久しぶりの更新です。このところ何かと忙しくて、なかなか書く時間が持てませんでした。また少しずつ頑張ろうと思っています。

さて、アメリカとイランとの合意がようやく出来たようです。これまで私はこのブログでイランとの戦争について悲観的なことばかり書いてきました。

今回の合意で戦争にはならないのでは無いかと思っている人がいるとしたら少し甘いのではないかと個人的に考えています。

オバマ大統領は、イランとの問題で戦争に訴えるつもりはなく、どうにか交渉で解決しようと考えています。一方、共和党を中心とする議会はあくまで強硬な立場を以前譲ってはいません。

これは太平洋戦争以前のフランクリン ルーズベルト政権とは正反対のものです。当時の日本はアメリカからイランと同様な厳しい経済制裁を受けており、共和党を中心とする議会は戦争に巻き込まれることに反対でルーズベルト大統領はどうにかしてドイツと戦争を始めたかったのでした。

太平洋戦争時と比較した場合に明らかですが、平和的に核問題を解決したいオバマ大統領がイランとの間で暫定合意を結ぶことはそんなに難しいことではないのです。近衛文麿がルーズベルト大統領に無視されたこととは対照的です。

しかし、今回の合意をイランか履行した場合、いずれアメリカはこれまでの厳しい経済制裁を解除する必要に迫られます。その時にはアメリカ議会の協力が必ず必要になってきます。

果たしてそうなった場合、オバマ大統領は強硬な議会を説得できるのでしょうか。

オバマ大統領が議会を説得できなければ、またイランは再び核の運転を始めるかもしれません。そうなれば、また空爆をするかどうかの問題になってしまうのです。

ここでもう一人のアメリカ民主党を代表とする大統領、ウッドロー ウィルソンについて言及しておくことが有意義だと思われます。

ウィルソンは「14か条の平和原則」を発表し第一次世界大戦に参戦し勝利に貢献しますが、国際連盟にアメリカが加入することについて懸命な努力を続けますが、結局は失敗してしまうのです。

オバマ大統領がウィルソンの立場になる可能性は依然として大きいのです。

6ヶ月後にまた危機はやってくるでしょう。


アメリカのパット・ブキャナンという評論家が書いた『不必要だった2つの戦争』という本の中で彼はアメリカの第2次大戦の戦争指導を批判していました。

ドイツとソ連が戦争を始めた時にそれを放置しお互いに殺し合いを続けさせていた方が良かったのではないかというのです。

アメリカはソビエトと同盟してヒトラーの第3帝国を滅ぼすことになったのですが、その結果スターリンが東欧を丸々支配することを許し、アメリカはまたもや冷戦を長年に渡って戦わなくてはならなくなったのです。

ソビエトとドイツの戦いを放置することは一見残虐に見えますが、アメリカが一方的にソビエト側に加担してその後に冷戦を戦うことのコストを考えればはるかに前者の方が良かった気が私にはします。

実はこのことはオバマ大統領のシリア攻撃にも当てはまります。

アメリカはアサド大統領が化学兵器を使ったとして、それを罰するためにイスラム教のシーア派とスンニ派の内戦に加担しようというのです。

そしてピーター・ベイナートによれば、オバマ大統領は議会を説得するためにAIPACというイスラエルを擁護する団体に力を借りていると指摘しています。

この団体は以前からイランに対して空爆を強力に主張している団体です。こんな団体に力を借りれば、イランとの話し合いなど到底不可能になるのではないかと恐れるのです。

オバマ大統領がシリアを爆撃することは、知ってか知らずかスンニ派に加担してシーア派を罰することになります。そしてこの続きには同じシーア派のイランに敵対することにも繋がるのです。

果たしてイスラム教のシーア派を潰して中東は平和になるのでしょうか。

アメリカの9・11テロを起こしたアルカイダはスンニ派の過激派です。これを見てもアメリカが何をやろうとしているかさっぱり私にはわかりません。
今回はインパール作戦について書こうと思います。

私はこれまでこの作戦は無能な日本の将軍によって引き起こされた無謀なものだと思ってきました。しかし、今回中島岳志さんの『中村屋のボース』を読んで、その判断を少し変えた方がいいんじゃないかと思っています。

大英帝国は南方の植民地を守備するのに多数のインド人兵士を用いていました。日本がシンガポールや英領マレーを攻め落とすとこの多数のインド人捕虜の扱いに困ることになります。そこで生まれたのが「インド国民軍」でした。

日本に亡命して日本の国籍をとったR.Bボースですが、彼はインド国民軍を指揮するインド独立連盟の議長に座るのです。

実は、R.Bボースがこのまま議長を続けていれば、インパール作戦は行われなかったかもしれません。というのもR.Bボースはいつも目的と手段のバランスを忘れない"現実主義"的な人で、インパール作戦について次のように考えていたようです。

「インド国民軍と日本軍合同のインド侵攻作戦などは無謀であり、そのような計画を今は捨て去るべきだと忠告した。この時、R.Bボースは、インド国民軍をイギリスと戦闘を交える軍隊とは捉えておらず、インド国内の指導者を鼓舞するために訓練を続けるべきだと持論を説いた」

このような真っ当なことを主張していたR.Bボースですが、インド人指導者の仲間割れと病気によってインド独立連盟の議長を逐われることになります。

その代わりに議長になったのが、インド国民会議の重鎮であり当時ドイツに亡命していたチャンドラ・ボースでした。

チャンドラ・ボースはどうもキャラクターがR.Bボースと全く違ったようです。中島さんの本でもそれをうかがわせるエピソードが書かれています。

東條首相は最初チャンドラ・ボースに対して警戒していたのすが、次第にその「熱誠あふれる理知的な議論に完全に魅せられてしまった」らしいのです。

このチャンドラ・ボースに「魅せられ」たのは、ビルマ方面軍司令官の河辺正三も同じだったようで、そのチャンドラ・ボースが熱心に勧めるインパール作戦を簡単に否定できたでしょうか。

インパール作戦は悲惨な結果を日本兵やインド兵にもたらしましたが、戦後思わぬ効果をもたらします。

日本軍に協力したインド国民軍は第2次大戦後、イギリスによって国家反逆罪の罪によって裁かれますが、これがインド大衆に猛烈な反感を与え、ゼネストや暴動をもたらし、結局イギリス側は国家反逆罪を取り下げなければなりませんでした。このことが大英帝国の権威を徹底的に失墜させることになるのでした。

ウィキペディアには歴史家のエリック・ホブズボームが「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動によるというよりも、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた」と書いているのを紹介しています。

ここでRBボースの話に戻ります。ボースがイギリスの提督に爆弾テロを仕掛けたことは前に書きましたが、彼はそれだけでインドが独立できるとは思っていませんでした。そのテロ行為が「大衆的な反英運動に結びついて」初めてそれが可能だと考えていたのです。

彼の爆弾テロはインド大衆にそれをもたらしませんでしたが、彼の否定したインパール作戦がそれを成し遂げたのは歴史の皮肉でしょうか。