今回はインパール作戦について書こうと思います。

私はこれまでこの作戦は無能な日本の将軍によって引き起こされた無謀なものだと思ってきました。しかし、今回中島岳志さんの『中村屋のボース』を読んで、その判断を少し変えた方がいいんじゃないかと思っています。

大英帝国は南方の植民地を守備するのに多数のインド人兵士を用いていました。日本がシンガポールや英領マレーを攻め落とすとこの多数のインド人捕虜の扱いに困ることになります。そこで生まれたのが「インド国民軍」でした。

日本に亡命して日本の国籍をとったR.Bボースですが、彼はインド国民軍を指揮するインド独立連盟の議長に座るのです。

実は、R.Bボースがこのまま議長を続けていれば、インパール作戦は行われなかったかもしれません。というのもR.Bボースはいつも目的と手段のバランスを忘れない"現実主義"的な人で、インパール作戦について次のように考えていたようです。

「インド国民軍と日本軍合同のインド侵攻作戦などは無謀であり、そのような計画を今は捨て去るべきだと忠告した。この時、R.Bボースは、インド国民軍をイギリスと戦闘を交える軍隊とは捉えておらず、インド国内の指導者を鼓舞するために訓練を続けるべきだと持論を説いた」

このような真っ当なことを主張していたR.Bボースですが、インド人指導者の仲間割れと病気によってインド独立連盟の議長を逐われることになります。

その代わりに議長になったのが、インド国民会議の重鎮であり当時ドイツに亡命していたチャンドラ・ボースでした。

チャンドラ・ボースはどうもキャラクターがR.Bボースと全く違ったようです。中島さんの本でもそれをうかがわせるエピソードが書かれています。

東條首相は最初チャンドラ・ボースに対して警戒していたのすが、次第にその「熱誠あふれる理知的な議論に完全に魅せられてしまった」らしいのです。

このチャンドラ・ボースに「魅せられ」たのは、ビルマ方面軍司令官の河辺正三も同じだったようで、そのチャンドラ・ボースが熱心に勧めるインパール作戦を簡単に否定できたでしょうか。

インパール作戦は悲惨な結果を日本兵やインド兵にもたらしましたが、戦後思わぬ効果をもたらします。

日本軍に協力したインド国民軍は第2次大戦後、イギリスによって国家反逆罪の罪によって裁かれますが、これがインド大衆に猛烈な反感を与え、ゼネストや暴動をもたらし、結局イギリス側は国家反逆罪を取り下げなければなりませんでした。このことが大英帝国の権威を徹底的に失墜させることになるのでした。

ウィキペディアには歴史家のエリック・ホブズボームが「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動によるというよりも、日本軍とチャンドラ・ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた」と書いているのを紹介しています。

ここでRBボースの話に戻ります。ボースがイギリスの提督に爆弾テロを仕掛けたことは前に書きましたが、彼はそれだけでインドが独立できるとは思っていませんでした。そのテロ行為が「大衆的な反英運動に結びついて」初めてそれが可能だと考えていたのです。

彼の爆弾テロはインド大衆にそれをもたらしませんでしたが、彼の否定したインパール作戦がそれを成し遂げたのは歴史の皮肉でしょうか。