この週末、国立新美術館で開催中の「マティス 自由なフォルム」と題した展覧会を見に行きました。
展示されているのは、主に南仏ニース市にあるマティス美術館の所蔵品が大小160点ほど。マティスはその画家人生の後半、48歳から亡くなるまでニースとその郊外ヴァンスにアトリエを構えていたとのことで、他界に際して同市に遺贈された作品がコレクションの中心になっています。
日曜日午前の遅い時間に入館したせいか、有名画家の展覧会にしてはそれほどの混雑でもなく、比較的自由に作品に近づいて眺めることができました。また、おそらくSNSによる口コミ宣伝を意識してでしょうか、展示の後半部分では写真撮影が自由になっていました(ただし動画撮影は不可)。
さて、アンリ・マティスは亭主にとってこれまであまり馴染みのない画家でしたが、今回の展覧会では彼の初期作品(国立絵画学校に何度も落第しながらギュスターブ・モローの私塾に通っていた)から最晩年の「切り紙絵」による大規模作品(ヴァンスの教会のリノベーションにおける総合プロデュース)までまんべんなく(?)並んでいて、マティスの創作活動を俯瞰的に眺める視点を得ることができました。
それを一言で言うなら、「線と面の相剋から解決へ」となります。
一般に、マティスは「フォービズム(野獣派)」の画家と言われています。これは主に彼の「色使い」から来ており、絵画における色を「対象物の色」から解放し、絵の具の原色で自由に置き換えるような表現を指しています。
実際、今回展示された絵画作品でも、初期にはたくさんの絵の具を混ぜ合わせた厚塗りの暗い画面が多かったものの、それが徐々に原色系の明るい画面へと変化していく様子がわかります。
これは、絵の具を混ぜる「減算混色」が必ず明度を下げてしまう(=画面が暗くなる)一方で、色が付いた光線同士を混ぜ合わせる「加算混色」は明度を上げるという、当時知られ始めたヒトの色覚に対する色彩理論が影響していると思われます。
これは、絵の具の三原色である赤、青、黄色を混ぜると「黒」になってしまうのに対し、光の三原色である赤、青、緑を混ぜると「白」(白色光)になることからもわかります。(ちなみに、現在家庭用照明で使われている白色発光ダイオード(LED)、実はこの3色のLEDを一つの素子上に配置することで遠目に白く見えることを利用しています。)
これを知った画家たちの中には、例えば「点描派」のように、表現したい色を原色の絵の具の点の集合で表そうとした人たちもいました。絵の具をパレット上で混ぜてしまうのではなく、それが反射する光をヒトの目で混ぜ合わせれば加算混色になる(なので明るい画面を保てる)、というわけです。今回並んでいたマティスの作品にも点描派を真似た作品があり、彼がそのことを十分に意識していたことが伺えます。
ただし、どうやらマティスは明るい色彩を追求する過程で「対象をできるだけ忠実に描く」という従来の絵画観から脱却し、色彩そのもののダイナミズムを二次元画面で表現することこそが絵画の本懐と思い至ったようです。
と、ここまでは「フォービズム」のマニフェストを解題しただけものですが、その後のマティスの作品を眺めていると、彼は「描く対象」そのものからも自由になろうとして大いに格闘したことが見て取れます。
というのも、中期の油彩画が鮮やかな色彩を誇る一方で、「形」を表すためにどうしても線描に頼ってしまう様子が窺えるからです。面的な色彩と、そこに侵入する具象的でグラフィックな表現。
このような相剋は、実のところ「対象を忠実に写しとる」ことを旨としたルネッサンス期の絵画にまで遡る西洋絵画の大問題で、レオナルド・ダヴィンチは「我々の見ている世界に線などはない、ただ色と色の境目があるだけだ」といったようなことを呟いたとが思い出されます。(レオナルドがよく使った「スフマート」(ぼかし)という絵画技法は、この問題を解決するために思いついたとも言われています。)
そうしてマティスがたどり着いた究極の解決が、明るい原色の「切り絵」によって線描を完全に追い出すことでした。これは、ある意味で「デッサンの訓練を徹底して受けた画家がデッサンを捨て去る」ことにも見え、まるで「弓矢の名人が究極に弓を忘れる」という中国の名人伝のようです。
この展覧会の副題である「自由なフォルム」は、切り絵で刻まれた色面が抽象絵画のオブジェのように自由な形に見えることを指していることを指しているように見えます。が、亭主から見ると、彼の表現の本質はむしろ「線描によるフォルムからの解放」と「自由な色のダンス」にこそある、という気がします。
ちなみに、今回の展示で亭主の目を引いたのが「Jazz」(1947)という作品群。まさに切り絵表現の集大成とでもいった感じの作品で、複製でもよいので手元に欲しいと思ったものでした。