「パピチャ 未来へのランウェイ」のムニア・メドゥールが監督・脚本を手がけ、声と夢を理不尽に奪われた少女の再生をみずみずしく描いたヒューマンドラマ。
内戦の傷跡が残る北アフリカのイスラム国家アルジェリア。バレエダンサーを夢見る少女フーリアは、男に階段から突き落とされて大ケガを負い、踊ることも声を出すこともできなくなってしまう。失意の底にいた彼女がリハビリ施設で出会ったのは、それぞれ心に傷を抱えるろう者の女性たちだった。フーリアは彼女たちにダンスを教えることで、生きる情熱を取り戻していく。
「オートクチュール」「パピチャ 未来へのランウェイ」のリナ・クードリが主人公フーリアを演じ、「女はみんな生きている」のラシダ・ブラクニが共演。「コーダ あいのうた」でろう者の俳優として初めてオスカー像を手にした俳優トロイ・コッツァーが製作総指揮を務めた。
ダンサーを目指していた若い女性が不運の事故に遭い、その試練を乗り越えて自分を取り戻す、というのは大筋のテーマですが、さすがムニア・メドゥール監督の作品。
そんな簡単なストーリーだけではありませんでした。
この映画は、アルジェリアの内戦とテロの傷跡が癒えてない社会を背景にしています。
宗教的抑圧や女性蔑視が根強いこの国では、不正がはびこり、罪を犯しても男は罰せられることはありません。
そして女性たちは大切なものを失い、理不尽な壁に幾度となく道を阻まれ、もがき続けています。
しかしメドゥール監督は、怒りよりもその理不尽に負けない主人公の気高さを描いています。
フーリアは母と二人暮らし。
幼馴染の親友ソニアと、ホテルの客室清掃のバイトをしながら
ダンサーである母の厳しいレッスンを受け、クラシックのバレエリーナを目指しています。
その母に車を買ってあげたくて、フーリアは闘犬ならぬ闘羊の賭けに手を出していました。
しかしある日、重要なオーディションの目前にトラブルに巻き込まれ、男に階段から突き落とされてしまいます。
一命は取り留めたものの、踊ることはおろか声も出せなくなり、絶望して何も手に付かなくなってしまうフーリア。
しかし親友や母の励ましを受け、なんとかリハビリ施設に通うようになります。
そこで出会ったのは、心の傷を抱えたろうあ者の女性でした。
彼女たちが抱えているトラウマが明かされあたりで、心にズシンと衝撃が走りました。
息子が乗っていたバスが、目の前で爆破された母
テロリストに誘拐され、監禁されていた姉妹
みな、私たちでは到底、想像もできないほどの経験をしているのです。
実はフーリアの父も、テロリストの犠牲になっていたのでした。
そんな彼女たちと真摯に向き合うケアスタッフの女性は、フーリアがダンサーだったこと知って、彼女たちに踊りを教えてほしいと提案します。
豊かな自然のなかで、裸足になって体を動かすことによって、次第に心の緊張がほぐれていく女性たち。
そしてなにより、フーリア自身が様々な束縛から解放され、本来の自分の姿へと変貌していくのです。
クラシックバレエは、非常に厳格な規則や振付に基づいています。
美を追求するために体を酷使し、群舞では一糸乱れぬ同調性が求められます。
トゥシューズで傷めた足の爪は剥がれ、血を流しながら優雅に舞うのです。
しかし怪我を負って今までのように踊れなくなったフーリアは、試行錯誤ののち、バレエからも厳しい母親のレッスンからも解き放たれ、心の赴くまま体を動かし、自分を解放し、手話を用いて言葉を語り踊るようになっていきます。
美しい身体表現ではなく、よりアルジェリア的な、アフリカの大地を感じさせる力強い踊りとなっていくのです。
フーリアの力強い眼差しと体の奥底からほとばしるようなダンスが、本当に感動的でした。
そして、フーリアとともにどんどん笑顔になり生気を取り戻していく仲間たちとの最後の群舞は見ものです。
特に意識していませんでしたが、リナ・クードリ主演の映画、結構見ていますね。
彼女もアルジェリア・アルジェ出身で、幼い頃にアルジェリア内戦を逃れて、両親と共にフランスのオーベルヴィリエに移住しています。
1990年代から2000年代初頭まで続いた内戦をくぐり抜け、17歳で国を脱出したムニア・メドゥール監督は、母国アルジェリアに巣くう女性差別を映画で物語ってきました。
前作『パピチャ 未来へのランウェイ』(2019年)では、その背後にある宗教原理主義集団(反政府軍として内戦を引き起こした)を描いた一方、本作では抑圧の源流に戦争そのものがあることを明確に描いています。
内線により、知識人は亡命し、ジャーナリスト、歌手、映像監督、作家、アーティストなどは、テロリストたちの格好の標的になりました。そして最も狙われたのが情報を伝えることを仕事にするジャーナリストであり、フランスに移住したリナ・クードリの父親も記者でした。
「二十歳を前にして国を離れたのは、父がインテリの映画監督だったから。私たちは殺されかねませんでした。しかし『自分の経験した災難の証言として映画をこの世に残そう』、私はそう決めたのです。それこそが、私の創作の原動力になっています」
壮絶な経験を経て、父親と同じく映画監督になったムニア・メドゥールですが、あえて母国アルジェリアに戻り、時に政府からの嫌がらせを受けながらも映画製作を続けています。
賢者でない人物が権力を持ったとき、
利用するのは政治力と暴力と宗教的手法で支配し、統率すること。
監督のこの言葉は、日本人である私たちも、重く受け止めなくてはならないと思います。