ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 | akaneの鑑賞記録

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第2次世界大戦勃発後、ナチスドイツの勢いはとどまることを知らず、フランスの陥落も近いとうわさされる中、英国にもドイツ軍侵攻の危機が迫っていた。ダンケルクで連合軍が苦戦を強いられている最中に、英国首相に着任したばかりのウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)がヨーロッパの命運を握ることになる。彼はヒトラーとの和平か徹底抗戦かという難問を突き付けられ……。


チャーチル首相の名前を知らない人はいないと思いますが、ノーベル文学賞まで受賞していたとは知りませんでした。
相当数の本を出版していたようですし、ちょっと今でいうタレント議員のような部分もあったのでしょうか。
政治家連中からは疎まれつつも、市民の人気は断トツ!みたいな。
その文才によるものなのか、数々の名言も残していますし、スピーチの巧さは際立っていたようです。
敵対していたヒトラーもスピーチの巧さ、人心掌握術は相当なものでしたから、やはり彼に打ち勝つには同じようなカリスマ性が必要だったのかもしれません。
そして、「この二人のどこが似ていて、どこが違っていたのか」は、とても大きな問題であり、みんながもう一度考えなければならないことだと思います。

昨年観た「ダンケルク」もかなり衝撃的でしたが、今回はそれをイギリス政府側から描いた内容。
チャーチルが首相に就任した1940年5月10日から、ダンケルクの撤退成功後までの約1か月間を、日付と共に追っていきます。

ダンケルクの感想はこちらから→


こういう作戦はかなり運にも左右されると思いますし、チャーチルのやり方が正しかったかどうかは、あくまでも結果でしか評価できません。

ただこの時「絶対に屈しない!」という確固たる姿勢を貫き通せるだけの人物がいなかったら、今のヨーロッパはどうなっていたかわからないことは事実です。
ベルギーもパフランスも陥落し、もはや最後の砦だったイギリス。
ダンケルクの30万人の兵士を救うため、カレーの兵士たちを犠牲にしたり、民間船での救出を試みるなど、イギリスにとっても本当に最後の最後、苦肉の策だったのだと思います。
ヒトラーがダンケルクまで猛追してこなかったことなど、小さな偶然と抵抗が少しずつ積み重なり、数年後に情勢が逆転したのは本当に奇跡です。

しかしそこまで戦い続け犠牲を払い続けたことが良かったのか悪かったのかは誰にもわかりません。
この映画はチャーチルの功績を讃えつつも、大きな声で民衆を鼓舞する方に向かっていくことへの警鐘でもあるように思いました。


辻一弘による驚くほど自然な特殊メイクは本当にアカデミー賞もの。
これがメイクによって人工的に造られた顔だとは思えません。
老人特有の皮膚のたるみやしわ、毛穴、薄毛に至るまで、全く違和感がないんです。
ゲイリー・オールドマンさんは、バットマンのゴードン刑事ぐらいしか印象なかったんですけど、いやはや、凄い俳優さんです。アカデミー賞主演男優賞も納得。
特殊メイクだけでなく、体の使い方や歩き方、姿勢、話し方、もうすべてがチャーチルですもんね。
実際の演説もyoutubeで聞いてみましたが、ちょっとフガフガしていて聞き取りにくい話し方などそっくりです。


そして美術も素晴らしかった。
絵面としては、やや地味ではあります。
登場人物がほとんどダークスーツを着たおじさんたちで、基本的に地下の秘密基地や議事堂での会議のシーンがほとんどなんですが、時折、イギリス皇室でのミーティングや自宅での様子が挟まれ、その調度品やセンスの良さが光ります。
どのシーンも光の使い方が凄く効果的。まるで絵画のようです。
斜めに差し込む一筋の光がまるで希望の光、良心の導きのようでした。


若い女性秘書エリザベス(リリー・ジェームズ)の視点から描くことで、硬質なストーリーにも柔らか味が出ますし、、奥さん役のクリスティン・スコット・トーマスも素敵でした。

凛とした気品があって頭が良く、チャーチルも頭が上がらないというか甘えている感じが可愛いですね。
男ばかりの戦争物語の中に、この二人の女性が登場することによって、政治力以外の彼の人間的魅力が増し、観客がチャーチルを応援する気持ちも高まるのが上手い脚本だなと。

いよいよ追い詰められ、和平工作を取るかあくまでもヒトラーと闘うかの決断に迷ったとき、チャーチルは突然地下鉄に乗り込み市井の人々の声をきく、というシーンがあります。
これはちょっとやりすぎ、演出しすぎな感じもしましたが、彼らが「絶対ドイツには屈しない!」と口にする「Never!」という言葉が本当に重く心に突き刺さりました。

英国民の誇りがひしひしと伝わってきて。
西欧の映画、演劇にはこういう「国民の誇り」みたいなものを貫く話が多いですね。
日本にはこういう感情、根付いていないな~と思ってしまいます。
「自分たちの力で勝ち取った!」という体験がDNAに刷り込まれてないのかな。
江戸から明治になる時も、第二次世界大戦後の民主主義も、なんとなく与えられて「明日からこの体制で行きます」という通達に従ったって感じ。
だからこそ人命も国土も救われたのであって、それはそれで正しい判断だったと思うのですが、なんとなく「自由を勝ち取る」ではなく「国のために犠牲になる」精神の方が優先されたような気がして。
それは今も形を変えて、会社や組織、家庭においても強いられているような…。



we shall never surrender !

 

やっぱりこのクライマックスの台詞には心がゆすぶられました。
自分も議事堂で「おーーーー!」と雄叫びを上げたくなるぐらい。
もちろんこれは戦争の話であって、この美談の裏にどれだけの尊い人命が失われたか、その犠牲の上に今の世界が成り立っていることを忘れてはいけませんが


「全ての責任を取る!

そのために私はここに座っているんだ!」

ここまで言える政治家、今の日本にいるでしょうか。。。


にしても、邦題はダサいよねー。
ま、内容は良く分かりますけど、幼稚。


DARKEST HOUR

この一言で、この時代の苦しみや恐ろしさは伝わると思うんだけどな。

(2018.4.1)