今日は、最初のアニコミに
今いるわが家のぴょんたちではなくこの子を無意識に選んだ理由をお話します。
何年も、何十年も
一緒に暮らしたわけでもなく
たったひと夏だけ
一緒に暮らしただけの存在です。
なぜ、この子を無意識に
呼んでしまったのでしょう?
カナダでは英語でしか会話できません
↑
当たり前やけど
わたしも相当勉強しましたが
耳が英語についていけず
何を言っているのか
はじめは全然わからなかったのね。
数日すると耳が慣れてきて
意味が分かるようになったんだけど
はじめはすごく不安でした。
だけどね、レイディだけは
日本語で話していたんですよね。
だって、ホストに日本語で話すの
失礼だから、誰かに聞いてもらいたいとき
レイディにだけ日本語でぐちっていたんです。
いつもわたしの声に
耳を傾けてじっと聴いてくれる。
ぎゅってしたら
レイディの返事が
聴こえてきたんですよね。
そう、元々わたしはこの時に
レイディと対面アニコミをしていた
と後で判明
そして両親とはカナダ行きの条件として
毎日手紙を書くよう言われていました。
家にいても会話しない両親に
毎日手紙を書くのはなかなかの苦痛。
でもちゃんと
到着翌日から出していたんです。
10日ほど経ったころ
日本から手紙が届きました。
「毎日手紙を書くように言ったのに
一度も送られてこないのは
どういう了見か?????
おまえなんかもう帰ってこなくていい」
的な、たいそうお怒りの手紙。
届いたタイミングからして
出国後、4・5日たって
カナダからの手紙が届かないので
こういう文面で送ってきたのでしょう。
エアメールは当時
1週間ほど到着に時間がかかりました。
さらに時差がありますから
出国して5日では当然
届くはずがないんですよね。
「なに、言ってんだろう」
と思うと同時に悲しくなってね・・・
何をやっても否定する家族
ほとほと情けなくなったんですよね。
なんでこんな家に生まれたんだろう?
って本当に悲しくなった。
そしてレイディに話しました。
泣きながら・・・
その様子を見ていたホストが
ホームシックにかかったと勘違い。
「家に電話してみたら?」
とコレクトコールをかけてくれました。
↑
本当は口も聞きたくなかったけど
電話をすると
「手紙は1週間くらいしたら
毎日届くようになった」
とは言っていましたが
非難した手紙のことはスルー
謝れよっ
と思ったけど、ホストの前で
けんかしたくなかったのでやめた
18歳のときのわたしは
信頼できるのは友達だけ。
家族といることが
苦痛でしかたなくて
小学校の頃から家を出ることを
夢見ていてひたすら貯金。
そんな悲しみは当時
誰にも話したことはなかった。
だってね、家族を信頼できないとか
家族に信頼されてないことを
誰に相談できますか??
言えないよね、友達が悲しむ。
どうにもできないわけだしね。
だから、ずっとためていた
たくさんの想いを打ち明けられたのは
レイディだけだったんです。
この夏はわたしにとって
カタルシスの時期でもあり
受け止めてくれたのがレイディで
世界で唯一無二の相棒
だった。