私はジョージ・フリードマンの本を読んでからアメリカの歴史の80年周期節に興味を持ち、そのことについてもっと詳しく知ろうと手にとった本がウィリアム・ストラウスとニール・ハウという人が書いたThe Fourth Turningでした。
この著者たちも歴史はランダムに動くものでも直線的に動くものでもなく周期的に展開していくものだと主張しており、現在のアメリカの歴史でも大体80年周期で似たような事が繰り返されることを力説しています。
この本の中で、有名な歴史家や評論家、例えばイギリスのトインビー、スペインのオルテガ、アメリカのアーサー・シュレジンジャー・Jrやサミュエル・ハンチントンまでもが周期的な歴史観を持っていたと指摘しています。
The Fourth Turningでは1周期にあたる80年を4分割して、1世代約20年ごとに異なる価値観を持った人間たちが登場してくることを多様な例を出して実証しています。
「預言者」、「放浪者」、「英雄」、「芸術家」。
このように20年間ごとに名前をつけているのですが、これだけではわかりにくく次の文章の方がわかりやすいかも知れません。
「4つの岐路は、『成長』、『成熟』、『不安定』、『死』から成る。」
はたしてこのようなストラウスとハウの分け方が正しいのか、このブログでアメリカの歴史をだらだらと書いても読者の人にとってもあまり面白くないでしょう。
そこで、以前にも書いたように私は日本の近代史も80年周期説を適用できると考えているので、ストラウスとハウの20年ごとの分け方が日本の歴史でもうまくいくか思考実験をしてみたいと思います。
日本が先の大戦で敗れた1945年を起点に、20年ごとに遡ってそれを4回繰り返すと最初が1866〜1885年にあたります。
1867年が大政奉還が行われたことが示すように、この間は明治維新の真っ最中です。その10年後の1877年には西南戦争が勃発し武士の時代は終わります。この期間の最後にあたる1885年には最初の明治議会が招集され伊藤博文が初代の総理大臣になっています。ストラウスとハウが指摘する「成長」にあたる期間です。
1886〜1905年
明治憲法が発布されたのが、1889年でここに東アジアで最初の議会を持つ国が誕生しました。また1894年に日清戦争が戦われ、ここの期間の最後にあたる1905 年は日本が日露戦争に勝利した年になります。ストラウスとハウが「成熟」と指摘している期間です。
1906〜1925年
日露戦争の勝利によって日本は東アジアを代表する大国として認められて、1914年からの第一次世界大戦も戦勝国側に立って乗り切りますが、戦後に景気が悪化した上に1923年には関東大震災が起きました。また1921年のワシントン会議では日本の安全保障の中心にあった日英同盟が廃棄されます。ストラウスとハウが「不安定」と指摘する期間です。
1926〜1945年
ストラウスとハウが「死」と呼んでいる期間で、日本もやることが裏目裏目に出てしまう時期でした。この期間に注目すべきものは1927年に蒋介石の国民党が北伐を開始し、中国問題が日本の政治に暗い影を投げかけてくるのです。1915年に開催を予定していたオリンピックも日中戦争のために開けませんでした。
このようにストラウスとハウが区切った20年間の世代の推移は、不思議なほど戦前の日本の歴史にもぴったり当てはまるのでした。同じことを戦後でも試したいと思います。
1946〜1965年
戦争に負けて焼け野原になってしまった日本ですが、総理大臣だった吉田茂は経済で日本が復活することを目指します。すると早くも1956年には経済企画庁が「もはや戦後ではない」という有名な言葉を残しています。この時期の最後にあたる1965年はイザナギ景気が始まる年に当たります。
1966〜1985年
1968年には西ドイツのGNPを追い抜き、日本はアメリカに次ぐ経済規模を持つ国になりました。1973年の石油ショックで他の先進国が苦境に陥るも日本の成長率は鈍化するもののそれなりに経済を成長させ、この期間の最後の年にあたる1985年はプラザ合意が行われた年に当たります。
プラザ合意では日本の過度の貿易黒字に対して不満を持つアメリカをなんとか宥めようとしそれまで1ドルが240円だったものを150円まで切り上げたのでした。この会議で日本は経済大国の地位を揺るぎないものにしたのです。
日本が1905年に日露戦争で世界から「軍事」大国として認められてからちょうど80年後にプラザ合意で「経済」大国と認められたというのは本当に偶然なのでしょうか?
それとも、本当に80年周期説が正しいのであれば、次に来る日本の最盛期は1985年に80年をプラスした2065年近辺になると予想でき、その時点で日露戦争の勝利やプラザ合意のような何らかの出来事が起きて日本は「政治」大国として世界から認められているかもしれません。
1986〜2005年
プラザ合意の2年後に突如アメリカの株が暴落するというブラック・マンデーが起き、日本はアメリカを助けようとして国内の景気が過熱しているのにもかかわらず低金利を維持しました。そのことで日本国内でバブルが発生しますが、やがてそのバブルも破裂してデフレに苦しむようになりました。この期間の最後の方は小泉首相の時代でした。
2006〜2025年
この時期は、1926〜1945年と同じく、何をやっても裏目に出る時期でした。2009年から始まった民主党政権で政権交代したのにもかかわらず、政治の実態はほとんど変わりませんでした。
また、適切な財政政策、金融政策、成長戦略で日本をデフレから脱却させるとして就任した安倍政権ですが、蓋を開ければ消費税の増税を2回も行うという理解不能な政治を行い続けたのです。
さらにこの時期は1926〜1945年の時期と同じように中国の台頭がからんでくるようで、2010年に日本のGDPは中国に抜かれます。また2020年に予定されていた東京オリンピックも何かの因縁か今度は中国で発生したCovid19のせいで延期となってしまい、果たして来年に開くことができるのか疑問視されている状況なのです。
ストラウスとハウが「死」と定義する現在の日本において、残念ながら将来への希望が見えてきたとは言い難いのです。
これまでみてきたようにストラウスとハウがおよそ20年ごとに「成長」、「成熟」、「不安定」、「死」と定義した分け方は、日本の明治維新以来の歴史のリズムをしっかりと奏でているように私にはみえます。
そして、この論理が示すところによれば、あと5~6年の間は現在のような厳しい情勢が日本だけでなく世界でも続いていくと考えるべきなのでしょう。