作曲家 梁田貞 | 墓守たちが夢のあと

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梁田貞の墓

 

墓石

 

「城ヶ島の雨」の歌碑

 

 「どんぐりころころ」など童謡を中心に大正から昭和にかけて作曲家として活躍した梁田貞は、明治18年(1885)北海道の札幌市に生まれる。
 札幌農学校へ入学するが、音楽の道を志して24歳の時に上京し明治41年(1908)に東京音楽学校の声楽科へ入る。
 明治45年(1912)に本科声楽部を卒業して研究科の声楽部そして作曲部へ進む一方、東京府立第一中学校(日比谷高校)で音楽の教師を務めている。
 その後は音楽教育家の道を選び,小・中学校、東京音楽学校、成城学園、学習院、玉川学園、東京女子体操音楽学校など多くの学校で熱心な指導を行い、その風貌から、生徒たちには「ライオン先生」と呼ばれ親しまれたという。
 作曲家としては童謡を多く作り「とんび」「どんぐりころころ」や,北原白秋の詩による歌曲「城ヶ島の雨」などの作品を世に送り出している。
 梁田貞は昭和34年(1959)に73歳で亡くなる。

東村山市萩山町1-16-1 小平霊園 13-23-6