玖 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

おもにミステリー小説を書いています。
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 父は祖父が生きている間から、頼芸の側室であった深芳野(みよしの)様に懸想をしていた。当時、深芳野様は美濃一の美女と謳われていた人である。頼芸の側室として初めて紹介された時から心を奪われていたのだ。頼芸は深芳野様を大層気にかけていて滅多に人には会わせなかったのだが、父には心を許して会わせてしまった。これが運の尽きだった、背が高く細身で類稀なる美貌を持っている深芳野様をどうしても自分の物にしたくなった。深芳野様は身長が5尺7寸あったと言われている。約173㎝、現代でもモデル並みの身長であるから、この時代の女性としては抜きんでていた。その姿は父には神々しくさえ見えたのだ。深芳野様はこの父の蛇のような目に、いつかはこの男に身も心も奪われると直感した。

 

 これはまだ頼芸が守護職に就く前の事である。父は槍の名手であった。ある酒宴の席で、酔った頼芸が父に座興を命じた。その部屋の襖の虎の絵を見てその虎の目を突いて見せよと命じた。

「突き破らずに目の中心に針ほどの傷をつけて見せることができるか?」

確かに難しい、だができない事もないな、と父は思った。しかし父は大仰に

「そのような難事中の難事、出来よう者がおりましょうか」

と唸る様に答えた。すると頼芸は嬉しそうに

「やはりその方でも無理か、音をあげるか?」

と揶揄う様に言った。

「音をあげたりはしませぬ。ただ何かご褒美でもいただけるのでしたら、私もいかなる難しい事でも出来るような気がいたします」

と、父は恐る恐ると言った。

「褒美か、褒美があれば突いて見せるのか?ならばくれてやろう」

「誠でございますか?」

「うむ。とはいえ、この城や余の身上をくれてやるわけにはいかぬぞ」

「そのような畏れ多い事、滅相もございませぬ」

「それ以外で余の自由になる物なら何なりとくれてやる」

と頼芸は大勢の家臣の前で公言した。

「わかりました。殿がそうまで仰って下さりますなら、私も出来ませぬ時はこの首を差し上げましょうぞ」

と父は答え、皆が固唾を吞むように見る中でその座興を披露することになった。三間半柄の槍を持ち、虎の目の的に向かって構える父。静まり返った酒宴の席で、父は静かな足取りで走り寄り誰の目にも止まらぬような素早い動きで虎の目の中心を一瞬突いて身を引くと、頼芸の膝元に取って返した。

「終わったのか?よく見えなかったが…」

「お調べくださいまし」

そう言われて襖に近づくと虎の目の中央に針の目ほどの穴が開いていた。

「おお!見事」

頼芸は感嘆してどんな褒美でも使わそうぞと言った。そうしたら父はニンマリと笑って

「されば…深芳野様を頂きとうございます」

と言った。そこにいた全員が目をひん剥いた。選りにもよって主君の愛妾を欲しいと言い出したのだ、まさかの言葉に頼芸が言葉を失くしていると父は間髪を入れず

「このような座中でいただきました殿の寛容なるお言葉に、わが心は喜びに打ち震えています」

と、声高らかに言い、頼芸も引くに引けなくなった。全く人が悪いことこの上ない。頼芸は家来たちの手前、怒ることも否と言う事も出来ず、

「…くれてつかわす」

と言うしかなくなった。父は恭しく頭を下げた。

「身に余る光栄にございます」

頼芸が唇を噛んでいたのは言うまでもない、だが父も愛妾をこのような戯言でいただいたままでは不興を買う事は分かっていた。だからその時に

「このご恩に報いるためにも、殿には11代守護職の座を手に入れて差し上げます」

と、囁き有言実行で政頼を攻め落として頼芸を守護職にしたのだ。

 

〈拾へ続く〉

 

※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。