什壱 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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とまあ、ここまでが私が生まれるまでの父と祖父の国盗りの話である。この後、頼芸もとどのつまり美濃から追い払われることになるのではあるが、それはまたおいおい話の流れで挟んでいくということで。父の逸話は話し出したらキリがないのである。でもそれでは「斎藤道三物語」となってしまうので、ここらで私の話に戻すとしましょう。

 

 そうして38歳の父は天文元年(1532年)2月19日、明智光継の19歳になる姫を稲葉城の父の館に正室として迎え入れた。この姫が小見の方、私の母である。

 その3年後、天文4年(1535年)に私が生まれた。美しい母と違って私は誰が見ても「美しい」という言葉とは程遠い女子(おなご)であったが、父には大層可愛がられた。私は武術が好きだった、槍も剣もその辺の男(おのこ)になど負けないくらいの腕を十の歳になる前に身に着けた。それを父は嬉しがった。

 

「今の世は見目麗しいだけでは生きていけない。強くなれ、強さは武器だ」

 

そう言って父は私に武芸を仕込んでくれたが父自身、美しい女子には目がないくせに、と私は内心思っていた。期待以上に美しくない私が自分の容姿に対して悲嘆にくれないようにこう言ってくれていたのかも知れぬ。でも私はやっとう(剣術)が本当に好きだった。どこぞの姫のように綺麗なおべべを着せられて、手慰みの唱を詠んだり、舞を舞ったりすることより、槍や剣を持って庭で男相手に立ちまわりする事の方が断然楽しかった。十を過ぎる頃(1度嫁に行って帰ってきた頃)には兄弟たちを相手にしても3本のうち2本は私が勝った。男相手との打ち合いが私には何より楽しかった。男でも女でもない、武術者として扱って貰える。何なら私は嫁など行かず、戦(いくさ)に行きたいと思っていたが、そこは父もうんとは言わなかった。

 

 しかしながら3度も嫁に出されるなんて予想外もいいところではあるが、父に逆らうなんて事も念頭にはなかった。これは武家に生まれた女子の宿命の様なものである。

 それにしても、どうしてこのように美しい母の娘が私の様な醜女(しこめ)なのだと思うが、どうやら色濃く父の血を引き継いでしまったに違いない。あの父が若いときはいい男だったという話を私は全く信じていない。腹黒くて欲しいものには貪欲で、見た目は強欲な狸親父にしか見えない。破天荒で狡猾さを持ち合わせている、でも私にとっては誰よりも勇ましく敬愛する父である。父は女も見目麗しいだけでは生きていけないとは言ったが、女の美しさはある意味最大の武器でもあると私は思う。それは戦国の世でも今の世でもさほど変わっていないのではないか。美しいと言うだけで男という生き物はちやほやするのだ。美しいと言うだけで女にとってはなかなかに生き易い部分があることは否めない。

 ただその武器を持ち合わせていない私は、男に負けない力が必要だという事も承知していた。男に組み敷かれる一生など誰が送るものか。私も父のように野心を持って上り詰める、なんて言ったらきっと「女のくせに」と周りに言われるから口には出さないが、世が世なら私自身で天下取りをしたかったと今でも思っている。とはいえあの頃はそこまでの事は考えられない時代だった。だから私が生涯添い遂げる価値ある伴侶に出会えば、その男に天下を取らせて見せようぞ、と胸のうちでは思っていた。その時は例え敬愛すべき父を倒してでも、と。

 

 

〈什弐へ続く〉

 

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。