スターウォーズ エピソードⅦ フォースの覚醒 | akaneの鑑賞記録

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今さらではありますが、スターウォーズを観てきました。



実は映画館でスターウォーズを観るのは初めてです。
というか「TOHOシネマズ六本木ヒルズ」ができるまで、ほとんど映画館には行かず、もっぱらレンタルかTV放送でした。
それまでの映画館は、料金も高いし、暗い、古い、座席の確保ができない。
「ハリーポッター」の1作目は頑張って観に行きましたが、それでも延々並んで結局立ち見。映画館で立ち見って、消防法的に大丈夫だったのかしら。
その点、 TOHOシネマズは綺麗だし、最終上映が21時頃で仕事帰りでもOK、全席ネット予約できて、レディースデイなら(値上がりしたけど)1100円、6本見たら1本無料、ポップコーンは旨い!と言うことなし。

いや、それはどうでも良い話なんですが、スターウォーズ。これどうなんでしょうね。
TVで放送されたときに見たぐらいで、あまりストーリーもわかっていなかったので、昨年末の一挙放送を録画してしっかり予習してから観に行ったのですが、特に予習する必要もなかったというか、むしろ見なかった方が楽しめたのかも。
以下、盛大にネタバレです。





●ストーリーがほとんど同じ
大事な情報をドロイドに託す
一般人(実はフォースの持ち主)が拾う
ハン・ソロ登場
色々あってレジスタンスに合流
シールドを破壊してスターキラー爆破

なんのひねりもない。オリジナリティゼロ。
デス・スターとスターキラーベースも同じデザインだし、シールド破壊して中心部爆破って毎回おなじ特攻隊方式じゃん。帝国軍ももうちょっと考えて基地作ろうよ。

●ジェダイやフォースの扱いが雑
フォースってもっと説教くさい(良く言えば哲学的)扱いじゃなかった?
アナキンもルークも相当修行してたし、マスターに始終ダメ出しされてたし。
けっこうジェダイになるのは大変なのねって感じだったのに、レイちゃんはいきなりそこそこ使いこなせてたよ。
ヨーダやオビ=ワン・ケノービの存在ってなんだったの?
しかも最後のジェダイであるルークが、後進の育成に失敗してひきこもり!とか。

●ハリソン・フォードの扱いが…
ソロとレイア姫が結婚したのはいいけれど、「息子がぐれて家出、それが原因で離婚、親父は今も借金取りに追われてる」って2時間ドラマみたいな設定はやめてほしい。
「これがハン・ソロ」なのかもしれないけど70歳の人がやるとリアルだから。
アクションだって相当頑張ってたのに、あの死に方はないわー。意味わかんない。
遺体を弔うこともできないじゃん。

●カイロ・レン
今回の最大の汚点がこの人。
ソロとレイア姫の息子なのに、なんだあのビジュアルと性格設定は!
アナキンも相当「中二病」だったけど、まだ「尖がってるガラスの十代」というか、天才ゆえの苦悩や、愛する母と妻を奪われた怒りと絶望みたいなものは感じられた。
でもこいつは何もない。
すぐブチ切れるしフォースも大したことないし、単なるヘタレなコスプレ野郎じゃないか!
いっそのこと、超極悪非道なキャラ設定の方がまだマシだった。
今まで描き続けてきた親子(父と息子)の絆や確執みたいなものはどこへ行った?
ちょろっとセリフで説明してたけど、全然そんなもの伝わってこなかったぞ。

「マスクを取って」といわれて、すぐ外す
「え?外れんの?コスプレなの?」と思った次の瞬間

いや~~~~!キモイ~~~~!アップはやめて~~~~
ムリムリムリムリムリムリ!!!!! 私の心の叫び

ないわー。役者さんには悪いけど、あのビジュアルはないわー。
あれはもう絶対、生理的に受け付けない。
二度とマスクを外さないでください。もしくはキャストを変えてほしい。


なんか、今までのスターウォーズの断片をパクって繋ぎ合わせただけみたい。
登場人物の魅力やドラマが全然なくてすごくぶつ切り。
全体的にメカのデザインとかコスチュームも地味だよね。
アミダラなんか常にファッションショー状態だったのに(可愛かったけど)。
唯一の救いは、レイちゃんとBB-8の存在だけですね。
この続きは、ルークとレイとレンの過去を描いて、最終決戦で終わりかな。


ルーカスが「スターウォーズを奴隷商人に売った」発言で物議を醸しましたが、真意としては「別れがたく愛する子供なのに売ってしまった、売らざるを得なかった」なんでしょうね。
あの完成品を観たら、彼の気持ちも少しわかります。


以下、インタビューより

映画の方向性についてもディズニーと相違があった。自分は何よりも物語を重視して、父と息子の問題、祖父や、世代について描くつもりだった。スターウォーズは、結局のところ家族ドラマ(ソープオペラ)。スターウォーズはよくスペースオペラと言われるが、本質は家族の物語。ソープオペラであって、宇宙船がどうこうではない。しかし、ディズニーが求めたのは「ファンのための映画」だった。