今年もまた黄金週間がやって来ました。とはいえ、このことろ連休といえば日頃やり残している家事をカタすことがメインで、あとは音楽鑑賞/楽器いじりと録画されたテレビ番組の鑑賞で暮れる感じです。この週末は、その家事に先立ってまずは買い物、ということで、いろいろと抱えていた不便や不自由を解決するための小間物をゲット。

 

ところで、人生は有限だと感じることの一つは、録画予約機能を使って溜め込んだテレビ番組の視聴時間を確保することの難しさです。「ヒマになったら見よう」と興味が向くままに予約していると、あっという間に数十本のビデオが溜まり、無限と思えたハードディスクも満杯目前という状態になってしまいます。

 

要するに、(現代の労働者にとって)ヒマという時間は作らなければ永遠に来ない、ということかも。以前にこのブログでも紹介した「暇と退屈の倫理学」(国分功一郎著)によれば、この状態は狩猟・採集生活を送っていた石器時代人のそれに近い、という何とも皮肉な状況でもあります。(まぁ、そのうち完全にリタイアして年金生活=「サンデー毎日」状態になると「ヒマを持て余す」という別の悩みに対峙することになるのでしょうが…)

 

というわけで、連休に入ってようやくヒマと余裕が出たところで、1時間45分という長尺の録画番組、「ダニール・トリフォノフ plays バッハ」(NHK BSプレミアムシアター)をじっくり鑑賞。演奏プログラムは、ブラームス編曲の無伴奏バイオリン・パルティータ第2番「シャコンヌ」、「フーガの技法」、ヘス編曲の「主よ 人の望みの喜びよ」、その他というものでした。

 

実はこの番組、去る3月に放送されたもので、その後一度は録画を見始めたものの、長尺である上にプログラムの中心である「フーガの技法」に馴染みがなかったこともあり、その途中で頓挫したまま放置されていたところでした。

 

さて、「フーガの技法」はセバスティアン・バッハ最晩年の大作、しかも延々と対位法の技巧が繰り出される難物といううわさもあって、亭主もこれまで敬遠していた代物です。とはいえ、初期作品から始まって一通りバッハの主要な鍵盤作品を自分で音にしてみようと思っている亭主としては、この作品だけ素通りというわけにも行かず。(まるで四国八十八ヶ所の札所を回るお遍路さんが一ヶ所行きそびれた気分?)

 

前回ちらっと見た時もそうでしたが、特に鍵盤フーガのような単一楽器による多声部の作品では、耳だけで声部を追いかけながら聴くのは容易でなく、注意力も長続きしません。そこで、まずは楽譜を手に入れようということで、先週東京に出かけた折に銀座の山野楽器に立ち寄って音楽之友社版(ピアノソロ完全運指版、石川哲郎編・運指、2013年)をゲット。(棚にはヘンレの原典版もありましたが、なぜかハードカバー版しかなくボツに。)

 

バッハ フーガの技法: ピアノソロ完全運指版

 

石川哲郎氏による解説を読むと、「…初版では未完のフーガを含むすべての作品がオープン・スコアで印刷されていることや、いくつかのフーガに見られる曲の途中からの声部数の増加などが独奏鍵盤楽器(チェンバロ)での表現の可能性を超えるように見えることから、20世紀をとおしてアンサンブルにより演奏される機会が多くなった。しかし、この世紀半ばにおけるG. レオンハルトを先駆けとする研究などによってこれらの疑問点が払拭されたことで《フーガの技法》が独奏鍵盤楽器のための作品として再認識されるようになった」とあります。特に声部の増加にともなう演奏上の問題に関しては、注釈で「この書法はJ.S. バッハ以外の作曲家の鍵盤音楽作品にも見られることで、例えば、記譜通り音を保持することが不可能な場合には、可能な箇所で再びその音を『弾き直す』ことで表現は満たされる、とされた」とあります。

 

楽譜を片手にトリフォノフの演奏を聴いていると、フーガ主題が色々な声部から立ち上がってくるところを目で追いかけることができ、これまでの「取っ付きにくい音楽」という印象ががらりと変わります。逆に、演奏者がそれぞれの声部のつながりや主題を際立たせるために、テンポやデュナーミクを仔細にコントロールしている様子もよくわかり、「音で見る」ような感覚に捉われます。

 

それにしても、これほど複雑に入り組んだ14曲のフーガを、全くの暗譜で完璧かつ感動的に弾きこなしているトリフォノフというピアニストの超人ぶりを目の当たりにして亭主も大いにコーフン。ご本人が補筆した最後の未完のフーガもバッハが乗り移ったかと思えるほど実に自然な出来で、譜面片手に聴いていなければどこからが彼の補筆なのかわからないほどでした。

 

 

ところで、録画では最後のフーガが終わると間髪を入れずに「主よ 人の望みの喜びよ」を弾き始めたので、亭主はてっきり無観客の収録だと思っていると(そのぐらい会場は静まり返っていた)、この演奏が終わって彼が椅子から立ち上がった途端、割れるような拍手と歓声が巻き起こったのにはびっくり。聴衆も大いにコーフンしている様子が伝わって来ます。(ちなみにこの演奏会、2021年10月にベルリンで行われたものだそう。)

 

トリフォノフもこの熱狂的な聴衆の賛辞に答え、アンコールを3曲もサービス。しかも選曲が凝っていて、父親とは全く違うスタイルの音楽を追求したクリスティアン、エマニュエル、フリーデマンという3人の息子の作品を取り上げ、「フーガの技法」との目の眩むような対比で聴衆をさらにコーフンさせるという役者ぶりを発揮していました。

 

というわけで、トリフォノフの演奏でその面目を一新した「フーガの技法」、せっかく楽譜もゲットしたことなので、次の週末にかけては(無謀にも)自らハープシコードで音にすることをトライしてみようと思っている亭主でした。