フェラーリ | akaneの鑑賞記録

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マイケル・マン監督がアダム・ドライバーを主演に迎え、イタリアの自動車メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリを描いたドラマ。ブロック・イェーツの著書「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」を原作に、私生活と会社経営で窮地に陥った59歳のエンツォが起死回生をかけて挑んだレースの真相を描く。

1957年。エンツォ・フェラーリは難病を抱えた息子ディーノを前年に亡くし、会社の共同経営社でもある妻ラウラとの関係は冷え切っていた。そんな中、エンツォは愛人リナとその息子ピエロとの二重生活を妻に知られてしまう。さらに会社は業績不振によって破産寸前に陥り、競合他社からの買収の危機に瀕していた。再起を誓ったエンツォは、イタリア全土1000マイルを縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑む。
 

 

 



2020年に公開された

 

 

この映画が凄く好きで、同じ監督だから期待していたのですが、前作ほどでも…というのが正直な感想。

 


フォード vs フェラーリは、テンポも良くレースやメカニックのシーンも多くて、非常にワクワクする内容だったのに対して、こちらはなんというか正妻と愛人の揉め事がメインな感じ。


イタリアの有名ブランドのゴタゴタ話ということでは、これに近いかも。

 


どちらもアダム・ドライバー主演ですしね。





エンツォ・フェラーリの生涯全体は非常にドラマティックだったと思うのですが、その一部分である1957年だけに焦点をあてています。

 


共同経営者である妻のラウラ(ペネロペ・クルス)とは、とっくに関係が冷え切っていて、一人息子のディーノを前年に亡くしたことで、さらに関係が悪化しています。

 

 

 

エンツォには長年の愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)と、すでに12歳になる男の子ピエロがいて、彼にとってはこちらが「家族」のような感じ。

 

 


しかしリナが「ピエロを正式に認知してほしい」とずっと頼んでいるのに、「ラウラにはバレていないから(バレたら困るから)このままで」と煮え切らない態度を取っています。。




人となりとしては、「カリスマ」「ワンマン」って感じで、まぁあまり好ましい人物ではないですね。
「社長」ではなく「コメンダトーレ(指揮官)」って呼ばれてます。

 


でも二度の世界大戦を生き抜き、燦然と輝くフェラーリの名を残したのですから、やはり相当な人だったのでしょう。
 

 

 


エンツォは、1909年にフェラーリ家の次男として生まれ、父は金属工場を経営していました。フェラーリという家名は、イタリア語で鉄を表す“ferro”に由来しているのだそうです。


23歳の時、エンツォはテストドライバーとしてアルファ・ロメオで働き始め、その後レースドライバーとなりましたが、それほど華々しい活躍を残してはいません。

こちらが本物のエンツォ・フェラーリさん。

 

 


1929年、アルファ・ロメオのレース部門「スクーデリア・フェラーリ」を自ら立ち上げ、戦後は自動車製造会社としてフェラーリを再興。

 

基本的に「レースで勝ってブランド力を高め、そのモデルを模した高価なスポーツカーを富豪に売る」というビジネスモデルを貫いてきました。
しかし、年間100台程度の売り上げで、レーシング事業に湯水のように資金をつぎ込んでいては、経営難に陥るのは当然です。

 

 


起死回生の一手として、世界から注視される公道レースのミッレミリアでの優勝に賭けます。

 

 

 

ライバルとして立ちふさがるのはマセラティ。

彼らも同じ地元で、同じような商売をしているので、経営状況は似たり寄ったり。彼らも必死です。


ミッレミリアとは、1927年から1957年の間にイタリアで行われた伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下しフェラーラ、サンマリノを経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへ戻るというルートで、イタリア全土を1000マイル(イタリア語で mille miglia = ミッレ・ミリア)走ることから名づけられた。
 

 


フェラーリは選りすぐりのドライバーと5台の車でレースに挑みます。
美しいフォルム!壮観ですね!!

 

 



この映画のハイライトである「ミッレミリア」レースのシーン、アルプスの山々やイタリアの街中の風景、真っ赤なレーシングカーが疾走していく姿が美しかったです。

 

 

 

 


ただ、フェラーリもマセラッティも同じ赤い車なので、見分けがつかないんです。
若干、赤の色味が違うぐらいで。

エンブレムでなんとか見分けられるんですが。

 



 

こちらがマセラティのエンブレム

 

 

 

 


1950年代のレースでは、ドライバーはほぼ無防備。

普段着のまま、簡単なヘルメットとゴーグルだけでコックピットに座っています。

 

 

 

顔は排気ガスで真っ黒。
シートベルトもしているのかどうか…
事故が起これば、ほぼ即死です。

 

 

 


当時のコースはこんな感じ。

 

 

 


しかし、レースに勝つためには、まさに死と紙一重のギリギリを攻めなければなりません。
エンツォは勝敗に非常にシビアで、競っていた相手より早くブレーキを踏んで遅れを取ると、すぐさま別のドライバーに交代させたり。
「私のクルマに乗るなら勝つために走れ。それがダメなら去れ」とドライバーたちを叱責するのでした。





自らフェラーリに売り込んできたドライバー、アルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵。

 

 

 

若くてイケイケで、女優の彼女を見せびらかしているし

 

 

 

勝利を焦るあまり、タイや交換をパスしたり

 

 

 

「まぁ…死ぬよね」って思いましたけど、なかなか悲惨な事故でビックリ!!
かなり忠実に再現しているのではないでしょうか。




その事故処理などにおいて、ラウラは太っ腹な対応をみせます。
愛しあう夫婦というより共同経営者だったんだな、と思わせる提案でしたが、1つだけ「私が生きている間、ディーノ以外の息子は認めない」と条件をつけて。


それに対してのラストシーンが、彼女の心を踏みにじるような終わり方で、なんだかな~と思いました。





実際には、息子のピエロはフェラーリ社で働きながらも、1978年にラウラが死去したのち正式に認知されてピエロ・ラルディ・フェラーリとなり、エンツォとリナと3人で暮らしました。

1988年の父の死後にフェラーリの副会長となり、今も現職。

父が暮らした屋敷に住んでいるそうです。

こちらがピエロさん。

たれ目な感じがお父さんそっくり!






それにしても、アダム・ドライバーってなんか、いけ好かない役が多いですよね。


スターウォーズ エピソードⅦ フォースの覚醒」で初めて見て、生理的に受け付けないぐらい大嫌いになったんですけど、その後も

 

マリッジ・ストーリー 
最後の決闘裁判 

どれもそこはかとなく嫌な男。

まず、あのなんとも言えず間延びしたような顔が嫌いなんですけど

 


今回は、白髪の短髪で、サングラスもしているから、見た目はスッキリしてました。




ハウス・オブ・グッチ」でも言われていましたが、ヨーロッパで起こった実話を英語で演じることの違和感みたいなのは、今回も問題視されているようです。


本当のレーシングファンには面白い映画なのかな?
あまり女性向ではないような気がしました。





1950年代のモデル



1960年代、ル・マンのころのモデル


この10年でも大きな進化が見られます。



そして2024年モデル!

 


かなり軽量化を目指したようですが、これもまた凄いデザインですね。

強度とか安全性はどうなんでしょうか?