器といえば、その斬新な造形が現代美術家の岡本太郎を「なんだこれは!」と熱狂させ、「縄文の美」再発見として日本美術史を書き換えさせたことで有名です。(最近ではNHK「きょうの料理」で「ドッキー」というキャラでも登場。)あの何とも不思議な形が、道具の目的とは無関係に発達したものとすると、彼の地がそのような芸術表現をもたらすほど豊かで暮らしに余裕があった証拠とみなせるでしょう。これも「雪の恵み」なしには考えられないところです。

 

そしてもう一つ忘れてはならないのが「人」、この地で豪雪とともに暮らす人々の忍耐強さです。それを象徴するような人物が前述の川上善兵衛さん。

 

岩の原葡萄園には彼の名を冠した記念館が開設されており、創業当時からの貴重な資料とともに彼の生涯や葡萄園の歩みを辿ることができます。それによると、当初は海外から輸入した苗木でブドウ栽培を行なうもなかなかうまくいかず苦労の連続だったとか。そこで、1922年(大正11年、善兵衛さんは50歳代半ば)から気候風土に適したブドウを求め品種改良に挑み、1万回以上の品種交雑を行いその中からマスカット・ベーリーAをはじめとする優良22品種を世に送り出したとのこと。現在このワイナリーで醸されている主要品種(ベーリーAに加えてブラッククィーン、ローズシオター、レッド・ミルレンニュームなど)もこれらに含まれています。

 

 

(ちなみに、下戸の読者のために一言添えると、マスカット・ベーリーAで作られたワインはボジョレーに代表されるブルゴーニュワインに近い、というのが亭主の感想)

 

想像するに、品種改良という仕事は手間暇がかかる上に、ブドウからワインという結果が出るまでに年単位の時間を要する、という点でまさに根気と忍耐が要求されます。それに加えて、日本でワインといえば合成酒「赤玉ポートワイン」を指すような時代からようやく脱するや、今度は輸入ワイン全盛の陰に隠れて国産は脇役に甘んじるという時代が続きました。要するにほぼ百数十年の長きにわたり、文字通り「風雪に耐えた」結果、日本ワインブームによってようやく彼らの仕事に時代が追いついてきた、というわけです。

 

というわけで、今回のワイナリー巡りでは、百年単位でモノを考えるとはどういうことかを自らについても省みると共に、ヒトが自然に生かされている、ということを縄文時代(一万年前!)にまで遡って会得する貴重な機会になりました。