什 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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 深芳野様を貰い受けて十月(とつき)が経つ前、大栄2年(1527年)7月8日に深芳野様は男の子を生んだ。これが後の斎藤義龍である。時を満たさず生まれてきたから誰もがその子を頼芸の子だと囁いたが父は何も言わず、その子に豊太丸(ほうたまる)と名をつけて愛しんだ。ただ、父は殿から深芳野様を略奪するほどに愛しく思っていたにもかかわらず正室にはせず側室にとどめていた。

 

 美濃で力をつけた父は明智家をも攻撃した。その時の攻撃によって明智光綱(明智光秀の父)は討ち死にしている。それで明智家は父のもとに人質として幼い姫を預け、父に従うようになった。この姫は幼き頃から見目麗しかった。父は将来さぞ美しい姫に育つだろうと思った。もしかしたらこの時から将来はこの姫を正室に、と思っていたのかも知れぬ。

 

 とはいえ主君から愛称を奪っておいてそうそう簡単に他の女子(おなご)を妻として娶るのはいささか気が引けるし、頼芸もいい気がしないだろう。なので父は頼芸には一生正室を迎えないような事を言っていた。深芳野様を正室にしないのも殿の愛妾を正室に迎えるなんて恐れ多いなどと、よく分からな言い訳をしていたようだが、頼芸はそれに納得していた。なんと組しやすい殿だ。

 この頃の頼芸は父がいれば守護職になれると信用しきっていた、と言うか父がいなければ守護職にはつけぬと思っていたから、何としても父はそばに置いておきたい。それには父にもっと恩を売った方がいいだろう、何か良い案はないかと思い立ったのが父に良い妻を迎えてやることだった。ま、実のところそう囁いた重臣がいたのだが。愛妾を譲った上に、妻の世話までしてくれる寛容な主君に父は大いに感謝するに違いないと、その重臣は言った。確かにその通りだと頼芸は思った。まあ、他力本願この上ない。どこぞに良い女子はいないかと考えた時に、重臣はまた囁いた。父のところには明智の姫が人質として来ている。あれは大層美しい女子である、進めてみてはいかがなものかと。頼芸も1度その姿を垣間見た事があるが、確かに美しい女子に成長していた。あの姫なら血筋も確かだ、と頼芸も頷いた。

 

「そこもとの深芳野は側室である…そろそろ正室を迎えるというはどうじゃな」

「正室でございますか?しかしながら私目は…殿のご愛妾を頂いた身、そのような事は殿への顔が立ちませぬ」

「固いことを申すな、一城の主たる者がいつまでも正室もいないでは格好もつかぬ。良い姫がおるのじゃ」

「はて、そのような姫がおりましょうか」

「ほれ、灯台下暗しとはよく言ったもので、そなたの元には明智光継(あけちみつつぐ)の姫がおるであろう。似合いだと思ってすでに話を進めているのじゃ」

「お館様がそう仰って下さるのでしたら私に否やなどありましょうか。喜んでお受けいたします。よろしきようにお取りはからい下さいますようお願い申し上げます」

と父は恭しく頭を下げながら内心、舌を出していた。それこそ父が願っていた事なのであるから。実は遠巻きに頼芸がこのように言ってくるように仕向けたのは他ならぬ父である。頼芸は正に父の掌の上で踊らされていたのだ。父は成長と共に日に日に美しくなる明智の姫こそ、家柄といい、器量といい我妻に申し分ないとは思うようになっていたが、自分の口からは言いにくい、そのお膳立てを頼芸にさせたのだ。やはり正室はお下がりより新品という事か、男とはなんと身勝手な生き物よ。戦国時代だからこのような事がまかり通ったかも知れないが、現代なら大顰蹙だ。

 

〈什壱へ続く〉

 

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。