以前に本屋をぶらついていたところ、新書本の新刊コーナーで表題の著作に遭遇。中公新書の一冊ですが、腰巻に「カラー写真200点以上」とあり、パラパラとめくってみると通常の新書よりも上質の紙にカラー図版が映えています。奥付を見ると昨年(2023年)10月刊行とのことで、バロック美術の辞典代わりになるかもと購入。ところが、読み始めたところ大変面白く、このひと月ほどずっと空き時間のお供を務め、この週末に読了しました。

 

 

バロック美術 西洋文化の爛熟 (中公新書)

 

 

本書の魅力の第一は、この一冊で網羅的で体系的なバロック美術の通史が読めることです。著者がイントロやあとがきで述べているように、日本ではこれまで「バロックを思想的・概念的に論じた書物はあるものの、歴史的に捉えた適切な入門書や概説書は不思議なほど存在しなかった」とのこと。亭主もシロウト美術愛好者として、西洋美術史の本は片っ端から読んできた(例えばバロック美術で言えばエウヘニオ・ドールスの「バロック論」邦訳から高階秀爾の「バロックの光と闇」まで)と密かに自負していたものの、「バロック美術」という造形芸術の全体像を手にしたと思えたのは本書が初めてで、この感想こそはまさに著者の指摘を支持するものです。

 

実際、読み始めてみると「なるほどそういうことだったのか!」と膝を打つことがしばしばで、結構夢中になって読んでいました。例えば、絵画における「バロック」の始祖は誰か、と訊かれて、以前の亭主であれば「う~ん…」と唸りながらミケランジェロ、あるいはその追随者としてのマニエリスムの画家達の名前を挙げたに違いありません。しかるに本書の答えはズバリ「カラヴァッジョだ!」と明快です。

 

カラヴァッジョといえば、2016年に国立西洋美術館で開催された「カラヴァッジョ展」の印象、特に目玉であった「法悦のマグダラのマリア」という作品から受けた衝撃はいまだに脳裏に焼き付いていますが、当時はこの絵を含め「光(と影)の使い方がレンブラントなんかに似ているな」という気づきがある程度でした。

 

ところが本書を読むと、このような明暗法を意識的に用いたのはカラヴァッジョが最初だったこと、さらにはこの描画スタイルが大流行し、多くの追随者(「カラヴァッジェスキ」とあだ名される)を生み出すとともに、それがヨーロッパ中に伝播したことがわかります。

 

カラヴァッジョは、その画力の凄さにも関わらず、素行が悪かった(殺人事件を起こしてお尋ね者状態になっていた)ことで、後世の評判が必ずしも芳しいものではなかったようですが、西洋美術史の上ではまさに扇のかなめのような画家だったというわけです。

 

ついでにレンブラントについて言えば、彼はカラヴァッジョから大きな影響を受けていたピーテル・ラストマンという画家に師事したことであの明暗法を身につけたこと、さらにレンブラントはその明暗法を独自に進化させ、光源がよくわからないような不思議な光とその影を用いることで人間の内面世界を描こうとしたとのことで、亭主もいまさらながら大いに納得。

 

上記はほんの一例で、読み進むととにかく目からウロコの連続です。特に、バロック期には実に数多くの画家・彫刻家・建築家がキラ星のように現れますが、亭主も個々の名前は知っていても相互の関係や画風の違いなどはよくわからず、せいぜい生没年から「だいたいあの画家と同時代人だな」と気にかける程度でした。本書ではそのあたりも実に明快に整理されていて、本書の情報だけからでも「バロック絵画の系統図」が描けそうな感じです(レンブラントはほんの一例)。

 

それともう一つ、カラヴァッジョが持っていた迫真の描写力は、後の自然主義、さらには古典主義的な絵画の流れをも準備したとも知れることに。

 

カラヴァッジョが活躍したのはローマで、ローマではバロック的な表現と並んで古代ギリシャ彫刻のような調和や均整の美が称揚されるようになり、そのような美意識がニコラ・プッサン(ローマに入り浸っていた)などを通じてフランスで開花します。これが18世紀フランスのいわゆるアカデミズム絵画へとつながる、というわけです。

 

また、バロック美術はキリスト教世界でちょうどカトリックの対抗宗教改革と機をいつにして発展し、プロテスタント陣営から信者を取り戻すために幻視や法悦を視覚的に表現する絵画を奨励したとのことで、バロック美術が栄えたのもイタリア・スペインを始めとるするカトリック諸国。言われてみればなるほどと思わされます。これに対し、絶対王政が確立する途上にあったフランスでは王権に箔をつける文化装置として古典主義が重用され、むしろバロック的な過激な表現は敬遠されたということで、造形芸術の盛衰も時の宗教・政治的な状況に大きく左右されることが語られます。

 

ちなみに、建築ではドメニコ・スカルラッティと生涯にわたり接点があったイタリアの建築家、フィリッポ・ユヴァッラも第5章「権力―教皇と絶対王政」の第7節「バロック都市トリノ」で登場し、彼の手になるトリノの代表的な建築群を俯瞰的に眺めることになります。

 

本書がすごいと思われるもうひとつの特徴は、その視野の広さ。よく知られているように、対抗宗教改革ではイエズス会をはじめとしたカトリックの修道会が海外への布教を強力に推進し、極東の日本にまで現れます。彼らは伝道の一環として当時のあらゆる文化(音楽・絵画・建築)を現地に持ち込み、そこで根付かせる努力をしています。本書最後の第7章「増殖」では、スペインから中南米へ、あるいは南イタリア(ナポリ・シチリア)、さらにはドイツを経由してチェコ・ロシアへ伝わったバロック美術・建築が取り上げられています。

 

特に中南米の部分については、音楽においても同様のことを以前どこか(多分クリスティーナ・プルハールとラルペッジャータのCD「迷子の小鳥たち~南米の音楽」のライナーノート)で見聞きしたこともあり、大変興味深く読みました。

 

ただ、本書はその性格上、多数の画家・彫刻家・建築家の名前が奔流のようにページに溢れていますので、やはり名前を聞いて作品をイメージできるような作家を一定数知っていないと楽しめないかも(その点では上級者向き?)。

 

あともうひとつ、亭主は著者が(本書内で言及はないものの)きっと敬虔なカトリック信徒ではないかという印象を持っています。というのも、文中ところどころで対抗宗教改革以降のカトリック教会を暗に擁護するような雰囲気が感じられるからです。

 

なお、「あとがき」の最後を読むと、著者は10年ほど前に一人娘の麻耶さんを亡くされたとのこと。彼女が幼い頃(四半世紀前)に家族を伴って滞在したイタリアで教会や美術館を連れ回した当時のことが、今ではすべて夢のように思われる、と書き綴られており、亭主も惻隠の情を禁じ得ないところでした。本書の完成が少しでも著者を慰める助けになっていればと願うばかりです。