Timeの記事によれば、イギリスのキャメロン首相がインドのJallianwala Baghというところを初めて訪ねたそうです。そこでは94年前にイギリスの軍隊が抗議する武器を持たないインド人に向かって発砲し、イギリス側の発表では379人、インド側の調べでは1000人以上の死者が出たそうです。

キャメロン首相はそこで献花し、「94年前の出来事は恥ずべきこと」と語ったそうですが、公式な謝罪はなかったそうです。

そして記者達に対して次のようなことを語ったそうです。

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In my view we are dealing with something here that happened a good 40 years before I was even born, and which Winston Churchill described as ‘monstrous’ at the time and the British government rightly condemned at the time. So I don’t think the right thing is to reach back into history and to seek out things you can apologize for. I think the right thing is to acknowledge what happened, to recall what happened, to show respect and understanding for what happened.

私の考えでは、この事件は私の生まれる40年前の出来事であり、当時のチャーチルが「怪物的」な出来事と表現し、当時の英国政府はそれを正しく批判した。だから私は当時の歴史にさかのぼって謝罪することを探したりするようなことはしない。正しいことは、何が起こったかを認識し、それを思い出し、尊敬を持って理解することである。
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私もキャメロン首相のこの言葉は正しいと思いますが、イギリスもこと対日問題になると謝罪先行になる傾向を否めません。

歴史の問題は本当に厄介なものです。
菅原出さんの『秘密戦争の司令官オバマ』というアフガニスタンで実際どのようなことが行われているかを描いた本を読みました。

結論からいえば、オバマ大統領のうまくいっているという演説は大嘘で、実際はアメリカがもし完全撤退するようなことがあれば、すぐに内戦が始まり最後にはタリバンの支配が復活する様相を見せています。

この本で私が一番興味を持ったのがオバマ政権内部の対立です。

オバマ大統領がアフガンに兵力を増派する時に、ある論争が勃発します。

元陸軍大将のアイケンベリー大使は、「カルザイ政権の無能力や腐敗の問題を抜きに米軍を増派しても意味はない」と正論を唱えました。

ところが、これに対して同じ軍人のマクリスタル司令官は、「米政府はもっとカルザイ大統領に対する権威を目に見える形で表現し、カルザイ大統領の正統性を高めるために努力すべきだ」と主張しました。

最初、オバマ大統領はアイケンベリー大使の正論を取り入れカルザイ大統領に圧力をかけたのですが、カルザイ大統領はこの圧力に対して「タリバンに入るしかない」と逆に恫喝する始末でした。

その結果、オバマ大統領はカルザイ大統領に屈する形になり、カルザイ大統領の「腐敗」や「無能」はアメリカが駐留する限り続いていくことになったのです。

私はこれと似たような話を鳥居民さんの『昭和20年』で読んだことがあり、本棚から取り出して確認しました。今から70年前の大東亜戦争中の中国でこれと全く同じことが発生していたのです。

当時、蒋介石を支えていたスティルウェルとシェーンノートの間でアフガニスタンにおけるアイケンベリーとマクリスタルと同様な論争が繰り広げられていました。

アメリカ陸軍の退役飛行将校だったシェーンノートは楽観的で、戦闘機100基と軽爆撃機30基そして重爆撃機12基があれば日本をうち負かせると主張しました。

一方スティルウェル司令官は、シェーンノートの案に否定的で、中国軍の再編成を行わない限り、中国軍の航空基地を日本軍の攻撃から守ることはできないと考えていたのです。そして、何よりも「重慶政府の腐敗と無力ぶり」を批判したのでした。

当然、蒋介石はスティルウェルが大嫌いで、シェーンノートの案をルーズベルト大統領と実行しました。

ところが、昭和19年4月の日本の陸軍が発動した一号作戦で、シェーンノート指揮下の航空基地はたちまちのうちに席巻されてしまったのです。

スティルウェル将軍の方が正しかったわけですが、この後どういうわけか、蒋介石の策謀によって、スティルウェルはお役御免となってしまいました。

この後の出来事はよく知られています。蒋介石は、共産党との内戦に敗れ、アメリカも最後には中国白書で国民党の「無能」と「腐敗」を断罪し、切り捨ててしまうのです。

オバマ政権が、現在アフガニスタンでやっていることも、ルースベルトが70年前に中国でやっていることと同じで無駄に終わることは確実のようです。
少し前にフランシス・フクヤマがF.Tに興味深い記事を書いていたので紹介します。

ここ最近のアメリカの歴史で、大統領及び上院、下院すべて同じ党が総取りしたことが2回だけあるとフクヤマは書いています。

1回目は、1896年に共和党のウィリアム・マッキンリーが当選した時で、この時は共和党が大統領、上院、下院を総取りしました。

2回目は1932年にフランクリン・ルーズベルトが当選した時で、この時は民主党が全てを獲得しています。

じつはこの出来事には、経済問題が多大な影響を及ぼしていると私は考えています。

1896年の場合は、当時の覇権国であるイギリスを中心に長い不況、よくLong Depressionと呼ばれるものが発生し、アメリカもその影響を受けてほとんど成長しない時期がしばらく続いていました。

マッキンリー大統領は、輸入品に多大な関税をかけることでこの不況を乗り切ったようです。

1932年にルーズベルト大統領が当選したのも1929年に起こった大恐慌(こちらはGreat Depressionと呼ばれています)に対して共和党のフーバー大統領が扱いを誤り、民主党の総取りを招いたのでした。

当選したルーズベルト大統領は、公共事業などの不況対策を行いますが、結局アメリカがデフレから脱却したのは日本が真珠湾攻撃を行った後のことでした。

ということで、この2回のアメリカの政界再編の原因は経済の不調がもたらしたものでしたが、一番影響を与えたのがアメリカの外交の変化です。

マッキンリー大統領が当選したのは1896年ですが、1898年にハワイを併合し、同じ年にスペインと戦いフィリピンを手に入れるのです。

1932年に当選したルーズベルトも後に始まる第2次世界大戦に参戦しようと考え、手始めにドイツと同盟していた日本を追い込んでいったことは、何回もこのブログで書いてきました。

つまり、1896年も1932年も、それまで「孤立主義」的だったアメリカの外交が180度転換し、より外の世界に対してアグレッシブになったのです。

フクヤマはこの記事で次にどちらかの政党が総取りするような時期はすぐに来ないと予想していますが、今回の不況(これはGreat Recessionと呼ばれています)が長引けば、アメリカで従来のような総取りが行われる可能性があります。

そうなった場合に、アメリカの外交はどうなるでしょうか。

前回の場合はどちらも「孤立主義」的なものから「十字軍」的なものへの変換でしたが、次回は逆の転換を迎えることになるでしょう。アメリカの外交が現在以上にアグレッシブになることは不可能です。

そして、もし近い将来アメリカの外交が「孤立主義」的なものに変化したら、当然日米安全保障条約は無くなるでしょう。