ジョージ・フリードマンは『静けさの前の嵐』という本でアメリカの歴史では80年ごとに革命的な変化が起きており、それを制度的変化(Institutional Change)と名づけています。

 

第2次世界大戦が終わった年である1945年を基点として、それから80年さかのぼると1865年となり、この年は1861年から始まった南北戦争が終結した年にあたります。

 

南北戦争が終わった年である1865年からさらに80年さかのぼると1785年になるわけですが、その年の2年前にあたる1783年はちょうどパリ条約でアメリカがイギリスからの独立を認められた年にあたるのです。

 

つまりアメリカの独立からおよそ80年後に南北戦争が起こり、その80年後に第2次世界大戦に勝利することで名実ともにアメリカが世界のナンバーワンの地位を占めるようになったわけです。

 

そして1945年から80年を経過する2025年ぐらいに次の「制度的な変化」がアメリカで起こるのではないかとフリードマンは予想しており、その矢先に今度のウクライナ戦争が起こったのでした。

 

1945年に第2次世界大戦の勝利で始まってから現在まではアメリカにとってどういう時代かといえば、名実ともに世界のナンバーワンの国家にはなったかもしれないけれど、米ソ冷戦が終了してからのいわゆるunipolar hegemony (一極覇権)を達成し安定した秩序を作ることにはイラク戦争やアフガニスタンでの結果から考えても失敗したと言えそうです。

 

そしてアメリカの一極支配に代わる安定した世界秩序ができていないのも事実なのです。

 

だからこそ、ロシアのプーチン大統領はアメリカのアフガニスタンからの無惨な撤退などを見て今がチャンスとウクライナに襲いかかったのですが、そんなに簡単にはことが運ばず泥沼にはまりそうになっているのが現在の情勢です。

 

その結果、世界はますます不安定化しており、一寸先のことが全く見えないでいます。果たして西側から充分な武器の補給を受けたウクライナがロシアを侵略した地域から追い出してハッピー・エンドを迎えるというストーリーは正しいのだろうか。

 

それとも事態はもっと複雑化して誰もが予想しえない結果をもたらすのだろうか。

若き近衛文麿が書いたこの論文は雑誌『日本及び日本人』に1918年12月15日号に掲載されたもので、パリで第一次世界大戦の講和会議が翌年の1月18日から始まるため、会議が開かれる前に書かれたことになります。

 

この論文の大枠で近衛は当時アメリカのウイルソン大統領らが主張していた第一次大戦は「民主主義と専制主義の争い」という考え方には否定的でした。

 

さらに英米の主張するやり方で国際政治を進めていけば、またしても似たような戦争が発生してしまうと後の第二次世界大戦までをも正確に予想していたのです。

 

私は日本人が書いたもので、これだけの先見力を持っているものを他に読んだことがないので以前から興味に思っていました。そこで今回はこの論文の内容を簡単に紹介したいと思います。

 

近衛は第一次世界大戦が英米の民主主義とドイツの軍国主義の戦いという考えには否定的でしたが、民主主義などの「進歩」的な価値観に対しては決して敵対的でなかったのは論文の冒頭に書かれていることからも明白です。

 

「戦後の世界に民主主義人道主義の思想がますます旺盛になるべきはもはや否定すべからざる事実というべく、我が国また世界の中に国する以上この思想の影響を免るる能わざるは当然の事理に属す。」

 

たいていの現実主義者と呼ばれる人は進歩的な価値観を否定して墓穴を掘るのですが、近衛はそうではありませんでした。ちゃんと上記したように書いて後に日本で行われる男子普通選挙や政党政治が開花するようになった大正デモクラシーのこともちゃんと担保していたのです。

 

彼はこのように民主主義が世界に広まっていくということを認識しながらも、もう一方でそれよりももっと重大な問題が存在することを指摘し、それが是正されなければまた同じことが繰り返されるだろうというのです。

 

それは英仏のような先進国が膨大な植民地を抱え、ドイツや日本のような後発国には膨張発展する余地がほとんど無いという問題でした。さらに近衛が鋭かったのは、この植民地の問題は単に土地の問題ではなく、英国国内で自国の植民地から他国の製品を排除しようとする保護主義の議論があることを指摘して、それが経済帝国主義に進展していくことを危惧したのでした。

 

1929年にアメリカで世界恐慌が始まると、まず最初にアメリカでホーリー・スムート法によって高関税の政策が用いられるとイギリスもオタワ関税会議で近衛が危惧した通り自分の植民地だけで貿易をしようとする政策が取られるのでした。

 

当時日本の繊維製品は競争力が高く、インド市場でも日本の製品は人気があったのですが、この関税によって日本の製品はイギリスの植民地から排除されることになります。

 

「領土狭くして原料品に乏しく、また人口も多からずして製造工業品市場として貧弱なる我が国は、英国がその植民地を閉鎖するの暁において、如何にして国家の安全なる生存をまっとうするを得ん。すなわちかかる場合には我が国もまた自己生存の必要上戦前のドイツのごとくに現状打破の挙に出でざるを得ざるに至らん」

 

近衛はこのように書いてヴェルサイユ講和会議が始まる以前から1931年の満州事変みたいになることを予想していたのです。

 

では、このような状態にならないようにするためにはどうすれば良いのか。一つには先程述べた経済帝国主義を排除すること。

 

「経済帝国主義を廃して各国をしてその植民地を解放せしめ、製造工業品の市場としても、天然資源の供給地としても、これを各国平等の使用に供し、自国のみに独占するが如きことなからしむるを要す。」

 

そしてもう一つは「黄白人の差別的待遇の撤廃なり」と書いており、近衛は第2次世界大戦後に訪れる人種差別の廃止と植民地の否定、および自由貿易が世界の安定のためには必須だと書いているのです。

 

日本は実際にヴェルサイユの講和条約で人種主義の撤廃は訴えましたが、近衛が主張したような植民地の廃止や自由貿易を推進することはあまりしませんでした。

 

代わりに中国におけるドイツの権益だった山東半島を継承することを訴えたのですが、はっきり言って近衛が書いたこの論文の趣旨を日本案として提出した方がはるかにましだったでしょう。彼は実際にヴェルサイユまで行っているので、なおさらでした。

 

いずれにしろ日本は近衛のあまりに天才的な予言を活かせなかったことは本当にもったいなかったと私は思うのです。

 

(この論文は中央公論新社から『最後の御前会議/戦後欧米見聞録』の題名で出ている文庫本の中に収録されています。)

ここからは、国際政治を現状に満足している国とそれに不満の国の対立と捉えて考え直してみたい。

 

1931年に日本が満州事変を起こし、アメリカから厳しい批判を受けることになった時に「アメリカがパナマ(運河)という戦略的な要衝を支配下に置いたのと、日本が満州をそうしたのは同じようなものであってどこが違うのか」という議論が日本国内で流行したと高坂正堯氏が『世界史の中から考える』という本に書いています。

 

これに対してグルー駐日アメリカ大使は、アメリカがそれを行ったのは不戦条約などが施行される前であり、日本とは時代が違うと答えたそうですが、当時の日本人はなかなか納得できなかったみたいです。

 

ちなみにケロッグ=ブリアン不戦条約は植民地大国であるフランスがアメリカを誘い込んで作った条約で、「現状維持を便利とする国は平和を叫ぶ」と近衛が書いていたことがそのままの姿になった条約でした。

 

やはり戦前に日本が起こした戦争の背景にも現状に対する強烈な不満が存在したのです。

 

今回ロシアがウクライナに対する戦争を起こしたことで、次は中国が台湾に戦争を起こすのではないかと噂されていますが、果たしてそれは正しいのでしょうか。

 

中国が台湾をいまだに併合できていないことは、現代の中国にとっては不満足なことには違いありません。

 

ただトータルで考えると、中国は本当に現在の秩序に不満を持っているかは私にとって疑問なのです。

 

というのも、現在の中国の領土は歴史的には最大であった清朝のそれに近いと言われており、経済的にもアメリカに次ぐナンバー2の地位を確実にしてアメリカを超える可能性も示しています。

 

現在の中国は、アヘン戦争の屈辱から始まった近代という時代において歴史的に最も高い地位を築くことができたといっていいでしょう。

 

そのような中国が果たして台湾を取り戻すためにリスクを犯すでしょうか。今回ロシアがウクライナを侵略したときに日本を含む先進国の経済制裁、特にロシアの外貨を各国の中央銀行が瞬時に凍結したのを見て、こんなこともするのかと中国はびっくりしたと思います。

 

従って、現在の国際秩序に多大の不満を持って戦争に臨んだロシアと中国の立場は根本的に違うと私は思っています。

 

最後にもう一つ書いておきたいのは、なぜ米ソ冷戦が実際には熱い戦争には結びつかなかったのかという問題です。

 

そこには様々な要因があると思われますが、その一つにアメリカもソ連も当時の秩序に対してそんなに不満が無かったことが挙げられるのではないか。

 

第2次世界大戦の結果、アメリカは敵国であった日本や西ドイツに軍隊を駐留させ、ブレジンスキーが指摘したように「保護国」として確保することができた。

 

おまけにNATOという強力な同盟も手に入れることができたために、ユーラシア大陸を一つの国が制覇するという危険を未然に防ぐことでアメリカの安全を確実なものにすることができた。

 

ソビエトも第2次大戦の犠牲はアメリカよりもはるかに大きかったが、東欧諸国をその影響下に置くことができ、宿敵だったドイツの東半分を手に入れることができたわけだから、第2次大戦以前よりもはるかに地政学的にも恵まれた地位を確保するようになった。

 

おまけに世界のナンバーワンであったアメリカと唯一対等な関係を保てて、ある意味満足だった。

 

このように米ソ冷戦中はアメリカもソビエトもお互いに現状にそれなりに満足していたために、確かにキューバ危機などの緊張も存在したのだが、お互いが譲歩することでその危機が戦争に点火することは無かった。

 

このように考えれば、今回のロシアのように多量の核を持った国が現状の秩序に対する不満から戦争に及んだという例はこれまでの歴史には存在せず、世界にとってはかなり厄介なことになったのではないか。

 

キューバ危機よりも危険じゃないのかと個人的には思っています。