2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの若い日を描いた伝記ドラマ。
1961年の冬、わずか10ドルだけをポケットにニューヨークへと降り立った青年ボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)。恋人のシルヴィ(エル・ファニング)や音楽上のパートナーである女性フォーク歌手のジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)、そして彼の才能を認めるウディ・ガスリーやピート・シーガー(エドワード・ノートン)ら先輩ミュージシャンたちと出会ったディランは、時代の変化に呼応するフォークミュージックシーンの中で、次第にその魅了と歌声で世間の注目を集めていく。やがて「フォーク界のプリンス」「若者の代弁者」などと祭り上げられるようになるが、そのことに次第に違和感を抱くようになるディラン。高まる名声に反して自分の進む道に悩む彼は、1965年7月25日、ある決断をする。
これも面白かったです。
それにしてもディモシー・シャラメ君の凄いこと!
の時も、なかなか歌が巧いと思ったのですが、さらに進化しています。
ボブ・ディランのちょっと鼻にかかったようなくぐもった発声、少し音程がフラットになるなどの特徴を良く捉えています。
メロディとリズムで歌い上げるよりも、歌詞のイントネーションがそのまま歌になる感じですね。
歌うシーンは全てシャラメ自身が歌い、ギターを演奏しています。
もちろんプロのミュージシャンによる音源で差し替えたりしていないし、事前録音ではなく撮影現場の生の音源が使われているというのは驚き!!
プロでも演奏シーンの音は別録り、映像は当て振りが多いですから。(現場では良い音で録音するのが難しいのもあります)
多少のミスはデジタル編集で修正しているそうですが、これはプロのCDでも当然の作業です。
ボブ・ディランを演じる企画が決まってから、コロナ禍と業界ストライキの影響で製作が5年停滞したため、その期間にシャラメ君は歌とギターとハーモニカを猛特訓したらしいですけど、5年半トレーニングしたからって誰でもボブ・ディランを演じられるわけないですからね。
他の作品の撮影もあっただろうし。
ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロさんの歌声も素晴らしい。
この方は当然ミュージシャンだと思ったら、こちらも役が決まった時点では、歌も演奏も未経験だったと。嘘でしょ??!!
なんかもう、俳優陣のレベルの違いを痛感しますね。
プロのミュージシャンが俳優として出演、または元々俳優業と音楽活動で活躍している人は別として、専業の俳優が自身の歌と演奏を披露した音楽映画としては歴代最高レベルではないでしょうか!
それにフォークというジャンルそのものが、歌手が伝えたいとする言葉や感情をダイレクトに表現するものだと思うので、やはり本人の声でないと伝わらないというのもあります。
いくら巧い歌唱であっても、シャラメ君の演技に別の声を当てたのでは、嘘っぽくなってしまいますよね。
彼の歌い方は単なるディランの物まねではなく、シャラメ自身の人間味が十分に伝わる弾き語りだったし、彼の演技力によってさらに人物像の説得力と魅力が増していたと思います。
実のところ、ボブ・ディランって名前しか知らず、もはや伝説の人なのかと思いきや、まだご存命で活躍しているのですね!
ジョーン・バエズさんご本人も!
そっちの方が驚愕。
あんなにヘビースモーカーだったのに。
こちらはご本人たちのライブ動画です。
そんな疎い私でも、この2曲は聴いたことがありました。
(ボブ・ディランの曲とは知らなかったけど)
この映画について監督が「天才がやってきて、事を成して世界を変えて旅立っていく寓話」と表現していました。
どこからともなく若者が登場し、事を成して世界を変え、また新しいどこかへと旅立つという構成。まさにその通りです。
登場した瞬間からディランは天才で、その天才っぷりを見せつけて、次のステージへと進んでいく。
当時すでに有名だったウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジョーン・バエズたちに出会って才能を認められ、デビューのきっかけを掴みますが、
2年も経つと彼らを超える大スターになってしまいます。
ピートたちはディランを必要としていますが、ディランには必要ない。
彼は常に自分の感性の赴くままに進み、旅立っていってしまうんです。
まさにその黎明期、1961年から1965年だけに絞っているのも、分かりやすくて良かった。
彼自身の出自なども全然描かれません。
当時のミュージシャンが、酒、女、ドラッグに溺れ、お金のことでマネージャーと揉めたりするのは定番ですが、いささか食傷気味。破滅型じゃないと天才じゃないみたいな風潮が嫌いなので、そういうグチャグチャしたところは描かないのがスッキリしていて私はとても好きでした。
まぁ彼も色々やっていたと思いますが…
ライブハウスやフェスでの演奏シーンが多いのも楽しめます。
ボブ・ディラン以外のミュージシャンの演奏シーンもあるので、彼との音楽性の違いもはっきり浮き上がります。
まさに天才、世の中の音楽シーンを変えて行った人なんだなと感じました。
女性関係については、なかなかの自由人でしたね(笑)「ただしイケメンに限る」ってやつ。
とっくに別れて別の男性と暮らしているシルヴィを、無理やりフェスに連れ出してもそのあとはほったらかし。
ステージではジョーン・バエズとの親密なデュエットを見せつける。
シルヴィのような一般人は、到底手が届かない人だと何度も思い知らされて辛かったでしょう。
ジョーン・バエズにも、いきなりホテルに押しかけた思ったら、作曲に夢中になってしまう。
本人はいたって普通の行動でも、同じミュージシャンとしたらなんか才能を見せつけられるような気がしちゃいますよね。
多分彼は特に何も考えず
会いたい時に会いたい人のところへ行く
アイデアが浮かんだから作曲をする
というシンプルな思考回路なのでしょう。
エル・ファニングちゃんとは
以来の共演ですね。
(この映画は酷評してます)
なんか、彼女の「妖精み」がなくなっちゃった気がするなぁ。
こういうインタビュー動画を見ても、なんか淡々とした人ですよね。
1965年 インタビュー
直接的ではありませんが、この時代の背景として、1961~65年の米国の政治・社会の状況をテレビのニュース画面などを使って巧く描いています。
米ソ冷戦とキューバ危機、人種差別の撤廃を求めた公民権運動、ベトナム戦争、といった出来事に対するディランからのメッセージが歌詞となり、人々の心や行動に大きな影響を及ぼしたのでしょう
ボブ・ディランが1965年7月25日のニューポート・フォーク・フェスティバルでフォーク・ギターをエレキギターに持ち替えたことでロックが誕生したとするのは、音楽史の定説なのだそうです。
そのディランの行動に、ノーを突きつけたのがピート・シーガーだったのも定説のようで、この映画でもそのように描かれています。
「実は、決してそんなことはない」というのがピートの主張であり、この誤解を解きたいと長年思っていたという記事がありました。
あの時は、スタッフがディランの音楽スタイルのシステムに慣れていなくて、ミキシングが悪くて音がひずみ、歌詞が聞き取れないほどだった。あれほど広い野外ステージでエレクトリック・バンドでやること自体が初めてだったから。
観客からのブーイングについては、みんなディランを目当てに来てるのに、彼がエレクトリックでやれるのは3曲しかなくてステージが短かった。それだけで終わってしまったと観客が思ったから。
ま、実際にあの場では「俺達が創り上げてきたフェスで何やってくれとんねん!!」って思ったかもしれません。
「お前を見出してここまで売り出したのは俺だぞ!」って気持ちもあっただろうし。
ただ、その後も何十年にも渡ってずっとその逸話が独り歩きするから、辟易したというか誤解を解きたかったのかな。
その瞬間の感情と行動を、50年以上にも渡って、死後まで取りざたされるって結構辛いですもんね。
ピート役のエドワード・ノートンさんも凄く良かった。彼もちゃんとギターやバンジョー弾きながら歌ってます。
それにしてもシャラメ君は今、メジャーの若手俳優としては完全に頭一つ抜けたトップじゃないでしょうか。
そして今作。
いつも全く違う姿を見せてくれます。
本当に素晴らしい。
でもアカデミー賞は「デューン」も含めて無冠でしたね。
う~ん。ちょっと納得いかないな。