哀れなるものたち | akaneの鑑賞記録

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「女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金獅子賞を受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞ほか計11部門にノミネートされた。

不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。
 

 

 


こちらも超話題の映画です。

前作も結構好きでした。

 

 




今回の作品は、一応ヴィクトリア朝のイギリスといった設定がありますが、全体的には「寓話」ですね。
でもエログロも交えながら、人間の醜さ含め、根源的なところを鋭く描くコンセプトは似ていると思います。
 

ともかくセットや衣装が凝っていて、
 
 
 
 
 
不穏な雰囲気の音楽もとても良かったです!
ポスターにも使われている、特徴的な文字のフォントも好き!
魚眼レンズのような映像など、撮影方法も多様で、様々な感情の変化を表現しています。
 
 
そしてなんといってもエマ・ストーンの演技!!!
これは驚嘆ですね。凄すぎます!!
アカデミー賞、主演女優賞の最有力候補じゃないかな。
 
 

ウィリアム・デフォーのいかがわしさは鉄板。
 
 
 
真面目で人格者のイメージが強いマーク・ラファロが、ダメダメに落ちぶれていく様も見ものでした。
 
 
ダンスフロアで軽快なステップを踏む姿も新鮮!




川に身を投げて自殺した若い妊婦を助けた天才外科医のバクスター博士(ウィリアム。デフォー)は、女性に胎児の脳を移植して蘇生させます。
体は大人でも中身は新生児。
食べ物で遊んだり吐き出したり、その場で排泄したり、歩き方もぎこちない。
ベラは博士を父親と認識し、自由奔放に育っていきますが、屋敷から一歩も外へ出ることはありませんでした。
 

博士は、ベラの言動や成長を記録させるため、若い医大生マックス(ラミー・ユセフ)を雇います。
多分将来的にはベラを、自分に従属しているマックスと結婚させるシナリオだったんでしょう。
新たな刺激を受け、ベラは外に出たい!と熱望します。
 
 
 

急激に精神が成長するベラは、やがて思春期を迎え、性に目覚めます。
そんな時に現れた弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われ、結婚前にもっと広く見分を広げたいと大陸横断の旅へ!
 
 
 

バクスター博士の元では、映像がモノクロだったのに、
 
 
 
リスボンに到着した途端、フルカラーになるのも鮮やかです。
 
 

性欲旺盛、好奇心旺盛、突拍子もない行動をとるベラに、ダンカンはヘトヘト。
 
 
 
ベラは1人で豪華客船を探検し、ある老婦人と出会います。
そこで読書や哲学に目覚めた彼女は、次第に性への好奇心も薄れ、知的な刺激を求めるようになっていき、
 
 
ベラに相手にされなくなったダンカンは、酒とカジノに溺れて行きます。
 
 

全財産を失い、パリに放り出されたダンカンとベラ。
 
 
 
娼婦として「性の快楽を得ながら、自分でお金を稼ぐ」方法を見つけて更なる経験を積み、納得したベラは、マックスと結婚するためにバクスター博士の元に帰ります。
 
 

しかし、結婚式に現れたのは、ベラのかつての夫!
自分の出生の秘密を知りたいベラは、彼の屋敷へ出向くのですが……
 
 


「理知的な成熟した男」と「知性に欠けた未熟な女」という性差別的な関係から始まるこの映画は、ベラを支配下に置かず、1人の人間として接したマックスだけが生き残るという結末で締めくくられます。
 

身体が20代の女性でありながら精神は赤ん坊のベラは、監禁されていた屋敷から外の世界を渇望し、放蕩者の弁護士ダンカンと乗り出した豪華客船の旅で、階層差や貧困をはじめ社会の知られざる真実を目の当たりにし、急激に「大人」へと成長してゆきます。
本を読み、知識を身につけ、世界の不完全さに気づき、自らの足で人生を歩み出すのです。
 
 

終盤、ベラは「私は新しい自分とクリトリスを大切にする」と絶叫します。
ゴッド(ゴッドウィン)=神と呼ぶ男性によって創造されたベラが、自らの身体を自分のものだとする主張。
独占欲や庇護愛にまみれた、彼女を取り巻く哀れなる男たちの支配への抵抗が込められています。


「クリトリス」が象徴するのは性的快楽も手放さないこと。そして女性の性の悦びが必ずしも男性を必要とせず、女性同士、あるいは相手などいなくとも自らの手でも得られることを意味しているのでしょう。

現在もアフリカの国々などで行なわれている「女性器切除」は、ヴィクトリア朝時代のイギリスでも実際に行なわれていた処置であり、ベラのかつての夫もその行為を行う描写がありました。





屋敷に囲われていたベラも、そこを抜け出して広大な海を旅する船に乗り込んだベラも、経済的自立なく男性の財産に依存している限り所有物でしかあり得ません。
ベラは最後まで書物を手放さず、学び思考し、努力し続け、自立したのです。
学ぶこと、知ることは、あらゆる行動への道しるべとなります。





自分の支配下にあると感じているときは、優しく余裕をもって接してくるのに、自分の地位が脅かされそうになった途端、鮮やかに手のひら返しをする男性。
若い頃は、あんなに切れ者でカリスマ性もあったのに、その能力の衰えを感じて怯えているおじさん。
 
「お前ごときが、この俺様に意見するのか!」
 
とか平気で言います。
どれほど自分の意見の方が正しいかを、あらゆる難癖をつけて論破したがります。
 

うっせーわ!
ヤギにしたろか!

 
 
って思いますけどね。
面倒だから「はいはい」って言うこと聞いてあげます。
そうすると「ほらみろ!俺の方が正しかっただろう!」と優越感に浸ってます。
ま、そういう了見の狭い人間は、自然に淘汰されて自滅するからいいんですけどね。

まさに「哀れなるもの」ですよ。



そういう意味で面白い映画だったんですけど、実は「ビヨンド・ユートピア」と続けて見ちゃったんです。
 

 

 

この映画はもう「命があること」すら脅かされる世界観なので、
「こんなおめでたいこと、やってる場合じゃねーぞ」と思ったりもしたのでした(苦笑)
 


フェミニズムや女性の自立を描いた映画と捉えられがちですが、

「支配者」は常に真実を隠す。
我々は常に学び、知性を身につけ、
真実を正しく知らなければならない。
それでこそ「支配者」に立ち向かうことができる。



そういうメッセージも感じられました。