熊本藩四代藩主 細川宣紀 | 墓守たちが夢のあと

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細川家歴代の墓(京都 高桐院)

 

細川宣紀の墓は左側の奥から二番目

 

 細川幽斎から続く細川家六代で、熊本藩四代藩主である細川宣紀は、三代藩主綱利の弟で支藩の肥後新田藩を立藩した細川利重の次男として誕生。初名は利武。
 元禄10年(1697)に宗家熊本藩から5000石を分与されるが、宝永3年(1706)に伯父・細川綱利の嫡子が早世したため、その養嗣子に迎えられ、正徳2年(1712)に家督を譲られ熊本藩藩主となる。そして6代将軍・徳川家宣より偏諱を授かり宣紀と改名する。
 宣紀の治世は領内で飢饉やイナゴの大発生、洪水、疫病、台風などの天災が立て続けに起こり藩は深刻な財政難におちいっている。
 宣紀は熊本藩が混乱する中、享保17年(1732)に死去。跡は四男の宗孝が継いでいる。